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過去と記憶を司る男

「普通の紅茶だね。不味くはないけれど美味しくもない。ああ、この調査兵団にいる小さくて可愛い女の子が美味しい紅茶を淹れて運んで来てくれたら良いのにな。そうしたら出資者としてわざわざ足を運んだ甲斐があったというものなのに」
「うるせえな。それを飲んだらさっさと帰れ」

 目の前にいるのはアルト・ゲデヒトニス。時折こうして本部までやって来る。

 俺が舌打ちすれば貴族野郎は目を眇めた。

「そう邪険に扱うのはどうかな、リヴァイ兵士長。僕はゲデヒトニス家当主――調査兵団へ出資する立場にある」

 最近、こいつは最初会った頃のような敬意を払った態度や丁寧な言葉を使わなくなった。しかしそれは決して乱暴なものではなく素で話すようになったというだけで、俺がこいつへ気を使わないように向こうも気を使わなくなっただけのことだ。

 俺は鼻を鳴らして、

「それがどうした。俺の勝手だろうが」
「ならばわざわざ僕と美味しくも不味くもない紅茶を飲まなければ良いのに。おかしな人だな」

 呆れたように肩をすくめる動作さえ苛立つほど優雅な仕草だ。流れるような金髪が揺れた。

「まあ、わかっているけれどね。僕とリーベを会わせないために君が見張っていることは。おかげで彼女は僕が調査兵団本部へ来ていることをいつも知らない」

 当然だ。

 エルヴィンなら貴重な出資者に気遣ってリーベを呼ぶことが目に見えている。そこでまた『屋敷に戻って来い』だの下らねえことを話されては堪らない。それを阻むために俺は去年から毎回こいつが来る時はわざわざ時間を合わせて同席しているのだ。
 そのうちエルヴィンは何を勘違いしたのか最近は俺一人にこいつの相手を任せるようになった。

 さっさと帰れと念じながら美味くも不味くもない茶を口にしていると、相手がこちらへ身を乗り出す。

「ところで聞いたよ。憲兵の不届き者がリーベを襲った一件」
「……エルヴィンか」
「違うよ。こちらにも情報網があるだけのことさ。……リーベにも責任を負わされたらしいね? しかも負傷までしたとか」

 まるで自分が痛みを憶えているような表情だった。

 俺としても思い出したところで胸クソ悪い。

「説明してもらいたい。リヴァイ兵士長、彼女が襲われたその時は一体何を?」
「…………」
「後になって君がその憲兵にしたことも聞いたよ。呆れたね。後手を打つにも程がある。そんなことは自己満足でしかないと思わないかい?」
「…………」
「君が制裁を加えるまでもなく、あんな男はゲデヒトニス家が処分したんだ」
「お前に関係ねえだろうが」

 聞き流せばいいとわかっているのに言葉が口を突いて出ていた。

 俺が睨んでも相手は怯むことなく、

「関係はある。僕の大事な女の子だ」
「いい加減にしろ。いつまでもリーベに執着するな」

 俺は続ける。

「貴族ってヤツには決められた結婚相手でもいるんじゃねえのか。さっさとそいつの所へ行けばいいだろうが」

 すると相手は一度頷いて、

「ああ、親同士が決めた婚約者なら昔いたよ」
「昔?」
「もう亡くなってしまったんだ。――確かに貴族家の当主として結婚は不可欠。将来的にはその義務と責任も負おう。でも、それに必要なものが愛情では決してないよ。だからリーベが僕にとってずっと大切であることは変わらない」
「…………」

 どれだけあいつに惚れているんだ。

 良い気分にならねえ。同じ惚れているでもグンタよりこの男の方がずっと厄介だ。

 俺はカップを置いて記憶を探る。

「あいつがお前の家にいたのは過去のことだ。ガキに欲情して襲った挙句に死んだだけの野郎がいて、お前の家があいつに面倒な責任負わせて追い出したんだろうが。打ち所が悪かったなら野郎の自業自得じゃねえか」

 二年前に聞いたリーベの言葉を思い出して話せば、相手はなぜか少し考え込むような顔つきになって、

「……なるほど、『打ち所』か。上手いね」

 何かを納得したように頷く。

「何を言っている?」
「いや、何でもないよ」

 首を振ってから緑の瞳がこちらを見据えた。

「過去は消えないし変わらない。あの夜の僕は何も出来なかった。無力だった。――だが今は違う。やっと、力を手に入れたんだ。だからこれからは僕があの子を守り抜く」

 守る? お前が?

