Novel
Bist du Held?

 その日、エルヴィンやハンジ、ミケと共にウォール・シーナまで来ていた。各兵団の幹部が集うだけで大して進展しない無駄な会議が開かれるせいだ。

 時間潰しに一人で狭い路地を適当に歩いていれば、

「そこの男、止まりなさい。悪人面のあなたよ」

 周囲に誰もいないその空間で声をかけてきた女がいた。

 視線だけ向ければ、そこにいたのは簡素な椅子に腰かけて古びた机に頬杖をつく妙齢の女だった。頭には重たげな布を被っている。

「どうもこんにちは。私は過去と現在、そして未来を視る占い師。――ちょっと寄っていかない? 最近場所替えしたおかげでお客さんが来なくて退屈なのよ。だからいつもはお代をもらうけど、なんと今なら特別無料大サービス」
「…………」

 馬鹿げている。過去だの未来だの、そんなものが見えるものか。そもそも占いなんざくだらねえ。
 無視して踵を返そうとすれば、よみがえる声があった。

『お土産話を聞かせて下さい』

 内地へ出発直前に会った、あいつの言葉だ。

「…………」

 逡巡して、俺は言った。

「……言い当てられるもんならやってみろ」

 すると楽しげに相手は目を細める。

「私に挑むとは良い度胸ね。嫌いじゃないわよそういうの」

 そして――占い師は俺の背後を見透かすように視線を向けた。

 こいつは何をしている?

 わざわざ顔を向けずとも、そこには何の気配もない。誰もいない。
 何もないというのに、一体何を見ているのか。

「――あなたは『間に合わない人』なのね」
「あ?」
「今までも、これからも、ずっとそう」
「…………」

 こいつは何を言ってやがるんだ。

「誰かを助けようとする時、間に合っていないでしょう?」
「…………」

 間に合わない?
 誰かを助けようとする時?

 考えるよりも早く思い浮かんだのは、

『兵長、お茶を淹れましょうか?』

 ひとりの女のことだった。
 そいつに襲いかかった危機の数々も。

「俺は――」
「思い出してみなさい。『助けが間に合った』と思っている事例の数々は果たしてその必要があった? つまり――あなたが助ける必要なんてなかったんじゃないかしら」
「!」

 見透かすような占い師の言葉に、勇ましい声がよみがえる。

『さあ、来い!』

 俺が駆けつけた時、あいつはいつも――揺るぎないまなざしと共に、臨戦態勢のままだった。
 劣勢どころではなく常に渡り合っていた。相手が巨人だろうと人間だろうと変わらずに。俺が現れることなどお門違いのように。

 どんな状況も、ひとりきりで切り抜けていた。

「…………」

 そんなことは今まで何度でもあった。

「『彼女』はいつも自分の力で未来を勝ち取っていたのに――まるであなたが勝利を横取りしているようね」

 咎めるような声で占い師は続ける。

「『彼女』はとても強い。……けれど最強でも超人でもないわ。だから助けが必要な時もある。それを必要ない場面でしゃしゃり出ておきながら、大事な時には『完全に間に合わない』とか『気づくことさえない』って自分でどう思う?」

 最近なら――あいつが憲兵に襲われた時がそうだ。

 俺は何をしていた?

 何も、何ひとつ出来たことなどなかった。

 気づくことさえも、出来なかった。

「…………」

 俺はいつもそうだ。

「あらあら、自己嫌悪に陥る必要はないじゃない。自分に出来ることを履き違えるなんて、ちゃんちゃら可笑しいだけよ」

 占い師は笑った。嘲笑った。

「『彼女』に限らず、あなたは助けようとした人を必ず救えるような人生を歩んで来たわけではないでしょう? 完全無欠の全能者でもなければ物語の王子様でもないんだから、人間としてそれは『当たり前』のことなのよ? 有能になれても万能にはなれない。それが人間」

 狭い路地に風が吹き抜ける。冷たい風だった。

「あなたはこのまま変わらない。いえ、悪化するわね。これからはもっと酷いことになる。『彼女』は血を流すし、あなたが伸ばした手は届かない。あなたが持っているのは『救う強さ』よりも『倒す強さ』に特化しているから無理もないかしら。――だから仕方ないわね」

 占い師は目を眇めた。

「『彼女』は死ぬ」

 ほんの一瞬の隙を突いて――胸の奥深くが抉られたような錯覚に陥る。

「あなたの生死は視えないからいつになるのかわからないけれど『彼女』はいずれ死ぬ。私にはその未来が視える」

 流れる血、冷たい身体、動かない心臓――即座に思考を遮断する。
 死体なんざいくらでも見てきたせいか容易にイメージが浮かんでしまった。

 それを顔に出したつもりはないが、占い師は見透かすように笑みを深くした。

「私には持論があるの。それは『変わらない未来はない』だけれど、たったひとつ例外があるわ。それが『死』よ」

 占い師は続けた。

「人間誰もがいずれ必ず迎える未来だからとても強大なの。死を前にすればどんな意志も、強靭な肉体も、人と人を結ぶ約束や誓いも――そんなものは関係ない」

 静かな声だった。

「あなたはずっと、助けきれないのよ。いつも間に合わない」
「黙れ」

 やっとの思いでそう吐き捨てれば、

「あなたもそれをわかっているのでしょう?」

 冷たいまなざしで占い師が言った。

「…………」

 思ったことがある。

 きっと命は守れない。
 せめてその心は慈しもうと。

 ああ、そうだ。
 俺は、わかっている。

 だから――




 夜。

「悔しいいい! 最近話題沸騰中の超有名占い師をこれでもかってほど探したのに会えなかったんだけど!」
「鼻を使っても見つからなかったな。歩き回るうちに土産が揃ったのは助かったが」
「二人とも、もう会議が始まるから資料に目を通してくれ」

 騒ぐハンジ、鼻を鳴らすミケ、書類を眺めるエルヴィン。

「…………」

 少し前に憲兵の女が運んできた紅茶のカップを傾けて、味の不味さに眉を寄せればエルヴィンが俺を見た。

「どうした、リヴァイ」
「……何でもねえよ」
「そういえば夕刻に、外でお前の真似をして遊んでいる子供たちが見えた」
「あ?」

 突然何を言い出すのかと思えば、エルヴィンは続ける。

「お前に扮していた子供は『英雄』と呼ばれていたよ」
「……英雄?」
「ああ、人類の希望ということだ」

 何が、英雄だ。

「……気乗りしねえな」

 リーベ。

 笑うお前の顔が見たい。
 お前の淹れる茶が欲しい。
 早く――お前に、会いたい。


Bist du Held?…お前は英雄か?
(2014/12/15)
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