Novel
大空の英雄がやって来た

「うーん、こんな時間も大事だよね」

 何もしない時間は贅沢だ。今日の分の掃除と訓練は終わって、洗濯物は乾くのを待つばかり。お菓子でも作って配りたくなるけれど、余っている材料がなかったので断念してミケ班の執務室で一人のんびりお茶を飲んでいたら慌ただしく扉が開いた。

「おい、ミケ」

 兵長だった。おかしい。今日は駐屯兵団へ視察に行ったはずなのに。もしかしたら予定が変わったのかもしれない。

「ミケ分隊長なら新兵特別強化訓練の教官中です」

 とりあえず今日の予定を伝えれば、返されたのは心底不思議そうな表情だった。

「どうした? 何でお前がここにいる。しかもその格好――」
「え?」

 特に用事がないから私はここにいるのに。
 服装も普段通りの兵服だしおかしいことはないはずだけれど。

「もしかして何か召集かけられてました? すみません、知りませんでした」

 慌てて立ち上がって指示を待てば、

「…………」

 兵長は何も言わない。

 そこで違和感に気づいた。何かがおかしい。でも、何が?
 考えるより先に口が動いた。

「兵長、ですよね?」
「…………」

 兵長は何も答えずに私の左手へ視線を落とす。

「お前、指輪はどうした」
「指輪?」

 私は慌てて首を振る。

「指輪なんて持ってません」

 答えるより先に左手を握られて、中でも薬指を丹念に確認される。くすぐったい。

「あの、兵長?」
「……お前はリーベだが俺の知るリーベじゃない」

 その言葉で何かが腑に落ちた。

「つまり兵長は兵長であっても私の知る兵長ではないということですね」

 とりあえず互いへの認識が一致した。

 とんでもない状況で理解出来ないのに、なぜか納得出来るものだった。




 並行世界。目の前にいる兵長の出した結論がそれだった。
 並行世界とはこの世界と並んで存在している別世界、今の自分とは異なる生き方をする自分がいる世界らしい。

 私たちはテーブル越しに向かい合って座って、兵長がカップへ口をつける。さっき私が淹れた紅茶だ。

「気になるのが『この世界』は俺たちどちらの属する世界かだが、確かめるには俺たち以外の第三者が必要だな。――いや、そうでもねえか」

 そこで周囲を眺めていた兵長が一度黙り込む。

「リーベ。お前が認識している今日の日付を言ってみろ」
「今日ですか? ええと、今日は……」

 私は壁にかかったカレンダーを示した。
 すると目の前にいる兵長は、

「俺の認識では、今日は俺の生まれた日だ」
「……私の世界は12月25日ではありません」

 今この部屋にあるカレンダーは12月ではなく、私が把握している月日だった。

「俺が紛れ込んだってわけか」

 兵長はなぜか納得している様子だった。

「今日は家に帰れねえ予定だったが、それでも俺のリーベに会いたくなって帰ろうとした矢先にお前と会えた」
「リーベ違いですね」

 私だけど、私じゃない。
 それにしても『俺のリーベ』とは私と区別するためとはいえどきどきする言い方だった。まるで――

「でも、どうしてあなたの世界の『私』が兵長の家にいるんですか? こちらの世界の兵長は兵舎で生活されてますけれど――」
「それはお前が兵士だからだろうな」

 向けられたのは、信じられないという眼差しだった。

「向こうの世界でお前は兵士じゃない。お前は俺の連れ合いだ」
「連れ合いって……」

 結婚なさっているらしい。

「えええええー!? な、何で!?」

 思わず叫び声を上げれば、

「何でってお前……そりゃあ……」

 それでさっき指輪を確認していたのかとわかった。こちらの私には無縁のものだ。
 話によると違う世界の私はゲデヒトニス家で使用人を続けていて、目の前にいる兵長と結婚することで辞したらしい。
 兵長の家があるとかそこに私じゃない『私』がいることも納得した。

「私たち、兵士でなくても出会えたんですね」
「当たり前だろ、俺が地上でお前を見つけたんだ」

 そんな目に止まるような外見はしていないと断言出来るけれど、何も言わないでおくことにした。

 それにしても、私には兵士にならない人生もあったのかと思うと不思議な気持ちになる。人生にはたくさんの可能性へ至る分岐点が数え切れないほどあると本で読んだことはあったけれど、実際に自分が過ごすのは一つだから普段考えることはなかった。

「…………」

 兵士ではない人生。
 戦うことが必要ではない人生。

 きっと向こうの世界にいる『私』は――ずっと平穏に生きてきたのだろう。

 ぼんやりしていると兵長の声に引き戻される。

「お前はこの世界の俺をどう思っている?」
「え、あの……尊敬する上官です」
「つまりただの上官か」
「ええと、その……それだけではなくて……」

 この世界の兵長ではないけれど嘘は付きたくない。彼もまた、兵長だから。でも、どうしよう。

「何だ。はっきり言え」
「わ、私は……」

 この人は兵長だけれど、私の知っている兵長とは違う。
 この人は私の知っている兵長と違うけれど――兵長だ。

 ええと、どうしよう、混乱してきた。

 確かなことは――こんな私だけど、伝えたい。本当の気持ちを。

 目の前にいるのは兵長であって兵長ではないので、練習だと思うことにして腹を括った。

「まだちゃんとお返事していませんけれど――心からお慕いしています。誰よりも」

 顔が、熱い。多分真っ赤になっていると思う。
 まっすぐに見つめ直すことに耐えられなくなってうつむけば、

「言えばいいだろうが。――俺なら喜ぶ」
「……そう、でしょうか」

 窓の外をいくつかの影が通り過ぎる。新兵特別強化訓練のコースに組み込まれているのだろう。建物にあまりアンカーの穴を穿つわけにはいかないから滅多にないけれど、珍しいことではなかった。

