Novel
謎は謎のままで

 班の訓練中に立体機動装置を大破させてしまった始末書を半分まで書き上げて、気分転換に食堂で甘いものを口にしている時だった。

「リーベ先輩!」
「ファルケ先輩!」

 どたどたと慌ただしくやって来たのは今年入団した新兵さんと新兵君。確かネス班長の所へ配属されたはず。シスさんが面倒を見ているのを知っている。

「お疲れ様、さっきパンの耳を揚げたお菓子作ったんだけど食べる?」
「きゃっほーい! リーベ先輩のおやつ食べたいっ」
「うおっしゃー! 最高でっす、ファルケ先輩っ!」

 しばらく三人で雑談しつつ一緒にお菓子を食べてから「それでどうしたの?」と訊ねれば、彼らは思い出したようにはっとした顔つきになる。

「実は、あの、ですね……!」
「俺たち聞きたいことが……!」

 深刻な表情に何事だろうと首を傾げたら、二人は声を揃えて叫んだ。

「ナナバさんの性別を教えて下さい!」




 始末書を書き終え、ミケ分隊長にサインをもらってから兵長の部屋へそれを回すついでに一連の出来事を話した。

「――どうやら二人揃ってナナバさんに一目惚れしたみたいなんですよね。でも、男の人か女の人かわからなくてどんな風に告白したらいいのか悩んでるみたいで」
「で、今の話に出た菓子はどうなった」
「え、お菓子? パンの耳を揚げたものですか?」

 思いがけないところに食いつかれ、きょとんとしてしまう。

「すみません、三人で全部食べてしまいました。――今度また材料が余ったら作りますね」
「…………」

 兵長は渡した書類を眺めながら、

「……つまりあいつが男か女か、真実次第でどちらかは諦めるわけか」

 一応話は聞いてくれていたらしい。

「いえ、諦めないみたいです」
「あ?」

 書類にサインを入れようとしていた兵長が動きを止めた。訝しげに眉を寄せている。

 私は咳払いをして、二人の真似をしてみた。

「『ナナバさんが女性でも構いません! 私、女同士でも全然いけます!』、『たとえ男だろうと俺の心は変わらない! ナナバさんはナナバさんだ!』――と双方叫んでいました」
「…………」

 兵長は一つ息をついて、ペンを走らせる。

「……で、お前は教えたのか? あいつの性別」
「んー、言っても良かったんですけれど」

 新兵一年目、調査兵団入団当初、私には悩みが尽きなかった。その一つがナナバさんの性別だ。あの中性的な容姿と物腰と口調は判断に窮するもので、今となっては何を悩んでいたのかと思うが当時は真剣だった。

「色々考えて、濁してしまいました」

 そこで私は兵長の顔を伺う。

「ちなみに兵長はどちらだと最初思いました?」
「考えたこともねえよ、そんなどうでもいいことは」

 それよりも、と兵長は鋭く私を見る。何だろう。立体機動装置を壊したお小言ならミケ分隊長とゲルガーさんから散々聞いたし遠慮したいのだけれど。ちなみに前者は淡々と、後者は怒号だった。

