「いいなあああああ! ハンナってば羨ましい!」
こうなればわたしも行くしかない。
え? どこへ行くかって?
過去も未来も見通す占い師《ウォール・シーナの魔女》のところへだよ!
本音を言えば、ベルトルトと行きたい。でも前に誘った時に「過去や未来がわかるなんて、怖いんだ」と言われたから、一人で行くことにする。嫌がっているのをさすがに連れて行けない。
そんなわけで次の休日、わたしは一人でハンナに描いてもらった地図を頼りにウォール・シーナのとある裏路地を進んでいた。パンの包みと共に。
占いを頼む代金は『気持ち』だそうで、決まっていないらしい。お金じゃなくても大丈夫みたいだから、ハンナの意見を参考にして評判のパン屋さんで売っている《季節のパン》を三個詰め合わせを選んだ。看板娘のお姉さんにお願いして紙袋にリボンを巻いてもらったから見栄えはいい。
それにしても薄暗い。まあ、裏路地だから当たり前か。
「……この道で合ってるのかな」
本当にこんなところにいるの?
自信がなくなって来た頃、憲兵のおじさんとすれ違った。ぺこりと頭を下げてから敬礼を忘れていたことに気づく。でも、今のわたしは兵服じゃないから向こうはわからなかっただろうし、いいか。今度から気をつけよう。
そんなことを考えながら角を曲がって、
「あ」
見つけた。古びた机の向こう、椅子に座った女の人がいた。この人だと確信する。
この人が、《ウォール・シーナの魔女》!
占い師だからお婆さんだと想像していたら違った。お姉さんと呼ぶにもおばさんと呼ぶにもしっくりこない、不思議な人だった。
「こんにちは、兵士のお嬢さん」
歌うような声が向けられて、緊張する。ちょっと待って、どうしてわたしが兵士だってわかるの? 今着てるのは私服なのに。兵士らしいものは何も身に付けていないのに。
この占い師は、本物だ。
噂で聞いていたから知っていたのに、その力を目の当たりにすると怖くなる。ここに来たことを後悔した。生半可な気持ちで来るべきではなかったかもしれない。でも、ここまで来た勇気を考えると今更引き返せない。
ぐっと奥歯を食いしばって、机へ近づく。
「こ、こんにちは。あの、これ、パンです」
差し出せば、白い手で受け取ってもらえた。
「あら。ここのパン好きなのよ、ありがとう。――さて、あなたはどんな未来を知りたいのかしら」
「え、ええと……」
訊くことは決まっている。
ベルトルトは、わたしのことを好きになってくれますか?
「あの、その……」
うまく言葉にならない。これを訊こうって決めていたのに。
どうしてかな。何だか今になって聞くべきことは他にあるような気がしてきた。
「いいのよ。焦らなくても、大丈夫」
その言葉で落ち着くことが出来た。
深呼吸して考えて、唸ってから、わたしは声にする。
「占い師さん。《魔女》さん。――わたしは、わたしの大好きな人を笑顔にすることが出来ますか?」
わたしの問いかけに、彼女は一度ゆっくりと瞬きをして微笑んだ。
「あなたの大好きな人、ね」
そう呟いて、彼女はなぜかわたしの後ろを眺めていた。
何があるのかと振り向いて確認したけれど、何もない。
この人は何を見ているんだろう?
どきどきしながら返事を待っていると、《魔女》さんが怪訝な顔になる。
「視えないわね」
「え?」
「あなたの好きな人の顔が、視えないわ」
「ええと……《魔女》さんが未来を見えないのは、どんな時ですか?」
「自分の未来は視えないわ。間接的なものでもね。……あなたの好きな人の存在は、私の未来にも何らかの形で関わるということかしら」
一体何をするんだろう、ベルトルトは。
もしかしたら何か大きな偉業を成し遂げるのかもしれない、と考えて納得していたら、
「でも、あなたの顔なら見えるわ」
「わたし?」
「ええ、大泣きしてる」
目の前にいる彼女は、相変わらずわたしの後ろを見ている。
わたしは首を傾げた。
「……どうしてわたしは泣いているんですか?」
「さあ、理由までは。場所は――空が近いわね。壁の上?」
「どうしてそんなところで……」
壁の上ってことは、ウォール・ローゼ? 固定砲整備の関係で時々上ることもあるし。でも、そんなところで大泣きする状況が想像出来なかった。
「ねえ。あなたが泣きたいくらいに悲しい時は、どんな時だと思う?」
《魔女》さんの言葉に、はっとする。
「それは……」
告白を断られるくらい、何でもない。
ベルトルトの姿を見ることが出来たら嬉しくて、言葉を交わすことが出来れば幸せだった。
それで、充分。
「あなたが絶望するのは、どんな時だと思う?」
「…………」
だから、つまり。
わたしがいつか絶望して、悲しいと思うなら――
それは、もう二度と、ベルトルトに会えなくなる時だと思った。
とぼとぼと、歩く。
そんな歩調でも、着いた。訓練兵団へ。
「おかえり! どうだった?」
振り返るとミーナがいた。あ、しまった、お土産買って来るの忘れた。
さらに落ち込んでいたら、ミーナがわたしの顔を覗き込む。
「イリス? どうしたの? 《ウォール・シーナの魔女》のところ行ったんじゃなかったっけ」
「それが……」
《魔女》さんとのやり取りを話したら、ミーナは口元へ手をあてて、考えるように唸る。
「それってさ、嬉し泣きかもしれないんじゃない?」
「え?」
「泣くにも色々あるでしょ?」
「た、確かに!」
ミーナの言う通りだと思った。
涙を流すのは、悲しい時に限らない。
「だから、あんまり深く考える必要ないと思う」
「そうだよね、ミーナってば天才!」
「そうでしょー!」
「そうだよー!」
思わず飛びついて、その勢いでぐるぐる二人で回ってたら、冷たい声が聞こえた。
「あんたたち、いつまでじゃれてんの。もう夕食だよ」
アニだった。
わたしはミーナと顔を見合わせてから、アニを二人で挟む。
「よし、じゃあアニも一緒にじゃれよう」
「は? え、ちょっと……!」
三人でふざけながら食堂へ向かううちに、しぼんだ気持ちはどこかへ行ってしまった。
そして、時は流れて。
《魔女》の告げた未来が的中することを、850年にわたしはウォール・ローゼの壁上で思い知ることになる。
(2017/11/27)