 感情が逆立つのがわかった。表へは出さないが確かな苛立ちだ。

 俺が口を開く前に――ウォール・シーナで聞いた占い師の言葉がよみがえる。

『彼女はいずれ死ぬ。私にはその未来が視える』
『あなたはずっと、助けきれないのよ。いつも間に合わない』

 呪いのような、声が。

「…………」

 きっと命は守れない――俺はずっと、そう思っていた。あの占い師に言われるまでもなく。

 俺に出来ねえことをこいつなら出来るのか?

 奥歯を噛み締めて、芽生えた感情を消し去る。

「……あいつは守られて甘んじるだけの弱い人間じゃねえ」
「彼女がどんな想いで強さを手に入れたかも知らない人間が、勝手なことを口にしないで欲しいね」

 話をすり替えるように俺が言えば、鋭い声が飛んで来た。

「そもそも君は何も知らないんだ、リーベのことを」

 意味深な口調と顔つき。だがそれを優位に思っている様子ではない。なぜか暗く重々しい口調だ。

『誰だって、都合の悪いことは言わないものですから』

 リーベ。
 俺はお前を知らないんだ。
 お前が俺を知らないように。

 俺はそれで良いと思っていた。
 それで良いんだと信じていた。

 だがそれは、俺の独り善がりなのか。

 わからない。

 そんな風に答えを先延ばしにしている俺をお前が知れば何を思うだろう。

「――勝手に言ってろ」

 思考を隅へ追いやって、俺は切り捨てる。

 緑の瞳が一度閉じられて、また開かれた。

「ああ、勝手に言わせてもらうよ。リーベが幸せなら構わないと思っていたけれど――《人類最強》とは名ばかりの男と一緒にいるんじゃ、それは無理な話かもしれないね?」




 一人になった部屋で何をするでもなく座っていると、小さく控え目なノックがした。

「入っても構いませんか?」
「……ああ」

 応じれば覗き込むようにリーベが扉から顔を出した。

「お茶、持って来ました。飲まれます? 後にしますか?」
「今もらう」

 そばへ置かれたカップへ口をつければ、身体から余計な力が抜けるのがわかった。

「お客様が来られていたんですね。言ってくださればお茶の用意しましたのに」

 美味くも不味くもない紅茶が入っていた来客用のカップを片付けながらリーベが話す。

「別にいい。ろくでもねえ客だったからな」
「それは大変でしたね」

 ねぎらうようにやわらかく微笑む顔に――自然と手が伸びた。指がリーベの頬へ触れる。そのまま髪先を軽くもてあそんだ。

 リーベは片付ける手を止め、何度か瞬いてから小さく首を傾げる。

「どうされました?」
「……別に」

 意味はない。ただ触れたくなっただけだ。

「リーベ」
「何でしょう?」
「他人から『お前は不幸だ』、『幸せになれない』と言われたらどうする」

 俺の問いかけにリーベはきょとんとしてから、

「悲しくなりますし、腹も立ちます」
「だろうな」
「でも『あなたは幸せですね』と決めつけられるのも良い気分にはなりません」
「確かに」

 そこでリーベは指を一本ぴんと立てた。

「つまり『幸せ』とは自分自身で決めてしまうが良いのではありませんか?」
「……そうだな」

 全く以てその通りだ。

 くだらねえことを考えていたと思いながら再び紅茶へ口をつける。

 あの男はまたやって来るだろう。そう思うと今から気が滅入る。

 だが兵団にも金が必要だと理解しているし、リーベを出すのも気に食わないのだから仕方ない。

 甘んじて忌々しい時間を過ごしてやろう。何度自分の無力さと不甲斐なさを痛感するとしても。

 問題ない。
 こいつが近くにいるのなら、何を諦める必要があるというのか。




 ふいに思い出した、あの男が初めて調査兵団へやって来た去年のことを。

『初めまして、僕はアルト・ゲデヒトニス。――ゲデヒトニス家の当主です』


アルト…過去
ゲデヒトニス…記憶
(2015/02/19)
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