Novel
最期に願いが叶うなら
今日は壁外調査だ。しかし人数の兼ね合いからか今回は援護班へ配属されたので普段の遠征と勝手が違った。
「壁上で開門を待つんですね」
「酒でも飲めたら最高なんだがな」
同じく援護班になったゲルガーさんと話しながら眼下を眺める。少し離れた場所では壁へ近づく巨人を散らすべく固定砲台が火を噴いていた。
援護班とは壁外へ出る調査兵団遠征部隊を城門から旧市街地を出るまでの守護を主な役割とした班である。
巨人との戦闘を極力避ける『長距離索敵陣形』に対し、巨人の露払いを行う必要がある援護班はむしろ交戦が主だ。
「俺、ここから動きたくないっす……」
震える声に、私は隣で膝を抱えてうずくまっている男の子を見下ろした。今期入団した新兵くんだ。今日は同じ援護班。
「新兵の難関とされる壁外を一回生き抜いたんだから大丈夫! 自信持って!」
「でも俺は逃げてばっかだったし……壁外は二回目でも怖いっすよ……」
「そんな時は巨人よりも怖いものを考えたらいいんだよ。私はそう思って――」
「あのう、ファルケ先輩」
「ん?」
「巨人より怖いもんってこの世にあります? ないっすよね?」
「……ええと……」
言葉に詰まっていると、ゲルガーさんが話に入って来た。
「何だお前、薬指に指輪してるじゃねえか。十五のガキのくせに生意気だな」
「あ、本当だ。操作の邪魔にならない? 大丈夫?」
私が立体機動装置のレバーを示せば、
「ならないっすよ! むしろ恋人からのパワーをもらえますから! パン屋で働いてるんですけど可愛くて!」
「けっ、そうかよ」
ゲルガーさんが鼻を鳴らした時、『解放の鐘』の音が鳴り響いた。開門の時間だ。
地上から轟く団長の声を合図に、周りの援護班が揃って壁の外へ身体を躍らせる。私も壁を蹴って立体機動へ移った。弱音を吐いていた新兵くんも恋人から見えないパワーをもらったのか勢いをつけて飛び出す。
壁上で眼下を眺めた時は近くに寄る巨人はいなかったけれど――
「正面前方より12m級接近!」
早速のお出ましだ。
「援護班に任せます!」
遠征部隊から檄に応じるべく立体機動装置を加速する。
「隊列を死守せよ!」
後方の援護班から私たちに指示が飛ぶ。当然だ。
「ゲルガーさん!」
「わかってらあ!」
真正面からやって来る巨人と対峙すべく二人で一気に最前列へ向かう。
「援護班、出ます!」
壁外調査で団長よりも前に出ることなんて絶対にないので、妙な高揚感に包まれる。
もちろんそれに浸っている場合ではないけれど。
目の前の巨人が腕を広げたかと思うと、虫でも潰すように素早く両手を叩き合わせた。
「こっちだ! 来い!」
ゲルガーさんが挑発するようにそれを躱して巨人の視線を誘う。
その隙に私は巨人の頭上、空高く。
すでにガスを吹かすのをやめてアンカーの回収も終えていた。そして重力に従って落下する。
その勢いで――うなじを掻っ捌く。
「捉えたっ!」
だけど、このまま巨体に倒れられると進路を防いでしまうことになる。援護班の仕事は遠征部隊を早急に送り出すことにあるので、それではいけない。
「はっ!」
ガスで勢いをつけた回転と共に渾身の力で真横から巨人の頭部を蹴り飛ばせば、巨体のバランスが崩れて横へ倒れる。塞がれようとしていた道が拓けた。
「リーベナイスキック! じゃあちょっと行ってくるよー!」
ハンジ分隊長の声を背中に聞きながら、そばにある屋根へ一度着地する。近くに来たのは新兵くんだ。
「今の回し蹴り、めちゃくちゃかっこよかったっす! 先輩ちっこいのにあのパワー! いやもう本っ当にすごいっすね!」
