Novel
ドーナツの穴も存在証明

※スピンオフ『LOST GIRLS』のキャラクターが登場します。


 カーリー・ストラットマン。年頃は私と同じくらいで、ウェーブのかかった髪はきれいな赤毛。身長は兵長と同じくらい。

 私は彼女へ微笑んでゆっくりお辞儀をする。

「リーベ・ファルケと申します。本日はよろしくお願い致します、カーリー様」

 今日の服装は白のブラウスに黒の刺繍を施した紺のワンピースドレスだ。ニファさんが選んでくれた。令嬢の侍女に相応しい服装だと思っていると、

「いいわよ、敬語なんて。堅苦しいから様付けもやめてね」

 ひらひら手を振って、彼女は布製の鞄を抱え直す。

 さっさと歩き出したので追いかければ、カーリーが振り返る。

「どうかされまし……どうかしたの、カーリー」
「そのワンピース、ドレープたっぷりだから裾捌きが肝心なのよね。座るにせよ歩くにせよ美しさが求められる。そこらの町娘が使うスカートとは布の量からしてわけが違うのよ。アナタ、きっちり出来てるじゃない」

 仮にもゲデヒトニス家の元使用人ですから。

 私が黙っている間にもカーリーは続ける。

「まあ、出来なくても別にいいけど、気づいたから言ってみただけ。――アナタ、本当に兵士?」

 その問いに私ははっきり応じる。

「もちろん。私は兵士です」




 マルレーン商会の会長、エリオット・グーンベルク・ストラットマンが調査兵団への短期的な出資に対して一人娘の警護及び監視を依頼して来た。貴族ではなくてもご令嬢の対応とのことで私にお鉢が回って来たのだ。
 私だけかと思ったら当日になってなぜか兵長も一緒にいたけれど、一切口を開くことなく振る舞っていた。

「カーリー、アインリッヒ大学を卒業だなんてすごいね」

 アインリッヒ大学とは王都の大学校、王侯貴族や富裕層の子息子女が通う学校だ。

 私の言葉にカーリーは煙草を吸いながら肩をすくめて、

「大したことないわ。一昨年なんか飛び級しまくった上に首席で卒業した男とかいたし。何て名前だったっけ――ああ、そうそう、アルト・ゲデヒトニス」
「ごほっ!?」

 思いがけない名前が出てきたせいで、飲んでいたお茶を盛大に噎せてしまった。

 でも、アルト様の身分を考えるとおかしいことは何もない。
 去年会いに来て下さった時に大学は行かれなかったのかとちらっと思ったけれど飛び級して卒業されていたとは。さすがと言うべきか当然と言うべきか、アルト様はすごい。

 一人でしみじみしていると、煙草の灰を落としながらカーリーが呟く。

「ドーナツ」
「へ?」
「アナタはドーナツ、好き?」
「う、ん。好き、かな。どうしたの突然」
「食べたくなっちゃった。一緒にどう?」

 現在はこぢんまりしたお店でお茶をしているだけなので、問題はない。

「いいよ、食べよう」
「そこそこ行列が出来るお店だから、アナタたち二人で買って来てくれる? 私はここで待ってるから」
「だ、だめだめ! カーリーを一人には出来ないよ!」

 今日の依頼はカーリーと一緒にいなければ元も子もない。

 兵長をちらっと見れば動く気が皆無のようだったので、私がドーナツを買いに行くことにして二人には待機しておいてもらう。

「兵長、よろしいですか?」
「……わかった」

 仕方なさそうに息をついて、

「裏通りは行くなよ。ここらは治安が悪い」
「はい、わかりました」

 ドーナツのお店は表通りだから杞憂だ。心配されるのがくすぐったい。
 到着すれば人気店のせいか人がごった返していた。しばらく並んでからやっと購入して元いた場所に戻ると、

「お待たせしまし――えええ!?」

 兵長一人しかいなかった。カーリーがいない。

「兵長、カーリーは?」
「便所に行くだと」
「一人で行かせたんですか」
「俺がついて行けると思うか」

 私が残れば良かった!

 慌ててお手洗いに走ったけれど無人で、店員を捕まえて訊ねれば店を出たと素気なく言われる。会計を済ませて走り出そうとすれば腕をつかまれた。兵長だ。

「裏通りは治安が悪いと言っただろうが。一人でうろつくな」
「だからカーリーが一人だと――」
「あの女は問題ない。常に俺たちから離れる隙を狙ってた。何か目的があるんだろう」
「ストラットマン様はそれを懸念されていたんです。だから私たちにカーリーのお目付役を依頼したのにそれを果たせなかったら――」
「今回の報酬がなくなってもエルヴィンは別の手を考える」
「さすが信頼されてますね。もちろん私だって団長はそうされると思いますけどそういう問題ではなくて!」
「あら、もうドーナツ買えた?」

 カーリーが戻って来た。
 隣にはひょろ長い男の人が立っている。
 ぽかんとしているうちに彼は私たちに軽く頭を下げてから去っていった。

 ずっとカーリーが持っていた布製の鞄を彼が持ったまま行ってしまったのが気になったけれど、まあいいか。

「カーリー、一体どこに――」
「昔馴染みなの」

 簡単な説明だった。

「かっこいい人だったね」

 つい素直に感想を漏らせば、

「そう? 普通だと思うけど――あ、もしかして好みだった? バーのカウンターでずっと読書してるような男で良ければ紹介するけど」
「へ!? や、あの、そういう意味で言ったんじゃなくて……」

