Novel
Er schweigt.

「リーベ! 今からウォール・シーナまでつまんない全兵団合同幹部会議に行くんだけど、お土産は何が良い?」

 ある晴れた日の午後。洗濯物を取り込んだ籠を運んでいると、ハンジ分隊長に声をかけられた。

 私は足を止めて、

「何も要りませんよ。訊いて下さってありがとうございます」
「そう言わずにさ、お土産選びが楽しみで行くんだから」
「う、うーん……」

 私は少し考えて、思い出す。

「じゃあ『鈍足の小人』の最新刊をお願いしても構いませんか?」
「お、最近流行りのファンタジー三部作だね。ついに完結だっけ?」
「『第三章:帰還する勇者』がウォール・シーナで先行発売しているんですよ」
「よし、了解した! このハンジさんが買ってくるよ!」

 ひらひらと手を振って、ハンジ分隊長は馬車へ飛び乗る。
 その直後、私は背後で鼻が鳴らされた気配を睨みながら仰ぐ。

「もう、やめてくださいってば」
「土産は何にすれば良い」
「えっ、ミケ分隊長まで……」

 戸惑いながらも、私が自分で買えないものを思いつく。

「ええと、じゃあウォール・シーナ限定発売の料理酒をお願いして良いですか? すごーく大きな瓶ですけれど、ミケ分隊長なら問題ないと思います」
「良いだろう」

 のっそりとミケ分隊長もハンジ分隊長と同じ馬車へ乗り込んだ。

 すると背後にまた別の気配がした。

「では私は何を買って来ると良いかな」

 穏やかな声に私はくるりと振り返る。

「団長までそんな……」
「いつも君には助けられているからね」
「私は日常生活における当たり前のことをしているだけですよ」
「君の『当たり前』に私も他の兵士も救われているんだ」

 その言葉が嬉しくて、私は微笑んだ。

「では、ご無事でお戻りになって下さい。エルヴィン団長なくして調査兵団はありません」
「私の代わりはいるさ、リーベ。――だが、わかった。必ず戻るとしよう」

 困ったように苦笑してから、団長は馬車へ乗った。

 籠を抱え直し、最後に近づいてきた一人へ私は笑って見せた。

「兵長、お気をつけて行ってらっしゃ――」
「土産は何が良い」
「ええっ」

 まさか兵長からも聞かれるとは思わなかった。三人連続で行われたやり取りだから気を使ってくれたのだろうか。そもそも全員が一定の距離感で会話を聞いていたなんてある意味すごい。どうでもいい話だけれど。