「ありがと」
軽口を叩けるなら問題なく動けるだろうと判断して、一緒に左前方の増援に向かう。
そこでは2体の巨人の討伐が何人かで行われていた。
「これ以上隊列へ近づけるな!」
「足を狙え!」
なかなか致命傷を負わせられないようで、手こずっている様子だ。
どこから切り崩すかゲルガーさんと視線を交わせば、
「うわぁっ!?」
細目の巨人が新兵くんの足を掴んでいた。私が動くより速くそばにいた援護班の班長が即座に巨人の指を切り落として、新兵くんは屋根へ転がる。
「ひええっ」
「動いて! 止まっちゃ駄目!」
再び巨人が彼を狙って手を振り下ろそうとしたので駆け寄ろうとしたが、別の一体が倒されたことで起きた粉塵に視界が遮られた。細かい瓦礫も飛んで来て、腕で顔を守るしかない。うかつに動けない。
「後方からさらに1体! 警戒態勢!」
遠くからの指示が耳に入った次の瞬間、視界が開かれると同時に長髪の巨人がこちらへ突っ込んで来た。
慌てて屋根を転がって躱し、交戦を優先して新しくブレードを構えれば、
「どりゃあああああ!」
ゲルガーさんがブレードを叩き付けるようにそのうなじを削いだ。
そして着地することなくまだ倒されていない細目巨人を示して、
「リーベ、こいつの足の腱だ!」
「了解!」
注意を引くことは他の兵士がやってくれているが、いつ巨人から意識を向けられても対応出来るように警戒しつつ迅速に動く。立体機動で低空飛行に入った。
それからまずは左足、向かいにある家の壁を蹴って続けて右足の腱を削いだ。巨人が一軒の家を潰すようにうつ伏せに倒れたところにゲルガーさんがとどめを刺す。
安堵して屋根へ戻ったその時、
「遠征部隊の最後尾が旧市街地を出た! 援護班は撤退しろ!」
伝令が飛んできた。
ここから先は討伐よりも離脱を優先することになる。
「行こう! 早く壁上へ!」
そばにいるはずの新兵くんへ声をかけたけれど、返事がなかった。
代わりに――ぱきん、と少し離れた場所から音がした。
振り返ると巨人がいた。8m級だろうか。
その口元が血で汚れていた。
さっきまでいた新兵くんが、いない。
目の前の巨人が何かを嚥下する。
こいつらが食べるものなんて、ひとつしかない。
「リーベ! 撤退しろ!」
ゲルガーさんの声に考えるよりも早く身体が動く。離脱のために屋根を蹴って、ガスを吹かす。無理な体勢から動いたせいか身体に余計な負荷がかかった。
「く……!」
壁を目指す視界の端で一本の腕が地面に転がっているのを見つけた。薬指には銀の指輪。
逡巡して、迷っている時間の方が惜しかった。
「ゲルガーさん、十秒だけ時間下さい!」
私はマントを脱ぎながら地面へ一気に下りた。
「……ちっ、仕方ねえな!」
私の目的を察したゲルガーさんが動く。巨人の気を引くために目の前を横切って、振りかざされる腕から逃れながら斬り付ける。
その間に私は指輪が嵌められた腕をマントで包み脇に抱え、それから一気に上昇した。
「撤退!」
叫んでからゲルガーさんも一気に壁へ向かう。私たちが最後だった。
決して長くない時間だったけれど、短かったとは思わない。何人か死人が出た。
持ち帰られた亡骸の検分と必要な処置を施している医療班に、私は包んだマントごと腕を託す。もちろん持ち主の名前も伝えた。
遠征部隊の帰還時間に合わせて援護班はまた出撃する必要がある。壁上の待機場所へ向かって、私はゲルガーさんに頭を下げた。
「さっきはありがとうございました」
「んあ? ……ああ、別に気にするな」
ゲルガーさんはぼーっと遠くを眺めながら、