「兵長は『私』と結婚したこと、後悔してませんか?」
「あ?」
「『私』は物凄く狡くて自分のことしか考えない、どうしようもない人間かもしれませんよ?」

 ぎゅっと拳を握れば優しい声がした。

「それでも俺は、俺のリーベと一緒に生きたいと思う」
「どうしてですか」

 そこで兵長がまた紅茶のカップを手にした。

「こんな風に紅茶を淹れられるなら、お前がどんな人間か知るには充分だからな」
「そんな……たったそれだけのことで――」

 その時だった。窓の外から叫び声が聞こえた瞬間、それが一気に近付いて来た。
 私がとっさにテーブルを蹴り上げて盾にすると同時に、何かが窓ガラスを盛大に割って飛び込んで来た。
 耳をつんざく、とんでもない音量にテーブルの影で身を竦ませる。
 飛び散るガラス片や窓の木枠から私を守ってくれたのはテーブルだけではなくて、兵長も私をぎゅっと抱きしめて庇ってくれていた。
 怖いくらいの静寂の後、

「だ、大丈夫ですか?」
「ああ。お前は」
「私は平気です」

 テーブルの裏から出れば、新兵の男の子が気絶していた。立体機動の誤操作でこうなったんだろうと推測出来る。幸いにもガラスを突き破った割に出血は少ない。
 私はガラスに気をつけながら大破した窓から顔を出して声を張る。

「ミケ分隊長ー、いますかー?」
「ここだ」
「右足骨折の重傷です。出血は少ないですが意識がありません。手が空いている人に医療班を呼んでもらっても?」

 そこで背後で呻き声がした。新兵君が意識を取り戻したらしい。

「うう……これ、始末書っすよね……うわあ……」
「生きてたら始末書くらい書くよ。気にしない気にしない」

 それから医療班や手の空いていた兵士が来て新兵君を担架で運んで行ってくれた。私は残って部屋の惨状を見渡す。さすがに一人で片付けられる気がしないので応援を待とう。
 そこではっとした。

「兵長?」

 いつの間にか姿が見えなくなって不安になる。元の世界に戻ったのかと思えば、扉の裏の影から出てきた。

「無闇に出るのもどうかと思ってな。この世界の俺はここにいねえんだろ?」
「あ、はい。駐屯兵団の視察へ」
「面倒になると困る」
「それもそうですね」

 納得していると兵長が床を見ていた。私も視線を向ければ、無残に割れたティーカップやポットがあった。気に入っていたものだったので落ち込んでいると、

「お前に兵士は向いていないと思っていた。いや、俺がそう思いたかっただけだな。だが――考えを改めた方が良さそうだ」
「兵長?」
「たった今、瞬時に的確な判断を下して躊躇なく蹴っ飛ばしたテーブルを盾にした動きでよくわかった。お前は兵士に向いている。現に俺がお前を庇う必要はなかった。俺のリーベも言っていた。『もしも自分が兵士なら、自分のことくらい自分でどうにか出来るから心配するな』と」
「……あ、ええと……ご、ごめんなさい」

 反射的に頭を下げた。

「謝ってどうする」
「何となく、ですけれど……」

 言葉を探しながらゆっくり伝える。

「わ、私が兵士でいることを……良くは思われてないようなので……」
「確かに好ましいとは思わない。お前が兵士なら、勝手にどこかへ行っちまいそうだ。俺の手が届かないような場所へ、どれだけ引き留めたとしても。――だが、この世界に存在しない俺が口出しすべきことだは思わない」

 一息ついてから、

「ただこれだけは言わせてもらう」
「な、何でしょう」

 身構えれば、

「死ぬなよ」
「え?」
「この世界の『俺』を想うなら、お前は死ぬな。兵士である以上――無理な望みかもしれねえけどな。だが、それでも言わずにはいられなかった」
「…………」
「お前が兵士になった理由は知らない。だが覚悟と理由があるものだとはわかる。お前は俺のリーベとは違うが、同じだから。生半可な気持ちじゃないことはわかる。俺はお前と一緒にいられないから簡単に聞くつもりはねえが、それでも」

 また抱きしめられた。さっきのようにテーブルの裏へとっさに庇われたような必死さとは違って、弱々しいくらいの優しい力で。

「生きてくれ。俺のためでなくていいから」

 私は、抱きしめ返すことが出来ない。

「……あなたの世界の『私』と違って、私はこの世界の兵長に何もしてあげられないのに?」
「お前が悩む必要はねえよ」

 ゆっくりと身体が離された。

「帰る」
「戻る方法がわかるんですか?」
「リーベに会いたい一心で、俺はお前と会えた。それなら今度は俺のリーベのことを考えれば戻れるはずだ」
「そ、そんなうまい具合にいきますかね……?」
「簡単だ」

 迷いのない、自信に満ちた声だった。

 そして立ち去る背中に、思い出した言葉があった。

『俺の認識では、今日は俺の生まれた日だ』

「あ、あの!」

 私は慌てて声をかける。

「兵長、お誕生日おめでとうございます。向こうの世界の『私』と幸せになって下さい。それが私の幸せです」
「それならお前はこっちの俺と一緒になれ」

 ひらりと手を振って、彼は扉の向こうへ消えた。

(2016/12/25)
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兵長Happy Birthday 2016!!
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