「…………」
数秒考えてから居場所に見当が付いた。幹部会議まで時間があることを確認した後に、軽く馬を走らせる。
ウォール・マリアに着いて、当番中の寝ぼけている駐屯兵にリフトを動かすように指示した。一人で乗り込めば、のろのろと上昇していく。数分後に停止した。
目的地の壁上へ着いて、息を吐く。予感は的中していた。朝焼けの空が広がる中、リーベはそこにいた。腰を下ろし、足を宙へぶらつかせている。
そういえば、今さっき顔を合わせた当番中の駐屯兵はリーベと訓練兵時代の同期だ。おかげで調査兵でも邪険にされることはないみてえだな。
早朝の時間帯のせいか、俺たちの周りには誰もいなかった。
おはようございます、とリーベが俺を見つけるなり明るい声で迎える。頭の包帯は外れていた。顔の怪我もほとんど治っていて、薄くなっていた。兵服の上からじゃわからねえが、身体の傷も似たようなものだろう。
「…………」
何もかもが俺のせいだとわかっている。
リーベが負傷したのは発明王と街へ出掛けたからで、発明王がそうしたのは俺の言葉でリーベとの信頼関係が一時的に拗れたからだ。
俺が黙っていると、
「兵長ですよね」
こいつは全部、見抜いてるんだな。
「アンヘルを窃盗団から助けてくれたの」
いや、違った。
唐突に、何を言い出すのかと思えば。
「……助けたのはお前だろ」
「アンヘル、言ってましたよ。私と合流する前に誰かが敵を倒してくれたって」
「…………」
姿は見られなかったはずなんだがな。
別に、あの男のことはどうでも良かった。
ならばなぜ、俺はあの日に行動を起こしたのか。
答えは一つだ。
あの発明王に何かあれば、リーベが苦しむとわかったからだ。
「ずっと、アンヘルのこと心配してくれてましたよね。ずっと、見ていてくださった」
いや、俺が見てたのは発明王じゃねえ。お前だ。
お前らが二人で工房に閉じこもってる時も。
お前らが二人で外で手を繋いで踊ってた時も。
お前らが二人で立体機動装置で飛んでいる時も。
全部、お前を見ていたんだ。
「…………」
だが、それは言わねえことにした。
「良かったのか」
「何がです?」
「発明王を、元いた時代へ帰したことだ」
「そりゃあ、立体機動装置を発明してもらうためにはそうするべきでしたし」
「確かに立体機動装置が発明されなくなると現在が成立しねえ。だが、あいつが留まることは無理でも、お前がついて行くことは出来たんじゃねえか」
「私が、ですか?」
首を傾げるリーベに、一度呼吸を置いてから俺は言った。
「惚れてたんだろ」
「……そう言われると照れちゃいますね」
リーベは頬を赤くして、それが熱いのか冷ますように軽く手で扇ぐ。
途端に胸が重くなる。こいつにこんな顔をさせられるあの男が、どうしようもなく嫉ましくなった。
俺が黙っていると、リーベが壁の外へ顔を向ける。確かこの方角の先にはシガンシナがあるんだったか。発明王が行きたがっていた工房もそこにあったらしい。
「まあ、アンヘルに対する昔の感情と今ある感情は違うんですけれど……ウォール・マリア陥落のことをどうしても言いたくなかった辺りとか『この時代を良く見せたい』という見栄を張ってしまった理由はそこにありますね……」
だからこの怪我は自業自得です、と治りかけている顔の傷に指先で軽く触れて、リーベは息を吐く。
「もう、好きじゃねえのか」
「好きですよ、今でも」
当たり前のようにリーベが言った。今度は照れもなく、まっすぐな声だった。
「ただ、今は――アンヘルのことだけが好きなわけではありません」
思い出すような表情でリーベが続ける。
「十二歳の頃は色々あって――自分が生まれた時代のことが嫌で仕方なかったんです」
アンヘルを都合の良い逃げ場にしてしまいました、とリーベが空を仰いだ。
俺が黙っていると、リーベは腰を上げた。
空へと伸びをして、身体を正してから長く息を吐く。
「だけど、訓練兵団で同期たちと三年間頑張って、調査兵になってからもたくさんの人たちと日々を一緒に過ごして……今は、この時代にいたいと思える理由がたくさんできました」
その瞳は迷いなく、壁の外にある世界を見据えている。
「この時代が好きです。悲しくて、つらいことがあっても。――つまり、昔の私と今の私は違うということです」
俺の知らない、リーベの生きて来た時間。それが確かに息づいていることがわかった。
そこでリーベは俺の顔をじっと見る。
「兵長の初恋って、お相手はどんな方でしたか」
急に何だ。
「……それを知ってどうする」
「どうもしませんけど……言いふらしたりもしませんし……ただ純粋に、気になるので。私の初恋を知ってるなら教えてくださっても良いのでは?」
どんな理屈だ。
そう思いつつ、そわそわと俺の顔を見るリーベを見ていると話しても良い気分になる。
「……当時は何とも思っちゃいなかったが」
「ふむふむ」
「後から思い返すと気になって仕方なかったヤツならいた」
「……ど、どんな方です?」
興味津々だと顔いっぱいに浮かべてリーベが続きを促す。
「会う度にクソまずい紅茶を淹れて俺に飲ませたヤツ」
「……えええ!?」
リーベは絶句して、目を吊り上げた。
「な、何ですかその人! 失礼にも程がある! しかも会う度に? 何回も? あの、一体その人のどこが良かったんですか……?」
「そうだな……」
どう話したもんか考えていると、遠くからリーベの同期の声がした。これから貴族連中のための壁上ツアーが始まるらしい。駐屯兵団も資金集めに苦労してるんだな。
「って、もうこんな時間っ。すみません兵長、お先に失礼します。モブリットさんと分隊長会議の書類打合せがあるので……!」
懐中時計を確認してすぐポケットへしまい、リーベは慌ただしく壁を蹴った。そのまま宙へ身体を躍らせる。
「新しい紅茶缶買ったので、午後に淹れますね!」
最後にそう言い残して、俺の視界から消えた。
壁から見下ろせば、リーベは立体機動装置を駆使した軽やかな動きで地上へ着地していた。
俺は装置を装備してねえから、昇った時と同じくリフトで降りるしかねえ。
「……気にしなくても良さそうだな」
その初恋は、今となってはリーベそのものだ。
発明王はもうリーベの一部になって、リーベを生かし続けている。
気後れする必要はなさそうだ。
つまり、それを丸ごと受け入れる器が俺にあれば良い話だろう。
「だーからー! ここはもっと! こうするんです!」
「それじゃあつまらねえだろ! こうするんだよ!」
廊下まで響く声に何事かと思って食堂を覗く。ペトラとゲルガーだった。珍しい組み合わせだな。
何してやがる、と声をかければ二人は慌てて振り返って俺を見る。
「失礼しました兵長!」
「あの、良ければご助言を……!」
聞けば、迫るリーベの誕生日の祝い方について議論しているらしい。気づけば今年もそんな時期か。
(2023/11/11)