普通の特別な女の子

「えー、俺の左手に見えますは現人類活動領域最南端かつ最先端の位置にありますトロスト区になりまーす」

 壁上ツアー。駐屯兵団の仕事の一つ。頻度は数ヵ月に一度くらいで一定じゃない。
 なぜなら客は寄付という名目でお金をどっさりくれる貴族様くらいしかいねえし。

「右手に見えますは――」
「巨人だ……!」

 今日の客はたった二人。しかも貴族じゃない。

 一人は俺の訓練兵時代の同期で今は調査兵のリーベ・ファルケ、もう一人はその知り合いのアンヘルってヤツ。職人をやってるらしい。
 アンヘルは壁のギリギリまで近づいて、単眼鏡で熱心に巨人を観察している。巨人とか普通そんなに見たいか? 俺は気持ち悪いし怖いけどな、あいつら。

 同期の誼みでこうして壁上ツアーをしてやってるんだが、普段よりも四割手抜きなのは貴族様じゃない気安さと、睡魔。明け方まで捕り物があって、てんやわんやしてた。

 別日がいいなと思ってたんだが、今日しか時間がないと頼み込まれたら断れない。相手がリーベなら、尚更だ。

「ハイス、連れて来てくれただけで充分だから案内の口上はもういいよ」
「ん。じゃあお言葉に甘えて」

 リーベを見下ろして、相変わらずこいつは小さいなあって思う。でも、見かけに反して俺よりずっと強いことを訓練兵時代を通してよく知ってる。甘くみたら痛い目に遭う。

「どうしたんだ、その怪我は」

 リーベにそう訊いたのはリコ班長だった。俺の大好きな人。今日もマジで美人。

 そう、リコ班長の言う通り、今のリーベは怪我だらけだった。兵服を着ているから見えねえ部分は多いんだが、頭に包帯、左頬にでかいガーゼが貼ってあるし、手も細かい擦り傷だらけだ。

「リーベがそんなに怪我してるの見るのって十二の時以来だなあ」
「そうなのか?」

 リコ班長と話すリーベを見ながら思わず呟くと、単眼鏡から目を離したアンヘルが俺を見た。やっと巨人から目を離したな、こいつ。

「入団して訓練始まるから包帯だらけのヤツがいたのは覚えてる」
「あー……なるほど。あの頃か」

 納得したように頷くこいつとリーベの関係を、俺は知らない。別に何でもいい。気にはなるけども。

「リーベってさ、訓練兵時代、どんなだった?」
「ん? どんなって――」

 そう訊かれたら、悩む。知ってるつもりでも、いざ説明するとなると難しい。

「成績は普通だったなあ、基本的に。頑張ってたけど、上位には入らねえ感じっていうか、まあ、本人も十番内目指してなかったみたいだし。でも実践になると、度胸とか力量が全然違った。箝口令敷かれてるから詳細は伏せるけどさ、雪山踏破訓練で俺は死にかけたんだが、あいつがいたから今も生きてるんだよ」

 その時、固定砲台が火を噴いた。壁に近づく巨人たちを散らす威嚇攻撃だが、舌打ちしそうになる。新兵の連中め、撃つ前に一声かけろよ。びっくりするじゃねえか。結構な威力に伴う轟音で、慣れていなければ飛び上がりそうだ。最悪壁から落ちるかも。

 ん? 慣れてないヤツ、ここにいたよな?

 俺が視線を向けた時には、アンヘルの足先が壁の向こうに消えた。

 え?

 嘘だろ?

「あ――」

 あいつ落ちたあああああ!

 嘘だろ!? 巨人に喰われなくてもこの高さなら墜落死!? ってことは死んだら責任はどうなる!? 連れて来た俺だよな!? そうなったら始末書で済むわけねえし牢獄行き!? 嫌だ、だって俺はリコ班長と結婚して子供産んでもらって最期は孫に看取られる人生を送る予定なんだぞ!? ここでおじゃんになってたまるかっつーの!

