巨大樹の森の中で、俺は気合いを入れて叫ぶ。
「打倒! リーベ・ファルケ・レイス・ゲデ――何だっけ?」
「ゲデヒトニスですよ、先輩。東の領家です」
「打倒! リーベ・ファルケ・レイス・ゲデヒトニス・ええと、あとなんかまだあった気がする!」
「名前に関してはリーベ・ファルケの略称のままで構わないみたいですよ。表向きは民間人ですし」
「とにかく倒す! リーベを! あいつの調査兵団再入団試験だとか細かい事情は知らねえが、とにかく勝つことに意味がある!」
俺が拳を突き上げれば、後輩は欠伸を噛み殺しながら、
「気合い入ってますねえ、先輩」
「入るに決まってるだろ。訓練兵時代の三年間、俺は一回もあいつに勝てなかったからな。今日こそは勝つんだ。昔の俺とは一味も二味も違うことを見せて、リコ班長に――」
「ん? でも、対人格闘の一位は先輩だったんですよね? もうすでにリーベって人に勝ってるじゃないですか」
「あれは、俺がどうしても憲兵団に行きたかったから一位を譲ってもらったんだ。つまり俺は実質一位じゃない」
「ふむふむ。で、せっかく十番内に入れたのに新兵勧誘式でリコ班長に一目惚れして結局憲兵の特権を蹴ったんですね」
そうだ。そんな俺の愛するリコ班長は空を油断なく睨んでいる。空へ打ち上げられる、戦闘開始の合図を待っていた。
一昨年に駐屯兵団と調査兵団の間で行われた催し物《絶対強者決定戦》の再戦――それが、リコ班長がこの戦いに臨む理由だ。
協力したいけど、一切の手出しをするなと言われたから、俺は何も出来ない。
ため息をつきながら、ライフルを握り直す。弾はもちろん実弾じゃない。塗料が詰まった練習用。でも、当たると結構痛い。
この場においては、明確な敗北を意味する弾丸。
「今日こそリーベを倒す。訓練兵時代の俺とは360度違うことを知らしめてやるんだ」
「360度って一周回って同じとこですよ、先輩」
「う、じゃあ、120度」
「そんな中途半端な……」
その時だった。
青空に、閃光弾。
夜でなくてもそれなりに映える。
戦闘開始の合図だ。
俺たちは巨大樹の森の入口付近の茂みに陣取ったから、すぐにリーベは来るだろう。そこで俺たちの作戦開始だ。
そして予想通り、リーベが現れた。手には拳銃、背中にライフル、さらに立体機動装置も装備している。
相対する一番手は――
「待ってたよ!」
我らが麗しの、リコ班長だ!
リコ班長が木剣を構える。刃の部分に塗られているのは赤の塗料。
それを見たリーベは目を丸くしていた。あいつの考えてることがちょっとわかる。まさかこんな真正面から挑まれると思わなかったんだろう。普通こういう場合、最初の一手は奇襲が有効だ。
リーベは持っていた銃をホルスターへ手早く戻して、腰の後ろに装備していたらしい明らかに偽物だとわかるナイフを抜いた。こっちにも、たっぷり赤い塗料。
一気に前へ、跳躍。長い。
そして二人は交錯する。
「っ……!」
リコ班長が、素早く振り返る。
その首筋に、べったりと、赤い線が走っていた。
本物のナイフだったら、喉を掻っ切られていた跡だ。
ふと、思い出したのは、都市伝説――《切り裂きケニー》。
大量の憲兵の首を裂いて殺した、殺人鬼。
待て。そんなこと考えてる場合じゃない。
嘘だろ。
そんな。
「俺の、リコ班長が、負けた……?」
「いや、リコ班長は先輩のものじゃないんで」
後輩に冷静に突っ込まれながらも、どうにか叫ぶ。
「作戦コード《マリア》が失敗した! 続いて作戦コード《ローゼ》へ移る!」
リーベと一対一はキツい。リコ班長とはいえそれは同じだったらしいが、俺だって一対一に勝てるとは思わない。だから――数で応戦だ! 下手な鉄砲数打ちゃ当たる!
ライフルの安全装置解除を済ませ、突撃まで数秒と迫った矢先、
「へ?」
何かが、ぽーんと目の前に飛んで来た。
そして、ごろりと転がる。
全員がそれに注目する。そして息を呑んだ。
手榴弾!?
こんなの使用許可あったっけ?
ていうか爆破する!?