 どうしよう。隣からの視線が尋常じゃないくらい痛い。

 私は咳払いをして意識を切り替える。

「カーリー、どうして一人になったの。お父さんが心配するよ」
「パパは失った全てを取り戻そうとしているだけよ」

 特に気にすることなく、私が持っていたドーナツの袋を嬉しそうに抱えた。

「じゃ、食べましょう」

 会話を終わらせるようにカーリーが食べ始めたので私も仕方なくかじる。ぱくっと一口――思わず目を見開く。

「おいしいっ」
「でしょ? 上に塗ってある特製パウダーが甘くて美味しいのよね」

 レシピを知りたいなあと思いながら咀嚼して、まだ口にしていない兵長にも勧めて一つ食べてもらった。

「いかがです? こんなにおいしいといくらでも――」
「……俺には」
「兵長?」
「お前が作った方が、うまい」
「へえ、そんなにおいしいの?」

 カーリーが目を輝かせて食いついた。

「じゃあいつかアナタのドーナツ食べさせてね、リーベ」




 夕方、カーリーを送り届けた後に私たちはストラットマン家の応接室に通された。大きな窓からは広い庭が見えた。でも、なぜかあまりいい気分にはなれない。壁には何十枚もの肖像画。暖炉の上には実用的ではない剣が交差して飾られていた。何となく訓練兵団の紋章を思い出す。
 やがて現れたのはがっしりとした大男――エリオット・ストラットマン。カーリーの父親だ。豊かな銀髪に口髭、灰色の目には冷たい光があった。今朝も依頼の確認がてら会ったけれど迫力がある。

 ストラットマン様は朝と同じように煙草へ火をつけて、それを口にする。

 今日一日の報告を簡単に終えると、

「そうか。ご苦労だった」

 淡々と労われた。
 ほんの短い時間だけカーリーとはぐれて見失ってしまったことは話していない。ずるいけれど、口にしないことに兵長と決めていた。出資が見送られるのは避けたい。

「とはいえ当然だ。何せこっちは今まで多額の税金を払ってきた。それに上乗せして依頼しているんだからな」
「それだけの財力があるなら民間の業者に頼めば良かったじゃねえか」

 兵長の言葉にストラットマン様が鼻を鳴らす。灰皿へ灰を落とした。もう短くなっている。

「私は自分の目を信じておる。人間を見る目だ。商売道具のひとつだからな。――あんたらは価値のある人間だと私の目は判断した。所属が何であれ関係ない」
「……ストラットマン様。一つお聞きしたいことが」
「何だね」
「なぜこのような依頼を?」

 ストラットマン様は新しい煙草を手に取って、

「互いに干渉しないことが私と娘の協力だと確認したかった。普段は夕食を一緒に取るだけだからな」

 そう話しながら煙草を吸って、吐き出した。白い煙が部屋に充満する。

「一緒にいても娘が何を考えておるのか、私にはまるでわからん。――お嬢さん、あんたにそんな父親の気持ちがわかるかね?」
「…………」

 私に訊かれても。

 仕方がないので正直に答える。

「さあ。知りません」




 ストラットマン家を出てから兵長と兵団へ戻る道すがら、私は首を傾げる。

「よくわからない依頼でしたね。『互いに干渉しないことが私と娘の協力だと確認したかった』ということは、これからもあの親子の関係は変わらないということでしょうか」
「金が取れるならどうでもいいだろ、あいつらがどうなろうと」
「とりあえず無事に完遂出来たのは良かったですけれど」

 一息入れてから深呼吸をすれば、

「さっさと戻るぞ」
「あ、はい」

 時間も時間だしどこかで夕食を取って帰るものだと思っていた。少しがっかりしていると、

「疲れてるだろ、お前」
「え?」
「今日会って話した連中は全員が煙草吸ってやがったじゃねえか。お前、ああいった臭いは――」
「好きではありませんけれど、そこまで苦手でもないですよ。……確かに依頼内容の割に疲れましたが」

 人の嗜好にとやかく言うつもりはないけれど、早く髪も身体も洗って洗濯もしたい。少し頭痛の予兆もあったから横になりたかった。

 そこで理解する。だから兵長は早く兵団へ戻ろうとしてくれていることに。

「…………」

 兵長は私を心配しすぎだと思うし、気遣いすぎだ。

 どうしたらその想いに報いることが出来るのかと考えて、思いつかなくて、一先ず今度ドーナツを作ろうと考えた。今日食べたもののようにはいかないだろうけれど、兵長がおいしいと思うものを丁寧に作りたい。

 そこでふと疑問が湧いた。

「どうしてドーナツには穴があるんでしょうね。何か深遠な意味でもあるんでしょうか」
「ドーナツだろうが穴だろうが食えばどっちもなくなる」

 兵長が言った。

「だが、食った俺の中には両方ある」

 疲れているせいだろう。

 ドーナツになって兵長に食べられたいなと思った。




 850年、ストヘス区――第57回壁外調査前夜。

「あ、そうだ。リーベ・ファルケって調査兵を知ってる?」
「……知ってるけど。何日か前にも会ったし」
「去年知り合った時、ドーナツ食べさせてもらう約束したんだけど無理そうだから『ごめんね』って伝えてくれない? アナタが会う機会のある時でいいから」
「会う機会なら……もしかしたら明日、会うかもしれないけどね」
「本当? じゃあちょうど良かったわ」
「でも、絶対に話なんか出来ない」
「出来たらでいいわよ。――そういえば憲兵さん、アナタの名前は? 教えてくれない?」
「……アニ・レオンハート」


(2016/06/22)
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