「元気そうね、リーベ。――あんなに血塗れのぼろぼろだったのに、ここまで回復するなんて驚きだわ」
マリーさんには不思議な力があって、目の前にいる人の過去と現在、未来が見えるらしい。今のやり取りをしている間に、私の過去の負傷現場を見たんだろう。
去年、私は死にかけた。いや、一度死んだようなものだった。
そんな状態から全快まではまだ遠い道のりだけれど、やっと松葉杖で歩けるようにはなったし、焦らず回復に努めたいと思う。
手土産の《季節のパン》期間限定セットを渡しながら、ふと静かな家の様子が気になった。
「ナイルさんはどちらへ?」
「子供三人まとめて連れて出かけてくれたの。今日はゆっくり過ごせって」
「素敵な旦那さんですね」
案内された椅子へ腰を落ち着けると、マリーさんが目を細める。
「それにしても懐かしいわ。あなた、こんなに小さかったのに……今だって小さいけれど、もう立派な兵士だものね。見所はあると思っていたのよ、エルヴィンにあなたのことを話したら興味を持っていたし――」
「その頃からエルヴィン団長とお知り合いだったんですか?」
「昔に酒場でちょっとね」
それだけ言って、マリーさんはカップへ口を付けた。
私が新兵の頃からミケ班にいた理由は、ナイルさんのみならずマリーさんにもあったらしい。ナイルさんが掛け合ったと聞いていたけれど、マリーさんの言葉もあったのなら納得する。
さて、こんな風に会話を交わしているけれど、実はこの部屋にいるのはマリーさんと私だけではない。
ちらりと隣を見れば――兵長が物凄い顔をしていた。一体どうしたんだろう。
私が十二歳だった時――あの冬の夜に助けてくれたナイルさんと奥様のマリーさんに近況報告がてら会いに行こうとしたら、私の足の具合がまだ万全じゃないことを心配したのか一緒に来てくれて、さっきまでは普段通りだったのに。
「こんにちは、兵士長さん」
改めてマリーさんが挨拶しても、兵長は黙ったままだった。なぜかマリーさんを睨んでいる。
「ええと、もしかしてお知り合いですか?」
二人の顔を交互に見ながら質問したら、マリーさんが答えてくれた。
「二年前だったかしら。街で会った時に、未来を視てあげたことがあったのよ」
そこで兵長は鼻を鳴らした。
「お前が見た未来は外れたぞ」
一体どんな未来を告げられたんだろう、と思っていたら、
「うーん、それはわからないんじゃない? だって、私が『いつ』の未来を視たのかはわからない。まだ『その時』が訪れていないだけかもしれないでしょう」
マリーさんの言葉に兵長の顔が強張る。
「あの、マリーさんは何を言ったんですか?」
二人の間にある事情がわからなくて説明を求めると、
「『あなたの大切な人は、死んでしまうわよ』って教えてあげたの」
マリーさんは、じっと私を見つめて言った。
「ええと……」
横目に兵長の様子を窺えば、ばっちり目が合った。
「……それって……私、のこと、ですか……?」
自惚れるわけにはいかなくて、確認を取ると、兵長は何も言ってくれない。マリーさんはにこにこするだけだった。
どうやら私のことを指して、そんなことを言ったらしい。
私は静かにカップへ口をつけることにして、息をつく。
「――マリーさんは昔から、私の死の予言がお好きですね。十二歳の私に話したことを、この人にも伝えるなんて」
昔のことを思い出していると、兵長が私を見た。
「お前、昔にそんなクソみてえなこと言われて、よくこの女とまた会う気になったな」
「マリーさんは私を慮って言って下さったんですよ。それはわかっていましたから」
それに、と言葉に迷いながら続ける。
「死ぬより怖いことがあったので、あまり気になりませんでした」
言葉を返しながら、考える。
どうやら兵長は、私以上に私の死を考えて、そのことに苛まれていたらしい。
私が思う以上に、私のことを慈しんでくれていた。
そんな風にこの人が重ねて来た日々に想いを馳せると、まだしばらくは死ねないと思う。
だけど、死なない人間はいないから。
私は、どんな風に死ねばいいだろう。
そこで兵長がカップを置いた。
「孫に看取られて寝ながら逝けばいいだろ」
「ま、孫!?」
子供もいないのにそこまで飛躍することも驚いたし、考えていたことを見透かされて思わずカップを倒してしまった。
慌てて台布巾で机を拭いていると、マリーさんは指を組んで、そこへ顎を乗せた。にっこりと微笑む。
「私には持論があるの。それは『変わらない未来はない』だけれど、たったひとつ例外があるわ。それが『死』よ。なぜなら――」
「人間は、必ず死ぬから」
そして、私は知っている。前にナイルさんが言っていた。
『マリーは、たとえ絶望だらけの未来でも信じているんだ。そこから変えられる、新しい未来を。だからこっちが聞きたくない嫌なことでも平気で言いやがる。――未来に打ち勝てと言ってるんだよ。祈っているんだ。願っているんだ。それが出来ると、信じてやがるんだ』
後で、兵長に話そう。彼女の真意を。
もしも、望まない未来を告げられたなら――それは、『その未来を変えてみせろ』と物凄く期待されているんですよ?
「おかえりなさい。――あらあら、三人ともぐっすりね。……あなた、よく全員抱えて帰って来られたわね」
「俺だって兵士だぞ。これくらい朝飯前だ」
「そういうものなの? ……あなたには、言っておこうかしら」
「どうした」
「実はね、最近、未来も過去も視えづらくなってきて」
「…………」
「店じまいしようと思っているの」
「……そうか」
「それで、ね。私がつまらない女になっても、一緒にいてくれる?」
「当たり前だろ。俺と『今』を生きてくれるなら、それで充分だ」
「……ありがとう」
(2018/03/18)
『翼のサクリファイス-断章の羽根-』で占い師な魔女さんは兵長視点CとHに登場しています。