わたしの叫びに、調査兵団からやって来たリーベさんが目をぱちくりとさせた。
リーベさんはとある実習の関係で週に一回この訓練兵団へ通ってくれているけれど、今日は一泊してくれることになって全員で嬉々として女子用の兵舎へ引っ張り込んだ経緯がある。
「初恋かあ……」
リーベさんは懐かしむような表情になって、呟いた。
「私の場合は――」
「お代わり下さいリーベさん!」
「はいはい」
リーベさんはサシャの口に出来立てのお菓子を運んで食べさせる。リーベさんの美味しすぎる手作りクッキーを。子供でもないのにそんなことをしているのは、サシャ一人放っておくと猛スピードで全部食べてしまうからだった。よってサシャの両隣は今ミカサとアルミンに片腕ずつ拘束されている。この女の園にアルミンがいることについて誰も疑問に思わないように、この訓練兵団では日常の風景だった。
リーベさんがサシャの口へもう一枚、クッキーを運びながら言った。
「さっきの話だけど――私の初恋は叶わなかったよ、イリス」
がーん。
まさかリーベさんにもそんなことを言われるなんて。
ジャンの言葉は何の根拠もないと思っていたけど、そんなことないのかな。
「あの、聞きたいんですけれど!」
そこで挙手したのがハンナだった。目をきらきら輝かせている。
「リーベさんの初恋の人ってどんな人だったんですか?」
その問いかけにリーベさんは優しく目を細める。
「――職人だったよ。工房で働いていて、色んなものを発明してた」
「訓練兵の同期じゃなかったんですね」
クリスタの言葉にリーベさんは頷いて、
「うん、私が十二で、その人は十六だった」
「さぞかしかっこいい人だったんでしょうねえ」
ユミルがにやにや笑いながら言った。
リーベさんは穏やかに、
「そうだね。意地悪だけど優しくて、才能と勇気がある強い人だった」
そこでサシャが顔面からクッキーのお皿へ突っ込もうとして、ミカサとアルミンが慌てて引き留める。大変だなあ。
「素敵な人だったんですね。……あの、どうしてその初恋って叶わなかったんですか? その人に恋人がいたとかですか?」
「そういう浮いた話はなかったんだけど……その人と私は、生きる場所が違ったから」
生きる場所?
相手が王子様ならともかく、職人となら別に身分違いとかじゃないし、難しくないと思うけれど。
リーベさんが続ける。
「最初は、納得するのが難しかったけれど……でも、その人について書いてある本を読んで、何のためにその人がその選択をしたのか考えたら、ちゃんと受け入れられたよ。私の幸せを願ってくれたんだって」
「本になる人って一体……」
ずっと黙っていたアニが怪訝そうに言った。気持ちはわかる。普通なかなか人は本にならないよね。
「立派な人だったんですね、お代わり下さい!」
サシャの催促に、リーベさんはまたクッキーを一枚食べさせる。わたしもなくなる前に食べよう。
口に入れる前に、風味を感じた。風味って何だろう。よくわからないのに『これがそうだ』とわかる。すごい。使った材料をさっき聞いたけれど普通のものだった。どうしてこんなに美味しいんだろう。不思議。
噛めば、やさしい甘さが広がって、ほかほかとした幸せな気持ちになる。
リーベさん、兵士より料理人になった方がいいんじゃないかな。絶対お店が繁盛すると思う。わたしも通うし。常連になりたい。
「こんなの作れるぐらいなら男の人はイチコロだったんじゃないですかね」
味わいながらそう伝えれば、そんなことないよとリーベさんは笑う。
その表情に、わたしはふと思ったことを訊ねることにした。
「――リーベさん。その人を最初に好きになった後、訓練兵団とかで気になる人っていなかったんじゃないですか?」
「確かに。まあ、訓練でそれどころじゃなかったのもあるけれど」
「じゃあ今の調査兵団には?」
「今は……」
リーベさんは考えるような表情になってから悪戯っぽく笑った。
「秘密」
初恋は叶わない。
そうだとしても、それは必ずしも悲しいことではないのかもしれない。
そう思った。
だけど。
それでも。
わたしは――
「…………」
ベルトルトが好き。大好き。
ベルトルトと一緒にいたい。ずっと。
それだけでいい。他には何もいらない。
だから、
「わたしは初恋、叶えてみせます」
「頑張ってね」
微笑むリーベさんはとてもきれいだった。
いつかわたしも、こんな風に笑うことができたらと思うくらいに。
(2017/12/16)