 俺が悲鳴を上げるより先に、風が横を通り抜けた。

「リーベ!?」

 名前を呼んだ時には、壁からほとんど身を乗り出したリーベがアンヘルの足首を掴んでいた。間一髪。

「大丈夫か!?」
「ハイス、引き上げるの手伝って。早く」

 こうしてる間にも、リーベの身体がアンヘルの体重にどんどん引っ張られて行く。こいつが落ちるのも時間の問題だ。

「わ、ちょ、ちょっと待ってろ……!」

 念のためにアンカーを壁へ撃ち込んで固定してから腕を伸ばして、アンヘルの胴体を掴む。必死になって引き上げた。

 ほっとしたら、落ちた本人は呑気なもんで、

「もっと近づいて見たい。巨人って歯並びいいんだな」
「馬鹿言うな!」

 当然却下だ。俺、この一分でかなり寿命縮まったと思う。
 ため息をついてたらリーベが、

「ごめんね、ハイス。それからありがとう。無理してくれたよね、今日は朝から色々」
「……いいよ、別に」

 俺は、一生かけてお前に恩返ししようって決めてるんだ。

 あの冬の夜――雪山踏破訓練で助けられた瞬間のことを思い出して、俺は目を閉じた。




「帰るぞ、リーベ」
「はいはい」

 地上へ戻るリフトへ向かえば、アンヘルが先に乗ってから、リーベに手を差し出した。

 特別な女の子をエスコートするような、優しい手つきだった。

 確かに足元は割と開いてるから、一般人相手なら俺だって親切心から同じことやるかなって気はする。でも、アンヘルが手を差し出した相手はリーベだ。こいつはこれくらい普通に跳べる。

 現にリーベはアンヘルの手をきょとんと見ているだけだった。

「わざわざそんな風にしてもらわなくても大丈夫だよ?」
「だろうな」

 アンヘルが頷いた。そうだよな、さっきお前が落ちたのを腕一本で支えたヤツだもんな。

「でも、俺が、そうしたいんだ」

 その言葉に、リーベは少し迷ってから、そっと手を重ねる。

 ほんの一瞬、リーベが普通の女の子みたいに見えて、思わず何度か瞬きしているうちに、アンヘルがその手を引き寄せる。
 そして二人を乗せたリフトが動き始めた。

「何だったんだ、今のは」

 二人の姿が遠くなって、リコ班長が怪訝な顔をしていた。

「彼らは恋人同士なのか」
「どうなんでしょうね。ちょっとそこら辺はよくわからないんです」
「ハイス。お前、人の下世話な話が好きなくせに訊かなかったのか。一体どうした」
「あー……あいつに関してはあまりそういった生々しい話は聞きたくないって言うか何というか……」

 何だろうな、この感じ。

 言葉を探してたらリコ班長が言った。

「惚れてたのか?」
「いや、まさか。リーベに惚れるとか、俺には無理です」

 訓練兵時代にリーベが成し遂げたあれこれを思い出す。雪山踏破訓練で生ける伝説《山の覇者》と呼ばれていた大熊を討ち取ったことや、845年のウォール・マリア陥落を引き金にウォール・ローゼに来たクィンタ区民の暴徒鎮圧とか、箝口令絡みは割とリーベが功労賞ものだと思う。この辺りが成績に反映されてたら間違いなく十番内に入っていただろうなとそんなことを思い出しながら答えると、

「私には彼女が普通の女に見えたけどな。特に、今さっきは」
「それはアンヘルのおかげですね」

 あんな宝物みたいに扱ったら、俺にだってリーベが普通の女の子に見えた。




「――ありがとな、リーベ。巨人、見せてくれて」
「ん……」
「じゃ、戻るか。俺がこの時代にいられる間に、あと一つお前にやってもらいたいことあるんだ」


(2018/02/10)
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