思考停止に陥ってるのは後輩連中も同じだった。
そして、その刹那の空白を突いて――手榴弾が落ちている場所に舞い降りた人影。
リーベは、微塵の躊躇もなく俺たちへ向けて引き金を引いた。
乾いた発砲音が連続で響く。周りから呻き声と短い悲鳴が聞こえた。
俺は思わず顔と頭を覆ったけれど、何も感じなかった。痛くない。
顔を上げれば、目の前に全身が赤い塗料まみれになった後輩がいた。
「馬鹿! お前何で俺を庇っちゃってんの!?」
「いや、あれだけ気合い入れてた先輩の見せ場が皆無で終わっちゃうのは哀れで」
「何か腹立つけど助かった! 今度メシ奢ってやる!」
体勢を立て直して、少しの距離を走る。いつの間にかリーベの姿が見えなくなっていた。どこから次に現れるかわからない。まずい。今の攻撃を免れたのは俺だけだし。俺一人でリーベの相手? 無理だろ。無理無理。
「勝てよ、ハイス」
でも、竦んだ心は、リコ班長の声で力が湧き上がる。
今回の戦闘形式は致命傷となる身体の部位に赤い塗料が付着した時点で敗北と判定される。首を一閃されたリコ班長も、顔や頭や腹に被弾した周りの連中も、もう戦えない。
俺だけだ。
「……でも、それがどうした」
銃を握り直す。
深呼吸して、全方位警戒態勢。
耳へ届く、飛翔音。
どこから?
360度、リーベの姿はどこにも見えない。
きょろきょろと首を回していたら、
「上だ!」
リコ班長の声に顔を上げた次の瞬間、目の前が真っ赤になった。
数秒経って、理解する。
やられた。負けた。
「いっ、ぐぅ……!」
うずくまる俺に対して、リーベは悠々着地して、歩く。さっき投げた手榴弾を拾い上げる。
あれ? そういえば爆破してねえな?
「模造品だよ。だから爆発はしない」
じゃあね、とリーベは軽い足取りで森の奥へ駆けていく。まだ残り88人――俺たち以外の駐屯兵や憲兵、コニーとサシャってヤツらが率いる調査兵の相手が潜む、その先へ。
その小さな背中へ俺は負け犬の遠吠えを叫ぶしかなかった。
「ず、ずるいぞ! 規則にあった使用可能武器の中に手榴弾は入ってなかっただろ!」
「だから本物は使ってないだろうが」
後ろから聞こえた低い声に、息を呑む。振り返ると誰もいない――いや、いた。視線を下げると、リヴァイ兵長がいた。
「作戦自体は悪くなかった。数で制圧しようとしたことは間違っていない。惜しかったのは、リーベがその対策を考えた場合の対策を考えなかったこと。だから隙が生まれた」
まさかの講評が始まって、この試験にはそういう面もあったのかと戸惑う。
「リーベがあの女と一対一で戦っている時に全員で撃って蜂の巣にすれば勝てたかもしれねえな」
「え、あ、あの……」
「リーベのことだから、あの女を盾にして躱すだろうが」
ですよねー、あいつそういうヤツですよ。訓練兵時代もやってました。しかも俺が盾。すっげえ痛かった。
まあ、俺はリコ班長を撃つことなんて出来ないと思うけど。
そこでリコ班長の舌打ちが聞こえた。
「やっぱり《絶対強者決定戦》の時は手を抜いていたな。速さが全く違うじゃないか」
「そうだったんですか?」
俺は《絶対強者決定戦》の時、試合時間が重なって観戦してなかったから何とも言えないけど、うーん、料理は別として、あいつそこまで剣捌きとかナイフの扱い得意だったかなあ。そりゃあ普通には使えてたと思うけど、昔とは一味も二味も違う扱い方になっていた気がする。
そこでリヴァイ兵長がリコ班長を睨む。え? 何で?
「リーベに負けるまでもなく、お前のせいでこの男は失格だったからな」
「は?」
「今回の規則にあっただろ。敗者が生存者へ手を貸すことは反則だ。それをお前は『上だ』と叫んで、こいつ助太刀した」
そういえば、確かに。
俺は反応しきれなかったけれど、それは結果の話で、規則に従うならあるまじきことだったのかもしれない。
「いや、あの、でも!」
ぐっと唇を噛みしめるリコ班長に、俺は慌てて口を開く。
「あれはむしろ良かったというか! 俺としてはあの一声に、リコ班長からの愛を感じたというか!」
「ハイス!」
よく通る声に名前を呼ばれて振り返ると、駆けてきたのはリーベだった。
「お前、何しに……え、もう全員倒したのか?」
「違うよ、まだ倒してない。でも、言いたいことがあって。――ありがとう」
「……何が?」
突然礼を言われてわけがわからずにいると、リーベがはにかむ。
「訓練兵になったばかりの頃……私、入団前から何で包帯だらけなんだって風に周りから倦厭されてたでしょ。でも、ハイスがたくさん話しかけてくれたおかげで色んな人と話せるようになったから。包帯が取れる頃には、もう誰とでも話せるようになったんだよ」
「…………」
リーベが何のことを話しているのか、すぐに思い出した。
俺の実家は貴族じゃないけど金はあって、家の体面を保つために憲兵団狙いの訓練兵になったものの、身の回りのことは何も自分で出来なくて、無駄に舌も肥えてたから食事も飲み物も身体が受け付けなくて、体調も崩して。医務室で寝込んで。初っ端から脱落候補で。
