Novel
君のためのゆりかご

 海ん料理は、とんでんなかった。
 あげな味が、あげな料理があったなんて。

「リーベさんも食べられたらいいにぃ……」

 しもうた、訛りが出た。――よし、頭の中からも訛りを消せば大丈夫だ。

 リーベさんの部屋のソファで、私は姿勢を正して言い直す。

「リーベさんにも食べて欲しいです」

 すると向かい合って座るリーベさんが目を伏せた。

「私も食べてみたいな……でも、だめみたい。ごめんね」

 私も止められた。リーベさんへ持って行こうとニコロさんの料理をお皿に取り分けていたらジャンに止められた。絶対にだめだって。
 食べたらどうなるかわからない怪しいものをリーベさんに食べさせちゃだめだって。私がもう食べたのにと話しても、そういう問題じゃないと言われた。もしかしたら何年も経ってから影響が出るかもしれないし、私たちの身体とリーベさんの身体を同じものとして扱っちゃだめだって。
 わからないなりに理解した。納得はできなかったけれど――だからせめて食べた感想と料理の説明だけを必死に伝えることにしたら、リーベさんが眉を寄せた。

「その魚、毒あるんじゃなかったっけ? 大丈夫なの? 同じ魚を食べた夫婦が旦那さんだけ毒にやられて倒れたって新聞で読んだよ」
「ニコロさんが言ってました、確かにその魚は毒を含む部位があるけれどほんの一部だけだから、そこをしっかり取り除けば平気みたいです。知りもしない魚を素人が捌くもんじゃないって。だからマーレじゃ専門の資格もあるらしくて、それを持ってる人しか仕事で魚は扱えないそうですよ。――毒で思い出しましたけど、身体の調子はどうですか?」

 旧王政打倒に伴って、新たな王座に就いたヒストリア。その従姉妹だと明らかになったリーベさん。兵長と結婚したから王家の人間じゃなくなったけれど、それは表向きの話であって、大多数がリーベさんを王家の人間として扱う。王家の血が流れていることには変わりないから。
 少しずつリーベさんの行動が制限されて、今じゃ以前のように自由に外へ出ることができなくなった。他にも立体機動の訓練を禁止されたり――理由は、危険だから。その身に何かあってはいけないから。エルディアが世界と渡り合うために必要な身体だから。
 女王になったヒストリアと良い勝負だ。ヒストリアはもう立体機動の訓練はしないし、女王の仕事ばかりで自由な時間はほとんどないって前に聞いた。
 そんな風に、おかしな守られ方をしていたリーベさんとヒストリアが、狙われた。毒を盛られた。

 リーベさんが長く息を吐く。

「……紅茶に何か盛られたら香りで気づけたと思うんだけどね、カップの飲み口に毒が塗られてたなんて……この場合、いつ気づけばいいんだろ……これからは自分で拭ってから飲むのが最善ってことかな……」

 そして椅子の背へもたれて、そのまま脱力する。

「油断してたなあ……義勇兵とマーレ兵が上陸して、海の向こうばかり注視してたけど、壁の中……じゃないや、島の中は一枚岩じゃないってこと、忘れてなかったつもりなのに」

 リーベさんが先に飲んで止めたからヒストリアは無事だった。不幸中の幸いと誰かが言ってたけど不幸しかないと思う。だってリーベさんが倒れたんだから。
 ナントカカントカって種類の毒だったからすぐに解毒薬の注射を打ってことなきを得たらしい。兵団の医療班が頑張った。処置が早かったから後遺症とかもなくこうしてお茶の時間を一緒に過ごせるくらいだ。リーベさんが無事だからほっとして、アルミンに教えてもらった細かいことは覚えてない。

 ちなみに犯人は見つかっていないらしい。王家の使用人として雇われていた人間が一人、姿を消したけれど身元を洗えば何もかも偽造されたものだったとか。

「気をつけてたつもりだけど全然注意が足りなかったね。ますます自由に動けなくなったし、今度海を見に行けるのは何年後になるか……」

 今のリーベさんは暮らしている兵舎内にいる。働くために兵団本部に行くことも許されなくなって、ここから出るためにはたくさんの許可が必要でハンジさんやアルミンが行う手続きが大変だからとリーベさんは遠慮している。許可が取れたところで一人じゃ出られないし。