「うーん……」

 でも困った。欲しいものはすでに分隊長たちに言ってしまったし、団長と同じことを口にするわけにはいかないし。

 兵長に視線で促され、私は少し悩んでから、

「じゃあ――お土産話を聞かせて下さい」

 そんなお願いをしたのだった。




 それが昨日のことだ。
 幹部たちはまだ戻っていないため、私たちの班はミケ分隊長なしで今日の訓練に臨むことになる。

 空は曇天。しかし雨の日でも何かしら訓練は行われるので関係ない。
 立体機動装置を身に着けて集合場所へ向かう途中に私がすれ違ったのは、ネス班長とシスさんだ。

「早急に対処が必要だな」
「何かあってからでは遅いですからね」

 何の話かと訊ねる前にゲルガーさんから「さっさとしろリーベ!」と遠くから呼ばれる。

「まずは急旋回の訓練を徹底的に行おう。それから15m級の巨人と遭遇した際の連携の確認。まずは東北東のコースだ。各自、位置について」

 ナナバさんが訓練内容と順路をてきぱきと決めて、立体機動へ移る。

 私も地面を蹴ってから、アンカーを発射。ガスを強く吹かせば一気に身体が上昇して舞う。

 こんな時、人は風になれる。
 ほんの一瞬、そう思う。

 その感覚に身を任せ、さらに加速する。とても気分が良い。

「競争ですよゲルガーさん!」
「俺がお前みてえなチビに負けるかよ!」

 二人でそんな会話をしていると、

「こら、ミケがいないからって勝ち負けで争わない」
「真面目にやれ、二人とも」

 ナナバさんとトーマさんに窘められるうちに目標地点へ到達する。ここから急旋回だ。

「一番リーベ、行きまーす!」

 宣言してから私は狙いを定め、アンカーを出した。

 ここから一気に遠心力で回ると意気込んだその時、

「な!?」

 驚愕した。アンカーが刺さらなかったからだ。木に拒まれるようにそのまま落ちる。当然バランスが崩れた。身体が落下を始める。
 すでに回収していたもう片方のアンカーを即座に同じ場所へ発射するけれど、またしても刺さらない。

「何で!?」

 叫んだところで、支えるワイヤーがない状態ではもちろん落下する身体は止まらない。真っ逆さまになる。いつも冷静なナナバさんが目を見開く顔が遠くで一瞬見えた。

「リーベ! 体勢を立て直せ!」

 トーマさんの叫び声。でも、言われた通りにするためには新しくアンカーを出す必要がある。左右どちらも発射してしまったため、ワイヤーはまだ高速で巻き取っている最中だ。この数秒が命取り。地面が近づく。つまり――このままじゃ間に合わない!

 戦慄したその時、右足首に何かがぶつかるような衝撃が走った。落下は止まったけれど、唐突過ぎてがくんと身体が揺れる。

「ぉ、わ!?」
「リーベお前えええええ! 何してやがる危ねえだろうが!」

 顔を向ければ、ゲルガーさんの顔が逆さまに見えた。その手には私の足首が掴まれている。どうやら助けてくれたらしい。

 宙吊りの逆さま状態で息をつく。

「……死因が墜落死になるかと思いました」
「つまんねえ冗談言ってんじゃねえよ!」

 私は逆さ吊りから解放してもらい、木の枝に足をつく。そのまま座り込んだ。

「何やってんだよお前は!」

 安堵する間もなくゲルガーさんに怒鳴られて、縮こまるしかない。

「その、アンカーが刺さらなくて……」
「装置に責任転嫁とは良い度胸だな!」
「でも、あの木、本当に変ですっ」

 その時、

「ゲルガー、リーベの言葉を信じてやれ。――これを見ろ」

 トーマさんの言葉に、全員が注目する。

「これは……」

 立体機動で素早く移動して、ナナバさんが木の幹をそっとなぞる。

「この木、死んでるね。急旋回するには適したポイントで誰もが同じ場所へ集中してアンカーで抉ってたせいかボロボロになってるし、近くで見なきゃわかりづらいけど腐ってる。アンカーがもう充分に刺さる場所じゃなくなったみたいだよ。倒れるのも時間の問題かな」

『早急に対処が必要だな』

 さっきネス班長たちが会話していたのはこの場所だったらしいと私が思い出していると、ゲルガーさんが鼻を鳴らす。

「それがどうした。俺が言いたいのは何で一度でアンカーが刺さらなかった時点で回避へ移らなかったんだってことだよリーベ? ああ? 次は失敗しないと踏んだか知らねえが同じことを繰り返しやがって。果敢も一歩間違えば無謀で愚かなものだと俺は思うね。お前はいつか大怪我するに違いねえな」

 ゲルガーさんの声は刺々しい。そして正しい。

「私が判断を間違えました、すみません」

 でもわかる。この人は心配してくれているのだと。

「それから……ありがとうございます、ゲルガーさん」

 助けてもらったお礼も込めて、私は頭を下げる。

「団長に即報告ですね」
「その必要はないかな」

 ナナバさんを見れば、眼下を眺めていた。
 その視線をたどると、いくらか離れた場所に昨日出発した調査兵団幹部四人が勢揃いしている。

「…………」

 いつからそこにいたんだろう?

