Novel
儚き慟哭の夜

 その空間を見つけたのは偶然だった。

「こんなところに……」

 地下書庫で資料を集めている最中に扉を見つけた。そこにあると知らなければ絶対に見つけられないような小さな扉だった。
 取っ手を握れば、かなり軋んでいるがどうにか開けられた。
 その先は扉と同じくらいの通路があって、四つん這いにならねえと通れない大きさだ。

 埃まみれになって咳込みながら通り抜けると、そこはまるで秘密の隠れ家のような場所だった。

 元々は酒の貯蔵庫だったんだろうと思ったが、酒瓶は一つもない。中には小さな机と古い毛布とランプしかなくて、全体的に埃が積もっているだけだった。少なくとも数年前までは誰かが定期的に使っていた痕跡がある。

 そこで不意に記憶が結びつく。

 数年前――852年の暮れに聞いた声の主は『ここ』にいたんじゃないだろうか、と。

 そんな声を聞いたのは後にも先にも一度だけで、そんな出来事も今まで記憶の彼方へ消えていた。

 きっと、あの時『誰か』はここで感情のすべてを押し込めていたのだろう。




「フロック、まだその資料揃ってねえのか」
「今探してる。ちょっと待て」
「……リーベさんならいつもすぐに見つけて出してくれたぞ。手伝ってもらえば?」
「駄目だ。特務隊長はもう管轄外になった」

 中央から命じられて、リーベ特務隊長がすべての業務から外れることになった。結果、彼女の仕事はすべてジャンと俺に割り振られた。つまり、書類業務全般。調査兵団員それぞれから回ってくる各種申請書、届出書の受理と手続き、各班長から提出された日誌及び報告書の確認とまとめ、会議資料として使用する書類をチェック、必要資料との紐付け、不足資料添付、適宜回覧、幹部への稟議とその内容の精査、各兵団及び中央への様々な連携に伴う書類提出――他にも山ほどある。

「私にしか出来ない仕事なんてないし大丈夫、二人にも出来るよ。難しくないよ」と特務隊長は軽く話していたが、実際やってみると全然何も大丈夫じゃなかった。この量を一人でどう捌いていたんだ。昔はもっと複数人でやってたって聞いたぞ。おかしいだろ。
 聞いた通り、決して難しくはないが――複雑すぎたり細かすぎたり、ややこしい。ひたすら時間を奪われる。ジャンと二人掛かりでも手に負えない。何とかやり遂げて終わったと思えば不備があって差し戻されてやり直すことになったり、その間にも違う書類が届いてどうにもならなくなる。
 せめて自分のペースで進められたら良いんだが、連携が肝だしそうはいかないんだよな。忙しい時に限って面倒な書類が回って来たりするし。書類の書き方や基礎を覚えようとしない馬鹿の質問にはやたら時間を割かれるし。

 こんな時、マルロが生きていたらと思う。ウォール・マリア奪還作戦で、あいつも生き残って欲しかった。俺は泣いて喚いてばかりのガキだったのに、あいつは周りを鼓舞し続けていた兵士だったから。頭も良かったし。
 お前がやるべきは前線で死ぬことじゃなくて後方からの指揮や縁の下の力持ちみたいなことだったと俺は今になって思うぜ、マルロ。

 現実逃避しても仕方ない。でも、出来る気がしない。
 どうすれば良いか疑問をぶつければ「慣れだよ、フロックにも出来るよ」と特務隊長は笑っていた。ヘタクソな笑い方だった。もう前みたいに笑うこの人を見ることはないんだろうなと思った。

 特務隊長の頭に巻かれた包帯はあれから数ヶ月経っていても取れないようで、よく生きているなと思う。顔はもう薄傷しか残ってないが、兵服の下はどうなっているやら。サシャが撃った弾も身体を貫通したんだろ?
 まあ、特務隊長がしたこととされたことを思うとそれで済んでいるのが不思議だが。
 エレンから話を聞いた限り、死んでいてもおかしくなかったし、その方が特務隊長は救われたと思う。

 そのことに感慨はない。
 他の104期兵と違って、俺は特務隊長と仲良しでも何でもねえし。
 訓練兵時代の炊事実習だって適当に受けてたから当時から大して話したこともなかったし。

 ただ、エルヴィン団長が生きていたなら、もっと特務隊長を上手く『使う』だろうなと思っただけだ。何もさせずにじっとさせる、お飾りの幹部にはしないだろう。

 雷槍の訓練を終えて机へ戻ると積み上がっていた書類があった。軽く眺めて舌打ちする。どいつもこいつも書類に不備が多すぎる。おかげでこっちの仕事が止まるんだ。その不備を直す手間と時間を奪われるんだ。こっちのミスのきっかけになるんだ。
 突き返してやり直させても良いが――軽微な修正なら俺が直す方が早い。苛立ちながら処理をして、今までは特務隊長がそういった細かい穴を埋めていたんだとやっと理解した。

 これまで特務隊長が周りへ指導していたのは大きな穴でしかなかったんだ。俺も教えてもらったことがあるが、細かいことは言われなかった。

 特務隊長みたいな人のおかげで調査兵団が保たれていることを思い知らされると同時に、今後を考えると陰鬱になる。

 兵士の本質は戦うことなのに――

 俺でさえ調査兵の古株扱いになっている事実を思い知らされながら、暗い地下書庫へ足を踏み入れる。必要な過去資料がここにある。

 ランプを手に目当ての資料を探していると、違和感があった。

 何か聞こえる。

 声だ。

「誰か……いるのか……?」

 声をかけても返事がない。

 声はするのに姿は見えない。

 慟哭と呼ぶには弱々しい、けれど悲痛なその声は、確かに聞こえるのに。

 悲哀と絶望、苦しみとか――そういった感情が押し込められているようで、聞いていて落ち着かない。

 亡霊だとは思わない。そんなものがいたなら、調査兵団本部は昔から霊だらけだ。

 だが、生身の人間とも思えなかった。

 どれだけ書庫を歩いても、声の主は見つからなかったから。

 どこからか吹き込んだ隙間風でそう聞こえただけだろうと結論付けて、資料を見つけた俺は地下書庫を出た。


(2021/08/22)
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