Novel
【幕間】Coffee Break
「まっずうううううぅぅぅぅぅ!!!」
淹れたてのコーヒーに口を付けて俺が叫ぶと、リーベちゃんは首を傾げる。
「言われた通りに淹れたんですけれど……何回やっても上達しませんね」
「いや、そもそもリーベちゃん上達する気ある!? 俺に嫌がらせしてない? してるよね? 何か恨みでもある?」
「…………」
あるよね。いっぱいあるよね。
パラディ島で、俺が君の上官や仲間をたくさん殺したこととか――怒っているだろうし、恨んでいるだろうし、許さないだろうね。
まあ、俺は気にしないけど。
汚れた眼鏡を布で拭いて、掛け直す。
「――で、今日は何? リーベちゃんのお母さんの話なら、もうネタ切れだよ」
俺の中にある『獣の巨人』、その前身たちの記憶からリーベちゃんの母親に関するものを提示しようにも限度がある。
「いえ、今日はコーヒーを淹れる練習に来ました。お代わり、いっぱいありますよ」
「いらない」
「もったいないので飲んでください」
「え、俺に拒否権なし?」
なみなみと注がれたどろどろの液体をコーヒーとは呼びたくない。
「これでタイバー家の催しに潜入するとか大丈夫? 心配なんだけど」
「だから練習してるんですよ。使用人として潜り込む以上、上手くやります。――はい、お代わりどうぞ」
「そう邪険にしないでよ。俺たち、一応親戚なんだしさ。それにほら、キヨミ様との密談だって俺のおかげで成立したでしょ? もうちょっと感謝されてもいいと思うんだけど……あ、そこにあるパン食べていい? 美味しいって評判の――」
「本日分は完売しました」
「見えてるよ! パンも袋も丸見えだから! 嘘つかないで!」
「ファルコたちの分ですよ。食べ盛りなんですから、譲ってあげてください」
仕方なく折れて、カップに口を付ける。やっぱりまずい。刺すような苦味に舌が殺されそう。
「今日はリーベちゃんが話してよ」
「話すようなことは何もありません」
今後に関しては既に計画済みだ。想定外さえ起きなければ問題ないが――すべてが想定内で済むとは思わない。
だから情報を仕入れることにした。この子の環境や周囲情報は大体把握したから、今度はその内面を。
手札は多いに越したことはない。
「リーベちゃんが今まで一番幸せだと感じたのはどんな時?」
「……何ですか、急に」
「雑談だよ。せっかくのコーヒータイムなんだから、少しは会話に花を咲かせてもいいと思わない?」
「……一番、幸せを感じた時……ですか」
リーベちゃんは、自分の思考と記憶へ沈むように黙り込む。
苦じゃない沈黙がしばらく流れて、ぽつりと声がした。
「新婚旅行ですね」
リーベちゃんが淡々と答えた。
「ふーん? 既婚者の定番かな? 知らないけど」
「こんなに愛されて、こんなに幸せになれたなら――私はもう幸せにならなくてもいいと思えたんです」
何を思い出したのか、窓の外の空を仰いだ。その表情は、遠い過去を眺めているみたいに静かだ。
「それなら島の連中のために犠牲にでもなれば良かったんじゃない? 聞いたよ。そいつらから酷いこと、たくさんされたって」
「……誰かに犠牲を強いることで自分や大切な人たちを守れるなら、誰だってああしたと思います。だから間違っていたのは私で、あの人たちは間違っていなかった。私が彼らと同じ立場なら同じことを強いたでしょう」
「リーベちゃんはそんなことしないって」
「……仮に『実行者』ではなくても、『傍観者』でいたことは確かだと思います」
そして、そっと目を伏せた。
「犠牲が『本当に』私だけで済んだなら、仕方ないのであのまま島に留まる選択もありましたが――違いましたから」
リーベちゃんは膨らんだお腹を慈しむように撫でる。そこへあらゆる武器や暗器が詰まっていることを俺は知ってる。女の身体は便利だ。
リーベちゃんが小さく息をついた。
「私は幸せにならなくていい。でも、幸せになって欲しい人がいる。――この感情は矛盾していますね。私は結局、私の望むままにしか生きられなくて……自由の翼を背負う資格なんて、なかった」
切なく綺麗に笑う彼女は、平和な土地で心穏やかに生きることが何よりも似合う人間に見えた。
この世界に、そんな場所はどこにもないのに。
俺はまたコーヒーへ口を付ける。
まずい。
(2019/02/24)