「護衛役が必要なら私がやりますよ、一緒に行きましょう! ニコロさんとリーベさん、きっと気が合うと思うんです!」

 リーベさんはちゃんと強い人だから護衛なんていらないと思う。だけど、周りが納得しないから。それなら私が引き受けようと思った。

「もしも何かあっても、今度は私が助けます! 約束ですよ、リーベさんを傷付ける人はリーベさんでも許しませんから」
「……ありがとう。頼もしいね、サシャは」

 リーベさんは曖昧に笑った。

 いっつもえごんいぃしじゃなあ、と思っていた頃が懐かしい。

 だって最近リーベさんはよくこの笑い方をする。元気のない笑顔。見ていると、寂しくなる笑顔。

 静かにカップを置いて、リーベさんは窓の外を見た。よく晴れているけれど、今日は雲が多い。

「……新婚旅行、こうなる前に行けて良かった。今じゃ絶対できなかったと思う。ありがとう、私を連れ出すための調整とか色々大変だったでしょ?」

 半年前に決行された、リーベさんと兵長の新婚旅行。正直なところ私は何もしてない。アルミンやジャンに指示されたことをしただけだった。
 それに、新婚旅行のために誰よりも一番頑張っていたのは――

「誰かー! ちょっと来てくれー!」

 コニーの呼び声だった。
 切羽詰まった風ではないけれど、少し困ってそうな感じだ。

 リーベさんが腰を上げて、また椅子に戻った。自分の部屋を出るにも今じゃ許可制だから。これから許可を取って実際外へ出られるには数日かかるだろう。

「ちょっと見てきますね」

 私は一人で窓から外へ出て、声のする場所へ向かった。

 コニーがいたのは兵門の前で、その腕の中には赤ん坊がいた。捨て子だとすぐにわかった。だって、珍しいことじゃない。道端にいる孤児や捨て子なんて訓練兵の頃からよく見かけた。その度に教官に命じられて誰かしらが孤児院へ連れて行ってたっけ。

 コニーに抱かれた赤ん坊は泣きもせず、ぱちぱちと瞬きしながらあうあうと声を上げていた。

「この中にこいつがいて……今朝はなかったのに……」

 足元には小さな籠があった。ぼろぼろで、少し穴も空いている。この中に赤ん坊が寝かされていたらしい。

「困りましたね……ここまで小さいと孤児院の受け入れ、してもらえましたっけ……」

 コニーと一緒に首を傾げていたら、後ろからジャンが来た。

「おい、そろそろ港造りに行かねえと。いつまで経っても完成しねえぞ」
「わかってんだけどさ、ここに生まれたてほやほやの赤ん坊が……」

 コニーに抱かれている赤ん坊に、ジャンが顔をしかめた。

「孤児院へ連れて行くしかねえだろ。母親を探して見つけても、その人がここへ捨てた以上は何の解決にもならねえだろうし」
「じゃ、ヒストリアのとこに預けるか」
「あそこはまだこんな小さな子は無理ですよ。せめて歩けるくらいじゃないと」

 じゃあどうするのか、と三人で考える。

「誰か面倒見てくれる人を探すしかねえな」
「全員クソ忙しいのに?」
「時間がある人なんていませんよ」

 私だって忙しい。ニコロさんの料理を食べに行く時間を削ることはできない。絶対にだ。
 私の両親に預けるのはどうだろう。
 去年に村が巨人にやられた時、親をなくした子供を何人か引き取った。さすがに赤ん坊はいなかったけど。
 カヤ、元気かな。今度また会いに行こう。しばらく港造りに忙しくなるから、いつになるかわからないけれど。

「――私が探すよ」

 澄んだ声に顔を向ければリーベさんだった。
 外套とフードをすっぽり頭から被っている。どうしてそんな隠れているみたいな格好をしているのかわからなかったけどすぐ思い出した。本当なら外に出ちゃいけないから周りにバレないようにしてるんだ。ここは門だから厳密にはまだ兵団の敷地内だけど、勝手に外に出ようとしているのでは?と疑われると厄介なことになるのは私でもわかる。
 四六時中付きっきりで見張られてるわけじゃないからマシだと前に話していたけれど、『どんぐりの背比べだ』と誰かが言っていたっけ。意味はよくわからないけど。子供でもないのに誰がどんぐりの背を比べるんです?

「ほら、皆はそろそろ海に行かないと。そろそろ交代の時間でしょ?」
「時間は――うわ、やべ。馬飛ばしてもギリギリ……すみませんリーベさん、お願いします」

 コニーの手から、リーベさんの腕の中へ赤ん坊が移動する。相変わらず泣かない子だった。

「泣く元気、ないのかな……まず医療班に診てもらわないと……首はもう据わってるね。怪我はなさそうで良かった」
「預ける当てはありますか」
「うーん……ナイルさんのところのマリーさん……は、最近忙しいみたいだし……これから探すよ。エルミハ区に新生児用の孤児院あった気がするし」
「そこ、運営してた婆さんが死んでこの前なくなりましたよ」
「そうなの? 困ったね……」

 ジャンの話にリーベさんが顔をしかめた。

「――その子、いっそリーベさんが育てるのは?」

 軽い調子で提案したコニーに、リーベさんはすぐに首を振る。

「無理。だめ。出来ない。ゲデヒトニス家で使用人やってた頃だって育てたことないんだよ。赤ちゃん、いなかったから」

 どうやって育てたらいいのかわからない、とリーベさんが力なく言った。
 その姿に、何だか寂しくなる。リーベさんに出来ないことなんて、ないのに。
 リーベさんは何だってできる。私はそれを知ってる。
 前まではリーベさん自身もそれをわかっていたと思う。
 でも、最近のリーベさんはちょっと違う。行動を制限されるようになってからは特に。
 以前の比べて、小さくなってしまった気がする。それは見かけのことではなくて、何だろう。うまく言葉にできないけれど。

