進撃短編 | ナノ

あなたのまぼろしに抱かれて

「眠れない……」

 真夜中。兵士として毎日規則正しい生活を送っているはずなのに、ぎんぎんと目が冴えている。
 理由は明確だ。壁外調査を明日に控えて、緊張しているのだ。

「寝ないと! じゃなきゃ死ぬ! 眠るのよ私!」

 万全の体調でも生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、不調ではまるで話にならない。
 眠れ眠れと自分自身に言い聞かせている間にも夜は更けていく。催眠効果を持つという花の香りがする枕も役割を果たしてくれない。

「……このままじゃだめだ」

 眠ることを一度あきらめ、私はパジャマの上にカーディガンを羽織るとベッドを離れた。
 扉を閉め、近くの部屋で眠る兵士を起こさないように私はそろそろと通路を歩く。目的地は調理場だ。少し動いて水の一杯でも飲んだら気分が変わると暗示のように言い聞かせて進む。

 調理場にはすぐについた。薄闇の中でひとり、コップを傾けて、一息。
 ふと、生きている奇跡について考える。あっけなく死ぬ可能性のことも。明日の夜、私はどうなっているだろうか――ぐるぐると答えの出ない思考が頭を占めていたせいだろう。足音が聞こえたと思った次の瞬間には、すぐそばに誰かいた。

「何やってんだ、クソが。さっさと寝ろ」
「兵長……」

 普段の戦闘服ではない、ラフな服を着た兵長を見るのは新鮮だった。が、見惚れている場合ではない。

「……そうしたいんですけど、眠れないものは眠れないんです」
「今さら何を言ってやがる。何回壁外へ行ってんだ、お前」
「明日は、別です」

 最前線。初列索敵班。最も巨人と遭遇し、戦闘する割合が高いその位置。ここを任されるのは初めてだ。正直言って、怖い。いつだって恐怖は纏わりついてくるけれど、これまでの比ではなかった。
 うつむきながらコップを洗って部屋へ戻ろうとすれば、兵長が横に並んだ。

「兵長?」
「お前の部屋へ行くぞ」
「……へ?」

 聞き間違えたかと思うと、兵長がさっさと行ってしまった。慌てて追いかける。

「何やってんだ、お前もさっさと眠れ」
「ええと……」

 私は自分の部屋で立ち尽くす。

 何これ。目の前にいるのは本物の兵長だろうか。
 いや、違う。断言しよう。これは夢だ。きっと私はすでにいつからか眠っていて、目の前にいる彼は私が作り出した幻なのだ。
 だって、そうでなければ信じられない。潔癖症の兵長は私のベッドになんて横にならない。花の香りがする枕に頭を乗せない。

 でも、そうだ。
 夢や幻であるのなら――甘えたって良いだろう。
 こんな恐怖に満ちた世界なのだから、夢の中でくらい良い目にあっても罰は当たらない。

 私はそう自分に言い聞かせて自分のベッドへ、兵長の隣へ滑り込んだ。
 たくましい腕が、やさしく私を包み込む。

「眠れそうか」
「……だめです」

 明日への不安だけではない。肌で感じる兵長の体温に心臓が暴れる。余計に眠れなくなってしまいそうだ。ああ、でもこれ夢で幻なんだっけ。
 すぐそばで兵長が囁く声がした。

「リーベよ。最初に巨人を討伐した時のことを憶えているか」
「忘れませんよ。兵長が補佐してくれたんですから」
「恐怖はあったか?」

 その時のことを思い出して、私はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「怖くありませんでした。兵長が、一緒だったから」

 初めて巨人のうなじを削いだあの瞬間――まるで私まで人類最強にでもなったような、無敵な気持ちになれたものだ。

「明日だってそうだ。俺がそばにいると思え」

 兵長の穏やかな声が胸に沁みわたる。じんわりと、あたたかに。

「それは、すごく安心できますね」
「だろう?」
「はい」

 いつしか明日の不安はどこかへ行ってしまった。緊張していたぬくもりも、今はひどく私の心を安心させてくれた。
 ああ、とても幸せな夢だ。こんなに満たされるなら、明日死んだとしても悔いはない。
 でも、死なないかな。兵長がそばにいると思えば、私は誰よりも強くなれるはずだから。
 やさしい花の香りに包まれて、私はそっと目を閉じた。




「ん……」

 窓から射し込む朝陽に目を覚ます。ゆっくりと意識が浮上して、私は起き上がった。頭がすっきりとしている。よく眠れた証拠だ。
 部屋には、ひとり。

「ほおーら、やっぱり夢だった」

 ほんの少し胸に過ぎった寂しさは無視することにして、私は支度を始めた。
 戦闘服に身を包み、部屋を出る。食堂へ向かっていると、にぎやかな声が聞こえてきた。

「あれ、リヴァイってば寝不足? せっかくこれから楽しい壁外調査なのに何やってんのさ」
「……お前が俺に渡しそびれた書類を持ってきたのが真夜中だったのを忘れたか、クソメガネ」
「あはは、ごめんね?」

 兵長とハンジ分隊長の会話を聞きながら、私は彼らとすれ違う。

「おはようございます、兵長、ハンジ分隊長」
「おっはよー、リーベは良く眠れた?」
「はい、ばっちりです」

 それでは、と二人から離れようとすれば耳元で聞こえた兵長の声。

「リーベ、壁外で寝ぼけるなよ。お前に蹴られると酷い目に遭う」
「寝ぼけません!」

 ああ、やっぱりあれは夢だ、幻だったんだ! 間違いない! わかってはいたけどやっと確信した!
 現実の兵長はあんなに甘くも優しくもないんだから!

 と、そこで疑問が浮かぶ。どうして私の寝相の悪さをこの人が知っているんだろう?
 首を傾げていると、普段よりも三割増しで目つきの悪い兵長と目が合う。
 まあいいか。考えてもわからないことだし。そう結論付けて、私は兵長に笑いかける。

「さあ、今日も巨人と戦いましょう!」

 壁の外は恐怖に満ちているけれど、きっと大丈夫だ。ふわりと香る、花の香り。それを思い出せば、私はあなたのように無敵になれるから。


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