「もし討伐に移っていたらぶっ飛ばしてやるところだが――物事の優先順位や自分に出来ることと出来ねえことの区別くらいならつくようになったみてえだしな」
「ゲルガーさん……」
この人なりに褒めて励ましてくれているらしい。
黙っているとゲルガーさんは欠伸をして、
「酒、飲みてえな」
「……お酒たくさん飲む人は長生きしないみたいですよ」
「それがどうした。死ぬ時まで酒を飲んでいられたらいいんだよ、俺は」
私はつい顔をしかめた。
「死ぬ時って……」
「最期までそうでありたいね、俺は」
ゲルガーさんはごろんと寝転がって目を閉じた。
夕方になって本隊が帰還する。私は再び援護班の任務に就いて、一緒に本部へ帰還した。
朝とは異なる隊列を目にしてわかるのは、損害は決して小さくないこと。そして誰もが憔悴していることだ。
「…………」
会いたいな。
兵長に、会いたい。
土埃に汚れた兵服で本部の通路を歩きながらふいに強く思った。
でも、壁外を出て巨人と戦って帰って来たわけだし疲れているだろう。私も疲れているし。
せめて明日にしようと決めて次の通路を曲がれば――兵長と鉢合わせた。驚いて目を見開いてしまう。兵長も軽く目を見張っていた。
「……お疲れ様です」
「……お前もな」
私たちは少しの間そのまま見つめ合って、
「リーベ、時間はあるか」
「……あ、はい」
「茶を淹れるから付き合え。俺の部屋で待ってろ」
鍵を渡すなり兵長はさっさと行ってしまう。
その後ろ姿を見送ってから、兵長の部屋へ向かう。受け取った鍵を開け、足を踏み入れようとして気付いた。
「このまま入ったら部屋が汚れる……」
常に清潔が保たれている兵長の部屋に対し、粉塵やら細かい瓦礫やら散々浴びた身体と服で入ることが躊躇われた。身綺麗にして着替えてから来るべきだったのではないだろうか。それにお茶は私が淹れるべきだったのではないだろうか。
頭が回らず鍵を受け取ってしまったと思いながらぼんやりしていると、
「何を突っ立ってやがる。さっさと入れ」
紅茶の一式を乗せたお盆を片手に部屋の主が戻った。
「あ、あの……今、すごく汚れているので部屋に入るわけには――」
「入れと言っている」
背中を軽く押されて、部屋の中。後ろで扉が閉められた。
申し訳ない気持ちで椅子へ座れば、
「飲め」
「い、いただきます」
受け取ったカップへ口をつけて、一息。
「……おいしい」
「そうか」
ほっとする味だ。
私がそう感じるように淹れてくれたんだと気づいた。
「…………」
「…………」
お互いに何か訊ねることはしない。
だって、壁外で何も起こらないなんてことはありえないから。お互いにそれを知っているから。
「足、痛めてねえか」
「へ?」
「出陣する時、巨人を蹴飛ばしただろうが」
「ああ……大丈夫です。痛めるような蹴り方はしなかったので」
「そうか」
見ていたんだなと思って、新兵くんを思い出す。
「『かっこよかった』って言われました」
「……確かに勇ましかったがな」
「そうですか?」
兵長の言い方が何だかおかしくて、小さく吹き出して笑ってしまう。
今日の疲れが一気に消えたような気がした。
『最期までそうでありたいね、俺は』
ふいにゲルガーさんの言葉がよみがえる。
「…………」
考えると胸が痛いくらいに苦しくなって、向かいに座る兵長をそっと見た。
私なら、最期までこの人と一緒にいたい。
それだけでいいから。
どうか叶いますように。
信仰しているわけでもないのに、壁を司る三人の女神に都合良く願ってしまった。
(2015/07/20)