Novel
悪魔が来たりて風は吹く

 最近、倉庫通りの治安が悪いらしい。

「女の人ばかり狙われてるみたいだから、リーベさんも気をつけて」
「狙われた女の人は、どうなるの?」
「ゾフィアの母さんが言ってたけど『もう二度と家から出られなくなるよ』って」
「…………そう。でも、パンの配達頼まれちゃって。今からそこへ行かないと」

 この前リーベさんがたくさん作ったパンは評判に評判を呼んで、パン屋のおじさんが雇いたいと声をかけたくらいだった。
 お腹が大きくて大変だろうから断るかと思ったらリーベさんは「お金はあるに越したことはない」と快諾していたから驚いた。

 そんな経緯で問題なく働いていたけれど――

「危ないよ、そんな所に配達なんて」

 倉庫通りは、行かない方がいい。

 その一心で、オレは紙袋を抱えたリーベさんを追いかける。そうするうちに、辺りはもう倉庫通りに入っていた。人気のない、寂れた通りだ。

「ねえ、ファルコ」

 リーベさんの声は静かだった。

「この世界で、危なくない場所はないと思う。だから、大丈夫だよ」
「何言って――」
「同じなんだよ。どこにいても。変わらない。優しくてあたたかい人がいれば……そうじゃない人もいる」

 リーベさんが言い終えるよりも前に――オレたちの行き先を三人の男が立ち塞がっていた。

「うわ、腹が丸過ぎ。今日はハズレだな」
「でも髪が長い女ってお前の好みだろ? 腹は掻っ捌いたらぺったんこになるし、いいじゃん」
「腹を切るより、中からガキ引きずり出そうぜ。そっちの方が犯し甲斐あるだろ」
「馬鹿じゃねえの。そんなことしたら中の具合が――」

 こいつら、何言ってるんだ?
 理解出来ない。でも、わかってしまった。
 このままだと、まずい。

「リーベさん……!」

 慌ててリーベさんの手を掴む。

 逃げなきゃ。

 その一心で。

 でも、リーベさんは動かない。オレが引っ張っても、じっとしていた。

「ファルコ、逃げて」
「い、一緒に逃げなきゃ……!」
「……このお腹じゃ走れない」
「で、でも!」
「優しいね、ファルコは。――この世界で私を慮る人なんて、誰もいないのに」

 切ない声と眼差しは、次の瞬間に決意を秘めたものへ変わった。

「――じゃあ、助けを呼んで来て。お願い」
「置いて行けないよ! そ、そんなことしたらリーベさんが……!」
「私は、大丈夫だから」

 きっぱりと言い切った。

 どうして、そんなに落ち着いているのかわからない。

「世界のどこにいても、同じなんだよ。――だから私は大丈夫」
「っ……! すぐ、人呼んでくるから!」

 このままじゃ駄目なことだけがわかって、オレは走った。門兵のおじさんたちに説明したけど相手にしてもらえなくて、パン屋のおじさんがやっと何人か集めてくれた。倉庫通りへ戻る頃にはもう一時間近く経とうとしていた。

 リーベさんは無事だろうか。

 わからない。

 とにかく、早く! 早く!

「リーベさん……!」

 戻った倉庫通りには――誰もいなかった。

「そんな……!」

 本当にここだったのかとおじさんたちに訊かれて、どうすればいいかわからなくなる。

 もうすぐ日が暮れて、真っ暗になるのに。

「リーベさん!」

 思わず叫んだら、

「ファルコ」

 静かな声に名前を呼ばれた。リーベさんだった。

 遠くからゆっくりとこっちへ向かって来る。沈む夕陽の中から歩いて来る姿が、何だか不思議な絵を見ているような気分になる。

 リーベさんはどこも怪我してなかった。顔の包帯はいつも通りだし、服も汚れてなかった。オレはほっとして駆け寄る。

「大丈夫!? さっきのヤツらは……」
「用事を思い出したみたいで、帰ったよ」
「よ、用事……?」

 用事を思い出したくらいで帰るような連中だったとは思えなかったけれど――でも、現にそいつらはいないし、リーベさんは無事だし。

「痛っ!」

 その時、パン屋のおじさんに後頭部を思いっきり殴られた。

「ったく、大げさに騒ぎやがって!」
「う、うう……」

 頭を押さえていると、優しい声が降って来た。

「怒らないであげてください。――優しくて、真っ直ぐないい子ですから」

 そんな風に言われることなんてなくて、痛みとは違う感覚で視界が歪んだ。

 ぎゅっと唇を引き結んでいると、

「帰ろう、ファルコ。配達も終わったし、心配してくれたお礼にパンあげる」

 リーベさんの優しい声に促されて、オレは足を踏み出す。

 その時、風が吹いた。

「え」

 ふわりと――硝煙のにおいがした。

 風の吹いた方向にはリーベさんしかいないのに。

「どうしたの?」

 リーベさんの顔が、逆光で見えない。

「……ううん、何でもない」

 オレは首を振ることしか出来なかった。

 それきり倉庫通りの悪いヤツらが噂になることは、ぴたりとなくなった。


(2018/10/21)
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