 そんなこと思っていると、

「ダイナミック足首キャッチすごいねゲルガー! いやー、装置なしにこの距離じゃ何も出来ないし心臓が止まるかと思ったよ。危なかったねリーベ」

 ハンジ分隊長の言葉から察するに、結構前から彼らはそこにいて、さらに決定的瞬間を見られてたらしい。

「リーベ、無事か」

 ミケ分隊長の声に私はうなだれる。

「お恥ずかしい所をお見せしてしまいました」

 すると団長が、

「怪我がなければ何よりだ。この区域の対処は早急に行おう。それまで使用禁止とする」
「頼みます。――今日の班訓練はここまでにしよう。あとは各々の自主訓練に任せる。解散」

 普段より短い班訓練だったけれど、ナナバさんの声に全員が納得して木の上から地上へ降りる。

「リーベ! 『鈍足の小人』は部屋へ届けておくからねー」
「あ、ありがとうございます」
「酒瓶も同様にする」
「助かります」

 ぞろぞろと全員が兵舎へ向かう中、動かない人がいた。兵長だ。

「…………」

 危うく死にかけるという情けないところをこの人にも見られたと私が静かに落ち込んでいると、

「俺は……」

 珍しいことにいくらか憔悴している兵長は何かを言いかけて、口を閉じる。それから少しして言った。

「悪い。俺の土産は、ねえんだ」

 その言葉に私はきょとんとしてから思い出す。

『お土産話を聞かせて下さい』

 確かに昨日、そう言った。しかしよく考えればウォール・シーナへは会議に行ったのだ。楽しい話なんてそうそうあるものではないだろう。
 でも、兵長はそれを気にしているらしい。

 律儀だなあと思いながら、私は笑って首と手を振る。

「構いませんよ、気にしません」
「おい」

 唐突に兵長が目を見張る。一体どうしたというのか。

「リーベ、手が――」
「え?」

 見ると、手のひらがざっくり切れていた。
 認識すれば途端にずきずきと痛みを感じる。

「あー、やっちゃいましたね……」

 いつ怪我をしたのかわからない。恐らく落下しながらワイヤーを回収している途中、手がそこへ触れてしまったのだろう。無我夢中であの時は気づかなかった。

「医療班の所へ行ってきます」

 苦笑しながらその場を離れようとすれば、腕をつかまれた。

 その拍子に、

「あ」

 ぱた、と血が地面に落ちる。まるで誰かの涙の跡みたいだと思っているうちに兵長が自分のスカーフを外す。

「何を――あ、ストップ! だめですっ」

 スカーフを包帯代わりにして止血を行おうとする兵長を慌てて止める。

「動くな」
「スカーフが汚れますっ。私は医務室に行きますから!」

 しかし抵抗むなしく、白いスカーフに血が滲む。

「もったいないことを……」

 綺麗なスカーフがきっちりと手に巻かれて、とても心苦しい。

 でも兵長を見ると、この人の方が何かに苦しんでいるように見えて、何も言えなくなる。

「ええと……」

 視線を少し下げば、スカーフで隠されていた兵長の首回りの肌が眼に映る。初めて見るわけでもないのになぜか気恥ずかしくなって顔を少し背けて――そこで閃いた。

「あ、あの、お土産の代わりと言っては何ですが、このスカーフを頂けませんか?」

 すると兵長は何度か瞬きをして、

「……別に構わねえが」
「ありがとうございますっ」

 早く洗おう。防水手袋をすれば怪我をしていても洗える。スカーフの血を流して綺麗にして乾かして、大事にしよう。宝物のひとつにしよう。

 自然と頬が緩むと、おもむろにそこへ兵長の手が触れた。

 優しく、そっと。

 何かに怯えるように。
 何かを確かめるように。

「……何でそんな顔するんだ、お前は」
「え?」

 そういえば時々、この人はこんなことを口にする。何が言いたいのかわからなくて、私はいつも首を傾げるしかない。

「どんな顔ですか」
「――触れたくなる」

 わからない。どんな顔だろう。

「おかしなことを言いますね」

 私が吹き出して笑うと、兵長を包む空気がいくらか和らいで、そのことが嬉しかった。


Er schweigt…彼は沈黙する
何も言わない
(2014/11/16)
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