Novel
851年の日常

 記憶の奥から思い出しては心が満たされる幸せな景色がある。
 つらい開拓地生活でもエレンとミカサがいて、笑いが溢れる時間もあったこととか、過酷だったけれど104期兵の仲間たちと過ごした訓練兵生活の風景や、幼い頃から夢に見ていた海を見た日の眺めとか――そのうちの一つを僕は思い出す。

 あれは、851年のことだった。まだ義勇兵もマーレ兵もこの島へ来ていなかった頃だ。
 稟議をまとめてそろそろ眠ろうと真夜中に通路を歩いていると、兵舎の屋根に座る人影が見えた。
 誰だろうと思って目を凝らしたら、リーベさんと兵長の後ろ姿だった。
 リーベさんは兵長の隣にいて、その肩に頭を預けていた。リーベさんの髪に兵長は頬を寄せていた。
 何をしているんだろうと思って、二人で星空を眺めているんだと気づく。
 声を掛けるのは野暮だから、そのまま立ち去った。
 寄り添う二人の背中、いつまでも見ていたいような景色を心の中へしまって。
 それがいつまでも続く日常だと信じて。

 約束された日々なんて、そんなものがないことはとっくの昔から知っていたのに。




 リーベさんの執務室は、いつも人が多い。

「コニー。帳簿の金額と実際ある金額が一致してないんだよね? それならまだ提出しちゃ駄目だよ。一致させてからまた来て」
「は、はい! すみません!」
「ざっと見るに、先月まで毎月支払いあったものが今月ないのが原因じゃない? 支払い不備なのか確認して」
「わかりました!」
「次、サシャ。班の訓練内容、もう少し難度上げてみない? サシャの班なら全員問題ないと思うんだけど」
「お腹が減って力が出なくなります!」
「はい、ここに今朝焼いたニンジンのケーキがあります」
「これをおやつに頑張ります!」
「次、ジャン。この予算計画だと甘い」
「そこを何とか!」
「私が通しても次の兵長かハンジ団長の決裁で止まるよ。もう少し内容を詰めて。後で用途が変更になることを心配してるならその時に一緒に考えるから」
「……わかりました。やり直します」

 しばらく待って、やっと僕の順番が回って来た。

「次、アルミン。資料にまとめて提出してくれた壁外計画の稟議だけど、これはちょっと――」
「リーベさん!」

 僕は声を張り上げて、リーベさんの言葉を遮る。この壁外計画に味方してもらうために。

「リーベさんの新型立体機動装置の所有許可を、取ってきます」

 間があった。リーベさんは僕の心を見透かそうとするような眼差しになる。

「……旧型装置を取り上げられた上に新型装置だと事故が起きると危険だからって意味不明な理由で兵士の中で『私だけ』が中央から使用どころか所持の許可、降りなかったのに? それが取れるの? 本当?」
「議会に通る案を出せます。使用許可は都度申請が必要になりますが、所持を認めさせることは可能です。非常時に於けるリーベさんの有用性を解くことはこれまでの戦果から容易かと」
「……なるほど。向こうが渋ってるのは私が使用することだから、そこまでなら一先ず大丈夫そう。――所持だけじゃなく装備の許可までお願い出来る?」
「わかりました。やります」
「……じゃあ、この稟議にある計画に私も協力するよ。憲兵団はナイル師団長に話を回しておくから、兵長とハンジ団長の説得とピクシス司令への根回し頑張って」

 リーベさんが計画書の稟議にサインしてくれた。やった。あとは兵長とハンジ団長だけだ。これなら行ける。
 隣からジャンの『ずるいぞ!』と言いたそうな視線が向けられたけれど、構わない。
 安堵の息をついていると、リーベさんが口を開く。

「アルミン 」
「は、はい」
「私の新型立体機動装置は『これ』でよろしく」

 大きな紙が机を滑るように出された。見れば、それは設計図だった。

「『新型立体機動装置・改』……これ、リーベさんが書いたんですか?」
「そうだよ」
「……すげえ……技術班みてえ……」

 隣から設計図を覗き込むコニーの呟きに、僕も同じことを思った。

「元々の立体機動装置と対人立体機動装置の設計図をそれぞれ分解して欲しい機能を取って足しただけだからそんな大したものじゃないよ」
「口で言うのは簡単ですけど……よく書けますね、こんなの」

 見れば見るほど精密で、正確な線とバランスが構築されていた。もちろん技術班の修正や調整も入るだろうけれど、精度は高いと思う。

「どうしたの?」
「……いえ、もしも対人制圧部隊がこの装備だったら、きっと僕たちはあの時に全滅していたと思って」

 彼らの武器には決定的な欠陥があった。その点があったから対策を講じることが出来たんだ。
 そのことを思い出していると、リーベさんが小さく笑う。

「どんな武器も進化してこそ。対巨人立体機動装置だって、初期は縦軸しか動けなったんだから」

 そういえばそうだった。座学で習った歴史を思い出して、ふと思う。

「リーベさんって、技術者から指南を受けたことがあるんですか?」

 訊ねれば、そのタイミングで扉がノックされた。

 どうぞ、とリーベさんが応じると兵長が姿を見せた。

「リーベ、中央から召集だ」
「わかりました。――じゃあみんな、後は明日に」

 順番にリーベさんの執務室へ集まっていた面々が部屋を出る中、僕は広げた資料と稟議を封筒に入れて片付ける。

 二人の会話が聞くともなしに聞こえてきた。

「正直、同じ話に何度も付き合うほど暇じゃないんですけれどね。きっと中央は暇なんですね」
「俺も行く。適当に切り上げるぞ」
「私だけで大丈夫ですよ。あなたも仕事が――」
「一人で行かせねえからな」

 有無を言わせない声に、リーベさんが黙り込む。少しして「本当は心細かったんです」とリーベさんが言った。

「ありがとう、あなた。私を迎えに来てくれて」
「約束しただろ。お前がどこにいようと、俺は――」

 二人が部屋を出て行く背中が、屋根の上で寄り添っていた姿に重なった。

 幸福な景色だった。




 歪な干渉を受けながらも、この頃は楽しかった。

 どうして、あんなことになってしまったんだろう。

 いや、原因なんてわかりきっている。

 誰もリーベさんを守れなかったからだ。


四月一日企画【2020版】(2020/04/01)
(2020/09/09)
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