 とにかく、だからこそ、私は何かこの人へ言わずにいられなくなる。

「どんな母親も最初は育てたことない状態から始まるじゃないですか」
「それは、そうだけど」
「リーベさんはやったことないから不安なだけですよ、案外何とかなります。赤ん坊はおっぱいとか飲ませて、おむつ替えて、寝かせて、あとはこう、抱っこして揺らしたりしてあやすんです」
「簡単に言わないで。それに、揺らすのは脳震盪になるからだめだよ」
「そこまで揺らせたあ言うちょらん」

 しもうた、訛りが出た。頭の中からも訛りを消さないと。

「おい、何をしている」

 兵長の声にコニーとジャンが飛び上がった。足音が近づいてるなあと気づいていたから私は驚かない。

 リーベさんが振り返ると、ぱさりとフードが外れた。兵長がすぐに手を伸ばしてリーベさんの頭へ優しくフードを被せる。

「何があった」
「ごめんなさい、勝手に外へ出て……あの、この子がここにいて……」

 短い説明で兵長は色々わかってくれたみたいだった。

「ヒストリアの孤児院に預けるにしても歩けるようになるまでは無理なので、それまで預かってくれる方を探します」
「お前が出歩くと中央に付け入られる。他の兵士も割けねえぞ。港の作業工程が遅れてる報告が来た」

 それを聞いて、ジャンが慌てて厩へ走る。俺たちの馬も頼んだとコニーがその背中に叫んだ。

 港造りが最優先だ。でも、母親のいない赤ん坊はここにいて、先送りにできる問題じゃない。なのに解決法がわからない。アルミンに相談したいけど――。

 そこで赤ん坊がふにゃふにゃと声を上げ始めた。泣いてるわけじゃない。弱々しいけれど、一生懸命に何かを訴えるみたいに。その小さな手で、リーベさんのおっぱいをぐいぐい押し始めた。多分お腹が減ってるんだろうな。

 その姿をじっと見下ろして、リーベさん戸惑うみたいにぱちぱちと瞬く。赤ん坊は相変わらずよく動いている。これくらい小さいと、人間よりも動物に近いような気がする。『人間も動物の一種だよ』と訓練兵の頃にマルコに教えてもらったことがあるけれど、感覚的にそう思う。

 少しして、リーベさんが口を開く。

「――孤児院に預けられるようになるまでの一年、私が育てます。最初は医療班に教わります。私なら時間もあるし、ずっと兵舎にいますから」

 それから兵長へ顔を向ける。

「その間は部屋を分けましょう。あなたの生活に邪魔になると思いますし」
「却下だ。二人で面倒見ればいいだろうが。――こいつの名前は? どっかに書いてるか」

 有無を言わせない兵長と、赤ん坊が包まれている布や最初に入っていた籠の中を私とコニーであちこちから確認したけれど、何も書かれてなかった。
 リーベさんが少し考えてから、兵長を仰ぐ。

「名前、『ケニー』にしません?」

 誰だろう、ケニーって。
 リーベさんの口ぶりからして恩人みたいだけども。
 ぱっと浮かぶのは都市伝説の『切り裂きケニー』。でも、そんな縁起悪いものを名付けに使うとは思えないし。

「こいつは男なのか」
「ええと……あ、女の子ですね。じゃあ――『ニケ』はどうしょう」
「悪くねえ」

 リーベさんは赤ん坊――ニケへ顔を寄せた。

「ニケ、よろしくね」

 相変わらずふにゃふにゃ話すニケと、リーベさんの柔らかい声。以前と変わりなく笑うリーベさんの顔を、久しぶりに見た。

 そこでジャンが全員分の馬を引いて来てくれて、私たちはそれぞれ跨る。やっと海へ向かうことにした。
 早く港を完成させたら、きっといいことがあるように思えた。ボウエキだかコウエキで手に入る材料が増えれば、私がまだ知らない美味しいものも食べられるってニコロさんも言ってたし。

「リーベさん、行ってきます!」
「うん、気をつけてね」

 ニケを抱いたリーベさんが笑って見送ってくれた。前のリーベさんに少し戻ったように見えて、何だか嬉しくなる。ほっとした。

 それから馬で駆け出すと、胸が高鳴る。向かう先にはあの人がいるから。

「今から行きますよ、ニコロさん」

 今日もおいしい海の料理、食べられるといいな。


えごんいぃし…笑顔で愛想の良い人
【上】(2021/11/27)
【下】(2022/01/01)
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -