Novel
ないものねだりの宴

「――上達しましたね」

 最初は死を覚悟する味だったことが懐かしい。今では普通の味だ。
 リーベの淹れたコーヒーにもう一度口をつけ、私はカップを置いた。それから彼女へ改めて顔を向ける。
 シャワールームを貸したのでまだ乾ききっていない彼女の長い髪はしなやかに揺れていた。きっちりと結い上げていた姿とは印象が随分と変わる。

「タイバー家の使用人さんに叩き込まれたからね」

 リーベは小さく笑う。元気そうで何よりだった。数年前、最後に顔を合わせた時の彼女は憔悴しきっていたから。そこですべてを諦めて終わりにしなかったのは彼女の強さ故だろう。そうでなければこちらが提案した死の偽装と島からの極秘脱出も危うかった。

 やはり彼女をジークと引き合わせたことは正解だった。ヒィズルを頼る形にはなったが、それで良かったのだ。

「ジークは素晴らしかったでしょう」
「素晴らしいの定義は何?」
「新しい世界を見せてくれた」
「……人間の内側には、誰しも『世界』があるよ。だから人と関わればいくつでも『新しい世界』を見ることができる」

 そう話してからリーベは言葉を続ける。

「親切にしてもらえたよ。コーヒー淹れる練習、たくさん付き合ってくれたし」
「それはそれは」

 遠縁とはいえ同じ血族だ。ジークも心を砕いたのだろう。一体何杯の練習に付き合ったのか気になるところだ。
 コーヒーを置き、私は足元に置いていたトランクケースをテーブルへ乗せた。

「こちら、頼まれていたものです。あなたの仮眠とシャワーの間に済ませました」
「うん?」
「お返しします。どうぞご確認ください」

 そして私は、彼女の翼――立体機動装置の入ったトランクを机へ滑らせる。
 彼女は早速中を開け、点検を始めた。トリガーを一つずつ押さえて確認しながら、息を吐く。

「……さすが技術班。この二年間、自分で整備してたつもりだけど雲泥の差。使い心地が全然違う」
「餅は餅屋ということですね」
「もち? 食べたら窒息死するヒィズルの食べ物だっけ?」
「注意して食べれば死ぬことはないそうですよ」
「キヨミ様に色々食べさせて頂いたけど『もち』はなかったな……」
「あなたに死なれては困るからでは?」

 なるほどと彼女は頷いて立体機動装置を戻し、そのトランクを閉めた。

「ところで、どうして整備を技術班へ依頼したの?」
「昨日再会した際、あなたが私へ言ったじゃありませんか。立体機動装置の整備がしたい、と」
「言ったね。言葉足らずだったみたいだから謝るよ。私は立体機動装置の整備がしたいから道具を揃えて欲しかった。それをイェレナは技術班へ整備そのものを依頼した。……立体機動装置の扱いは以前にも増して機密扱いになって、整備手続きは使用者本人が持ち込むことが義務化されている。ましてやこの型は旧型でも新型でもない私専用の改良型。――何か言われなかった?」

 私は肩をすくめる。

「特に何も。私はただ『お願い』しただけですよ」
「……銃で脅した?」
「ご想像にお任せします」
「脅して、整備を終えた後に殺したんだね」
「いいえ、殺してはいません。あなたが気に病むと思いまして。口枷付きで牢へ繋いでいます。あなたが生きていることは秘匿しなければならないので」

 レベリオからパラディ島へ帰還した直後は行動を著しく制限されたものの、今は違う。
 切り札であったジークの脊髄液入りのワインによって、イェーガー派同様に私も監視される立場から監視する側へなれた。窓に鉄格子のない部屋へ移れた。
 おかげでリーベの手助けもこうしてできる。

 彼女は唇を引き結ぶ。その瞳には過去にも見た哀しみの色があった。

「――そういうことは、もうやめてほしい。これ以上、私のせいで何かあったら……」
「あなたは守られるべき存在です。そこに注文を付けられては守れるものも守れなくなる。だから私にはわからない。――なぜ戻ったのです? この島は危険です。あなたにとっても悪夢そのものでしかないでしょう」

 彼女を閉じ込め、自由を奪い、都合良く扱った挙句に苦痛を強いた者たちへの制裁のために戻ったならば話はわかるが、彼女に復讐の気配は感じられない。

「……一言で言えば誤算、かな……私も戻るつもりはなかったんだけど……」

 彼女は長く息を吐いた。
 私は時計を確認して、腰を上げる。

「何か事故があったようですね。気が向いたら話してください。――これからピクシス司令との食事会です。リーベ、あなたもご一緒にいかがです?」
「死人が歩いて現れたらびっくりさせちゃうよ。それに、私が死んだままの方が都合良いんじゃなかったの。私の生存はイェレナの切り札の一つでしょ」

 私のコーヒーカップを手に取り、流しで洗いながらリーベが怪訝な顔つきになる。放置しておけば良いのにと思いながら私はジャケットを羽織る。

「その通りですが、今のあなたの顔を見て考えを改めました。――この際、蘇っても問題ないのでは? ジーク、エレン、彼ら兄弟によって世界は生まれ変わります。あなたは表舞台でもう虐げられることなく思うままに力を振るうことが出来ます」
「……ヒストリアと、彼女の子供を犠牲にして?」
「犠牲という考え方がおかしい。共に生きる、です」
「私は子供を産めない身体だから、あの子一人に全てを負わせてしまった」
「女王はあなたを責めませんよ。あなたもそれはわかるでしょう。子が産めない? これからはエルディア人の誰もがそうなります。卑下する必要はありません」

 ジークとエレンによって世界は新たな局面を迎える。
 そのために、私は――

「表舞台、か」
「何ですか?」
「イェレナやエレンたちの今いる場所が舞台の中心なら――私は舞台裏の暗い場所にいたい」

 その方が落ち着く性分みたい、とカップを洗い終えた手を拭きながら彼女が話す。

「私なりに世界を見て回って思ったよ。――人間は、どこにいても誰だって『ないものねだり』するものだって」
「…………」
「私の立場と価値を手に入れたい人はきっとどこかにいる。私には、いらないものなのに。そしてどこかの誰かが当たり前のように有しているものを、私は欲しくて仕方ない。……絶対に、手に入れられないのに」

 そう話しながら窓の外を眺める瞳は憧憬に満ちていて、とても当代の姫君には見えない平凡な女そのものだった。

「……そうですか。では、このままごゆっくりお過ごしください。あなたには心穏やかに、健やかに過ごしてもらうことが私の望みの一つです」
「私の身体には色んな使い道があるから?」

 始祖ユミルの主人たるフリッツ王家の血筋。
 いにしえの神に愛された預言の巫女の血筋。

 彼女の身体一つに、どれだけの未来の可能性が束ねられているのかは計り知れない。

 その身に宿す血統を思うと『私が彼女なら』と考えることもあった。
 私なら光のない舞台裏に引きこもることは絶対にしない。

「そうですね、それは否定しませんが……」

 少し考えて、答えを探す。

「きっと、あなたという人間に好意を抱かずにはいられないからでしょうか」

 不思議な人間だ。私の欲しくてたまらないものを不要と切り捨てる姿に腹立たしく感じる感情が掻き立てられると同時に――愛しさが、確かに込み上げるから。

 するとリーベは少し考えて口を開く。

「――ありがとう。だけどイェレナは私を殺せるよね」
「……そうですね、ジークの意思に因るところではありますが」

 イェレナらしい、とリーベは笑う。

 苦笑混じりのとても素直な笑い方に、私も思わず頬が緩んだ。


(2022/01/10)
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