Novel
【幕間】2000年後のあなたへ-857-【中】

「今日は遠いところまでありがとうございました。本当は私たちの方からお店にお邪魔したかったんですが、周りに止められてしまって」
「無理もありません。女王陛下はお立場がございますので。私としても貴重な機会を本日はありがとうございました」

 頭を下げる私に、ヒストリアは首を傾げる。

「――不思議ですね。あなたとは初めてお会いしたのに、そんな風には思えなくて」

 別れ際、まだ小さな子供を抱きながら彼女は私に向かってそう言った。

 その大人びた顔つきを前に、私は自然と口が開く。

「……日々に、何を心がけて過ごされてますか」

 なぜ、そんなことを問うてしまったのか。
 ヒストリアは一度瞬いてからすぐに答えた。

「胸を張って生きられるように、と。大切な友人の言葉です」

 そこで馬車が来て、私は最後にもう一度挨拶をして乗り込む。

 小さくて、でも力強い立ち姿――遠ざかっていく彼女を眺めながら、わかったことがある。

 ヒストリアがこの国の女王として、そしてエレンの『共犯者』としての道を選んだこと、そのための時間稼ぎに子を成したことに後悔はしていないこと。

 守りたいもののために、その他を殺し尽くすという決断の重みを感じさせることなく。

 胸を張って、生きていた。

 その選択を責めることはできない。
 子供のできない私とは異なる苦悩の果てに選んだ道。

 私が子供を産める状態だったなら、或いは子供を産んでいたら、状況はどうなっていただろう――なんて考えても詮無い。

 ヒストリアに比べて、私は?

「……私は胸を張れないな」




 ずっと見ていることしかできなかった『この世界』で自分の姿を認知してもらえるようになってから数年。私はニコロさんが営むレストランの料理人として生計を立てていた。身寄りがない人間でも雇ってもらえた経緯はミカサ経由のアルミンの力が大きい。

「ただいま戻りました」

 食器や調理道具を詰めたトランクと共に店へレストランの裏口から入れば、奥からニコロさんが顔を覗かせる。

「お疲れ、リーベ。どうだった、出張料理は」
「問題なく終わりましたよ」

 ヒストリアの暮らす家は宮殿と呼ぶには程遠い、牧場にある一軒家だった。台所も一人で使うにはちょうどいい大きさで、むしろ一人で行って良かったと思う。

「そりゃ良かった。ほっとしたよ、ベルク新聞社の取材受けてから予約が一ヶ月先まで埋まってる上に女王陛下からお声がかかった時にはどうなるかと思ったが……これからは出張料理も『あり』かもな……レストランまで来られない客を相手に……」
「私は構いませんが、自衛できない人間を派遣することはやめてくださいね。最近入った女性シェフとか。難しければ私が担当するので」

 出張料理の問題点をざっと浮かべて釘を刺しながら業務日誌を付けていると、なぜか睨まれた。オーナーに対する口の利き方じゃなかったかなと反省していると、

「リーベ。いつも頼ってばかりの俺が言うのも何だが、たまには休め。頼むから休んでくれ」
「いえ、私、大丈夫です。疲れてませんので」

 休みたくない。
 休んだら、余計なことを考えてしまうから。

「頼むから休んでくれ、って言っただろ。明日は大口の予約が入ってるから気合い入れて朝から来てくれよ」

 そう言われて調理道具一式が入ったトランクを奪われる。今日はもう働くなということらしい。オーナーに刃向かってもいいことはないし、従うしかない。
 業務日誌を片付けていると、

「そういえばこの前入った見習いの新人、辞めることになってさ」
「何かあったんですか?」
「嫁さんに『夜が遅すぎる』とか言われたんだと。何だそれ、みたいな」
「うーん、片付けとか翌日の仕込みとかありますしね……」

 その分、朝の出勤は遅めだと思うけれど。

「ま、何が大事で何が譲れないのかは、人それぞれだよな」

 その言葉は真理を指していると思った。




 今となっては壁のないシガンシナ区に心地良い風が吹く。

 頬を撫でられるような感覚に、過ごしやすい季節だと思いながら職場のレストランから借りている小さな部屋へ戻る。その途中、遠くにミカサを見かけた。花を数本抱えている。

 数年前。エレンの墓の前で助けを求めた私に、ミカサは事情を聞くことはなかった。

『自分でもよくわからない話ですが……何だかエレンが、あなたを私の前へ連れてきてくれたように思えて。兵服を着ているのに兵団に登録されている名前がなかったので、何か事情があるのではないかと……』

 きっと、エレンの死に対して『寂しい』とか、それどころの感情ではないと思う。
 エレンに対するミカサの感情は、家族への情を超えたもののように感じていたから。

『思い出すことはできます。忘れずにいることも』

 どうしようもないくらいの悲しみを瞳に浮かべながら、それでもミカサは静かに微笑んだ。

『だからいつか知りたい。――あなたはどこで、どんな風にエレンと知り合ったのか。どうしてあの場所へたどり着いたのか』

 エレンの墓にいた理由を、静かな眼差しと共に問われた日から私はまだ答えを話せていない。

 ミカサに声をかけることなく、私はその姿を見送る。

 遠くの空を、大きな鳥が飛んでいた。

「私、は――」

 まるで、長い夢を見ているようで。
 現実がどこにあるのか曖昧になる時もあって。

 座標の持つ可能性に改めて驚かされる。過去と未来だけではなくて、あらゆる可能性に満ちた世界に繋がるなんて。

「このまま……この世界で生きるとして……」

 私は胸を張って生きられる?

 無理だ。
 エレンにこんなことをさせてしまった世界で。

 私はエレンを止めようとすらしなかった。
 なのに私はエレンの行為をヒストリアのように受け入れることもできない。

 ふいに赤ん坊の泣き声が聞こえた。

 よみがえるのは私の罪。

 ごめんなさい。
 ごめんなさい。

 私は大丈夫、なんて言ったのに。
 あの人は私を逃がそうとしてくれたのに。

 耐えられると思ったの。
 外へ出ないこと、誰とも話せないこと、何もせずにいること、子供を産むための検査をされること、大切なものを奪われることも。

 みんなは忙しくて、やるべき仕事がたくさんあるんだから迷惑はかけられない。私が耐えれば良いだけだから。
『その程度』で、騒がれたら辟易されるに決まってるから。

 だけど、耐えられなかった。

「ニケ……」

 拠り所を求めて、私の娘じゃないのにあの子を大切にしてしまった。
 大切にすることに、理由はいらないんだと思ったから。

 あの小さな命に救われたのに、私が彼女にしたことは――。

「私にできること、なんて……」

 相変わらず何も答えを見つけられないまま、時ばかりが流れてしまった。

 この世界に来て、十三年。

 ふと思い出す。

 巨人の力を得た者の命が、継承してから十三年に限られていたことを。

 そして、始祖ユミルが巨人の力を得てから死亡するまで十三年だったことを。


(2023/01/26)
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