「リーベ。お前、その小指と薬指はどうした」
「え? テーピングしてます」

 私はそれまで下ろしていた手を軽く挙げた。

「それは見りゃわかる。俺が訊いたのは『なぜそうなったか』だ」

 小さな怪我くらい珍しいことじゃないのになあと思っていると兵長の追求は続く。

「この始末書もどういうことだ。普通の訓練中に立体機動装置を大破させただと? 一体何をすればこんなことに――」

 そのタイミングで扉がノックされる。

「あ、では失礼しますね。サインありがとうございました」

 私は用事も済んだのでさっさと退室することにした。
 代わりに入室して来たのは、

「リヴァイ、ミケが昨日の会議の議事録を貸してくれって――あ、ここにいたんだリーベ、ちょうど良かった」

 ナナバさんだった。噂をすれば影がさす、とはこのことか。

「はい、これ。技術班へ寄ったついでに引き取って来たよ。修理済みの立体機動装置」
「取って来て下さったんですか? 助かりました、ありがとうございます!」

 装置が入った専用の鞄を受け取って頭を下げる。技術班へ行く手間が省けたと嬉しく思っていると、ナナバさんが微笑む。

「派手に壊したよね。リヴァイの真似して逆手持ちしたら――」
「きゃあああああ!?」

 慌てて背伸びしてナナバさんの口を塞いだが遅かった。

「――なるほど。慣れない戦闘法による誤操作、挙げ句には木にぶつかるなりして装置を派手にぶっ壊して始末書、レバーを操る細かい動きに慣れていないせいで痛めた小指と薬指はテーピングか」

 兵長はまるで見ていたかのようにすらすらと今日の出来事を言い当てた。

「大きな怪我がなくて良かったよね。トーマがナイスキャッチしてくれたおかげで」

 悪びれもない様子のナナバさんを私は睨まずにいられない。

「……どうして言ったんですか」
「さあ、どうしてだと思う?」
「…………」

 そんな風に微笑むのは反則だ。

 むっとした表情をしていれば軽く頭を撫でられた。

「あはは、怒った顔して可愛い。リヴァイもそう思わない?」
「何を訊いてるんですかっ」

 兵長が口を開くより先に私は遮って弁解することにした。

「あの、ちょっとやってみたくなって、出来心といいますか、それでその……すみません……」
「……俺は別に咎めてねえだろうが」

 視線を外し、少し考えてから兵長が続ける。

「勧めるわけじゃねえが、もし出来るようになりたいなら――」
「立体機動装置で試すより、まず普通のナイフを逆手で容易に扱えるようになってからじゃない?」

 ナナバさんが先に言った。納得して私は頷く。

「確かにその通りですね。――でも、慣れたやり方を極めた方がいいと思うのでやめておきます」

 アンカーを射出する向きなど定めるレバー操作は通常、人差し指と中指による絶妙な力加減と機敏な動きによって行われる。それを薬指と小指でやるとなれば、力の入れ方からして難度がまるで違う。やる前からわかっていたけれど、やってみてさらによくわかった。順手も逆手も両方出来る兵長はさすがだ。

 ナナバさんは頷いて、

「それなら普通の訓練に付き合うよ。今から時間あるし、さっきの訓練は中途半端だったからね」
「構いませんか? じゃあお願いします。――あ、それでは失礼しますね兵長」
「……おい」

 兵長の低い声に足を止める。どうしたんだろうと思えば、

「ナナバ、先に出てろ」
「嫌だけど?」
「…………」
「はいはい、そんなに睨まなくてもわかったよ」

 ナナバさんを追い出してしまった。扉が閉まると兵長が目の前に来る。

「あの、兵長?」
「手を出せ」

 言われた通りにすれば、きっちりテーピングしてある指をそっと握られた。いたわるような力加減だった。

「痛むか」
「少しだけ。でも、医療班にも行きましたけれど全治一日なので全然大したことはないですよ」
「……俺の真似をするにしても気をつけろ。訓練するなら少しは付き合う」

 そっけない、けれどやさしい声。

「はい。ありがとうございます、兵長」

 微笑んで見せればそっと手を離されたので、名残惜しいけれど部屋を出た。扉の近くでナナバさんが待っていてくれたので並んで歩く。

「つくづく思うけれど、リーベってリヴァイのお気に入りだよね」
「そ、そんなそんな……」

 恐縮していると、さっきの新兵二人が通路の向こうからこそこそ様子を窺っていることに気づいた。

「…………」

 男か女か気になるって?

 私は隣に歩く人を仰いだ。

「ん? どうかした?」
「何でもありませんよ」

 私は笑顔を返した。

 ナナバさんはナナバさんだ。


(2016/01/19)
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