Novel
ブラックボックス

 立体機動装置のメンテナンスは使用者各自で行う。それに加えて定期的に技術班で隅々まで分解して徹底的に整備をしてもらうのが兵士の常だ。

「アッカーマンです。立体機動装置の引き取りにきました」
「はいよ」

 技術班のある工房の奥から立体機動装置を収納した専用トランクが運ばれてきた。早速中身を確認する。
 トリガーを引く感覚に違和感がないか順番に操作しているとリーベさんが工房へ入って来た。顔色は良くないけれど背筋はしっかり伸ばされていて、歩みに迷いはない。兵服姿で、長く伸びた髪はきっちり結い上げている。
 目に見えるところに包帯はなくて、そのことにはほっとしたけれど、同時に不安になる。

「リーベさん」

 思わず声をかけると、リーベさんが私を見た。寝不足なのか、隈ができている。

「おはよう、ミカサ」
「身体の調子は……」

 違う。慮るべきなのは身体だけじゃない。でも、言葉にできない。
 言い淀んでいると、それを汲むようにリーベさんが小さく頷いた。

「ありがと、もう大丈夫。医療班からの許可はちゃんと出てるよ。寝てばかりも心身に良くないからってね。――中央からの立体機動装置使用許可証です。確認をお願いします」

 リーベさんの手には紙束。かなり厚い。それを技術班の人が受け取って、一枚ずつチェックを始めた。

「……使用許可、下りたんですか?」

 兵士が立体機動装置の使用許可を一々中央へ求めるなんてどうかしている。
 でも、それがリーベさんに掛けられた枷の一つだった。

「うん、今日の新兵器開発実験の間に限るものだけど。私が発案者の一人だからどうにかこうにか。身体の調子も戻せたし、ウォール・マリアの巨大樹の森でやるからどうしても機動力が欲しくて」

 その言葉にはっとする。

 立体機動装置の使用許可は、てっきり敷地内での訓練のためだろうと思い込んでいたから。

「外へ……出るんですか……?」

『例の一件』は、アルミンとハンジさんが揉み消した。真実を、違う出来事へ置き換えた。詳しくは知らない。だけど、そのおかげでリーベさんは今も調査兵団にいられる。

 なのに――『外へ出る』?

 それ以上の言葉を見つけられずにいると、リーベさんが思い出したように声を上げる。

「サシャは元気? あれから全然顔見せてくれなくて。弾は肩を貫通するように撃ってくれたことわかってるし、撃ってくれなきゃ私は死んでたし、気にしないでって手紙書いたんだけど。読んでくれてないのかな」
「……サシャは……」

 マーレの料理人、名前は何だっただろう。
 最近はその人とよく一緒にいるのを見かけるけれど。

「ニコロさんだっけ。良い人みたいだね。噂はよく聞くよ。私も会えたらいいのに。海の料理、食べてみたいな」
「それは……」
「うん、難しいよね。わかってる。――私の身体を私が自由にできることは、もうほとんどない」

 そこでリーベさんの立体機動装置が専用トランクに入れられて運ばれて来た。

 リーベさんはほっとしたようにそれを抱き締める。かけがえのないものを抱くように、強く。

 それから中身の確認を手早く終えたリーベさんが専用トランクを持った。その手を私は思わずつかんでしまう。私よりも小さな手は、簡単に捕まえられた。

「ミカサ?」
「外は……危険なので、出ない方が……また、リーベさんに何かあったら……」

 そこでリーベさんが目を伏せて、うつむく。私からは顔が見えなくなる。

「――私を閉じ込めようとしないで欲しいな」

 その言葉で思い出したのはエレンとカルラおばさんのやり取りだった。

 カルラおばさんがエレンへ叫んでいた言葉。

 十年近く昔のことでも、鮮やかに思い出せる。それに反発していたエレンの言葉も、すべて。

 私は今、リーベさんに何て言った?

「あの……」
「――ごめんね、心配してくれてるのに。ありがとう、私は大丈夫だから」

 言い淀んでいたら、優しい声に包まれる。それからゆっくりと私の手からリーベさんが離れた。

 リーベさんが顔を上げて、明るい表情で私を見る。無理やりに作ったような表情だった。

「じゃあ、もう行くね。アズマビトの整備士さんたちも実験を手伝ってくれるから待たせられないし」

 そしてリーベさんは工房の外にいたヒィズルの護衛役の人たちと合流して調査兵団の敷地を出て行った。

 結局私はすぐに見えなくなった後ろ姿を見送ることしか出来なかった。




 ウォール・マリアにある巨大樹の森で爆発事故が起きたと一報が届いたのは、その日の夕方だった。原因を聞けば、試作中の新兵器を起爆したら想定以上の威力で現場を吹き飛ばしたらしい。
 爆破によって、起爆地点――つまり起爆操作を行った一人の兵士が巻き込まれて死亡した。死体は現在も見つかっていなくて、新兵器は雷槍よりも数十倍は強力な、骨さえも残さずに消し去る程の威力が想定されてから無理もないと実験計画書を眺めながらアルミンが呟いた。現に現場にいた人間はほとんどが骨折や火傷の重傷だ。医療班の見立てでは命に別状はないけれど、多数がまだ意識が戻らないらしい。
 そんな中で、一体誰が死んだのか。
 死体の代わりに、現場に唯一残った立体起動装置の核――ブラックボックス。その製造番号がリーベさんのものと一致した。

 消火活動と同時に降り出した雨によって鎮火した巨大樹の森の前で、私たちはその知らせを聞いた。エレンは傘も差さずに黙って森を見ていた。私はエレンへ傘へ傾ける。自分の肩が濡れ始めたけれど構わない。するとアルミンが私の身体を半分入れてくれた。三人で二つの傘を使う形になる。

 近くにいるジャンもコニーも黙って立ち尽くしている。

 サシャはいない。待機を命じたハンジさんは正しかったと思う。

「例えば……リーベさんが別のブラックボックスを持っていて……現場に残ったのはうっかり落としたヤツだったりする可能性はねえのかな……つまり……リーベさんが生きてる可能性って、ねえのかな……?」

 コニーが掠れ声で言った。そうであって欲しいと願望を込めているのがわかった。
 だけど、ジャンが首を振る。

「ありえねえ。ブラックボックスは中央の工房でしか作られない門外不出の秘。調査兵団の技術班だって作れない代物だ。管理も徹底されている。さっき問い合わせたが盗難や紛失の履歴もなかった。ブラックボックスがないと立体機動装置は動かないし、立体機動装置の速度がないと実験兵器が起動するより早く起爆地点を離れられない……クソッ」

 ジャンが舌打ち混じりに答えて、頭を抱えた。
 アルミンもその言葉に反論せず、じっと考え込んでいた。

「そんな……」

 じゃあ、本当にリーベさんは死んでしまったの?

「ハンジさんと兵長は……?」
「召集された。何でリーベさんに外出許可を出した上に実験への参加を認めたのかって」

 誰も、何も言わなくなった。

「…………」

 ふと、思い出す。いつのことだっただろう。キヨミ様と話すリーベさんを遠目に見た時のこと。

 どうしてか気になって、後でキヨミ様へ訊ねることにしたっけ。

『リーベさんと何の話をされていたのですか』

 キヨミ様は微笑んだ。

『ヒィズルの神話です。いにしえの物語ですね』

 一体どんな話だったっけ。

 そもそもなぜ、こんなことを思い出したのだろう。

「…………」

 わからない。


(2021/03/09)
cf: 50万打企画『そして彼女は楽園の向こうへ降り立つ』
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