Novel
空白の年月

 リーベさんにパンをもらった。窯を借りる機会があったから、たくさん焼いたんだって。

 一口食べて、驚いた。

「――こんなに美味しいパンが作れるなんて、リーベさんはすごいね」
「私はすごくないよ」
「すごいよ、毎日食べたいくらいだし」

 ガビはもちろん、ウドやゾフィアまでお礼を言うよりパンにがっついてる。言えよ、お礼。

「ミイラ女、お代わり!」
「おい、ガビ……!」

 ガビに至っては最悪だ。こいつ、リーベさんの名前を覚える気ないのか。

 リーベさんは気にすることなくパンをどんどんガビの皿へ載せながら、

「パンを作るには、畑で麦を作る人と、麦を小麦粉にする人と、釜を作る人と、釜を持つ人が必要なんだよ。だから私はパンが作れたの。私はすごくないよ」
「……そうかな」
「そうだよ、私だけじゃ何も出来ない」

 懐かしそうな表情でリーベさんが言った。

「人は一人じゃ生きられないから、助け合って生きていかなきゃいけない。――昔、私にそう教えてくれた人がいたの。だから皆も、そのことを覚えていてね」




 全員が腹一杯になるまで食べても、まだパンは残っていた。リーベさんに頼んで持って帰らせてもらうことになって、オレは兄さんの分とは別に、クルーガーさんへ渡すことにした。この前の助言のお礼に。

 だけど、首を振られた。

「お前が食えよ。俺はいい」
「でも、クルーガーさん。ものすごく美味しいんです、このパン」

 とにかく勧めて、やっとクルーガーさんがパンを手に取ってくれた。それから一口食べて――動きが止まった。

「…………」
「クルーガーさん? 美味しくないですか?」
「いや……懐かしい味だと思って……」

 ゆっくりと、もう一口かじる。

「このパン、誰が作ったんだ?」
「へ? あの……どうされたんですか?」

 事情を聞けば、昔、クルーガーさんや仲間によく食事を作ってくれた人がいたらしい。でも、その人は数年前に事故で死んでしまったとか。このパンがその人が作ったものと同じ味で驚いたみたいだった。

「……うーん、同じレシピの本を読んだんですかね……?」

 それからオレは促されるままリーベさんのことを話した。
 収容区の端で暮らす老夫婦の娘さんであること。
 昔から寝たきりで、人前に出て来なかったのに――最近になって、外を出歩くようになったこと。
 怪我でもしているのか顔は包帯をたくさん巻いているけれど、全然怖くない、優しい人だということ。

 リーベさんのお腹のことは、うまく説明出来る気がしないというか、そもそも何も知らないから話せなかった。
 今、結婚していないことは確かだけど、未亡人だとかはガリアードさんの想像でしかないし。

「…………」

 クルーガーさんは、黙ってオレの話を聞いていた。

「背」
「え?」
「その人の背は、どれくらいだ」
「ええと……これくらい?」

 オレが手のひらで示して見せたら、クルーガーさんの顔つきが険しいものになった。
 どうしたんだろう。
 さっきからリーベさんのことばかり訊いてくるなんて。

 もしかして、クルーガーさんもリーベさんを好きになった? パンで? まさか。でも、だとしたら、どうしよう。

 兄さんにますます脈がなくなるような気がする。

 兄さんが『獣』を継承したら名誉マーレ人になれるわけだし、その一族の生活は生涯保証される。
 そう考えると、リーベさんは兄さんと結婚した方がいい。
 そりゃあ、そんなことを決めるのはオレじゃない。わかってる。それくらい。
 でも――やっぱりそれが一番いいんじゃないかな。

 クルーガーさんには悪いけれど。

「どうした。元気がないな」

 迷ったところで、クルーガーさんの目を見たら勝手に口が開いた。

「兄さんが、リーベさんのこと好きなんだ」

 言っちゃった。

「……そうか」

 クルーガーさんの返事は淡々としていた。

「兄さんはリーベさんと結婚、出来るかな?」
「無理だと思う」

 即答されて、びっくりしていると、

「多分……怒る人がいる……」
「え……誰……?」
「さあ……」

 どこか困ったようなクルーガーさんの声。

 そのことが不思議だと思った。


(2018/10/20)
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