でも、包帯だらけの身体を手当てするために医務室へ通っていたリーベが俺を見つけて、美味い飯を作ってくれたから助かったんだ。
自分でも作れるようにって、料理教えてくれたから頑張れるようになったんだ。
それだけじゃない。
雪山踏破訓練で大熊《山の覇者》を俺が連れて下山して、死にかけたところを助けられた。
訓練兵の卒業試験、無理して速度出したらゴール間近でガス切れして失格になりかけた俺を蹴り飛ばしてゴールへ押し込んでくれた。
去年のトロスト区奪還作戦だって、最後の最後に俺が巨人に食われ駆けた時、助けてもらえたのに。
だから、リーベが言ったお礼なんて、何でもない。そんな風に言われるようなこと、俺はしてない。
飯が美味かったのが嬉しくて、元気になってから医務室以外でもお前と話したいって思っただけなんだから。
だから、
「何で、そんなこと言うんだよ。……今頃、そんなのどうでもいいだろ」
つい、情けない声になる。
俺の反応にリーベは苦笑して、
「この前、死にかけた時に色んな人に言いそびれたことを色々考えて後悔したから、少しでも減らしておきたくて」
「何それ。また同じようなことになれば、今度はあっさり死ぬつもり?」
リコ班長が、リーベの腕に腕を絡ませるように掴んでいた。うわ、すげえ羨ましいんだけど。場所を代わってほしい。
「死んだら、ただじゃおかないよ。今度死にかけたら、私の補佐に就任してもらう」
「え、あの、それは、とても光栄ですが……」
「だめええええ! リコ班長の隣は俺だってばあああ!」
「先輩、気持ち悪い声出すのやめてください」
赤い染料まみれの後輩たちも起き上がって賑やかになって来たところで、リーベが精鋭部隊一同へ挨拶をして今度こそ森の奥へ消えた。
リヴァイ兵長も審判としてその後を追おうとしたところで、
「あの、リヴァイ兵長!」
思わず呼びかけて、戸惑う。何でそんなことしたんだろうって。
「リーベのこと、守ってやってくださいね」
烏滸がましいって、わかってる。
だって俺は、リーベの親でも兄弟でも何でもない。
それでも、言いたかったんだ。
するとリヴァイ兵長は目を眇めて答えた。
「無理だな」
「へ?」
「俺は、仲間も部下も死なせてきた。今、生き残ってる連中は、俺が助けたわけじゃない。全員が自力で生き抜いた」
確か、ウォール・マリア奪還作戦で生き残った調査兵はリヴァイ兵長含めても九人だったっけ。少ねえにも程がある。
そう考えてみれば、この人の強さは『守る強さ』ではないのかもしれない。
「…………」
でも、なんか、もやっとした。
言うべきだろ、ここは。
たとえリヴァイ兵長が言ったことが真実であり、事実だとしても――何が何でも、リーベを守るって。
嫌なことから。怖いことから。痛いことから。悲しいことから――力の限り、守り抜くって。
そう、言うべきだろ。
俺が黙っていたら、
「ただ――あいつの生き方や、守ろうとしているものは、守れたらと思う」
一体どんなものなのかはわからないけれど――
それが、この人の『誓い』なんだと思った。
「……頑張ってください」
あれ? 俺、何言っちゃってるんだろう。
人類最強相手に、失礼じゃない?
どうしよう。でも、言い直すのも変だよな。
「わかった」
それなのに、リヴァイ兵長は頷いてくれた。
「あ、あの、リコ班長!」
森を出てすぐにある、今日のあれこれを仕切っている本部へ向かっていると、名案が閃いた。
「おい、隣にいるんだから叫ぶな。聞こえてる」
「ええと、その、リーベの、結婚祝いに何か買いたくて! でも何がいいかわからないので、今度の休みに街へ一緒に付き合ってください!」
リーベごめん口実に使って! いいもん買ってやるから許せ!
どうにか頷いてもらえるように念じていると、リコ班長は考え込むように顎へ手を添えて、
「……結婚か。そういえば、そうだったな。王家の人間になったかと思えば――ああ、それでお前、さっきあんなこと言ったのか。『守れ』だとか。……あの子は守られるために彼と一緒になったんじゃないと思うけどね、私は」
静かな声だった。
「私としては彼らの間に愛があるのか、偽装なのか、よくわからない。だから物を贈るのは賛同しかねる」
「え、ええと……偽装?」
好き同士だから結婚したのかと思ってたけど、そういえばリーベって出生が結構複雑だったんだよな。だから『レイス』の名前が増えたわけで。
「言われてみたら、どうなんですかね?」
兵長の方は、リーベに惚れてると思うけど。いつだったか、駐屯兵団へ視察に来た時に俺が出したお茶の反応を思い出すと、そんな気がする。俺の紅茶スキルはリーベ仕込みだからな。きっと何か感じたんだろう。
まあ、何にせよ。俺が考えてわかることじゃない。こういう時は、頭の良いヤツに聞くに限る。ほら、ちょうど本部にいた。
「おーい! アルミーン!」
きっと世界は、今までのように理不尽で、これからもままならないだろう。
だけど、それでも。
いつか、未来への糧となる一日を少しでも多く積み重ねて、大好きな人と生きていきたいと俺は思った。
(2018/07/09)