スパイスにはとびきりの愛情を

「あら。リーベがそんな本読んでるなんて珍しいわね」

 人がまばらになった食堂の昼下がり。通路を歩いていると聞こえたリーベの名前に顔を向ける。
 今日は非番なのかリーベは私服姿だった。編んでいる髪はニファがやったんだろう。自分を飾ることはしない女だ。

「うん、ちょっと勉強中」

 ペトラの言葉にリーベが応えて、その手に持つ本の題名が俺にも見えた。

『胃袋をつかめ☆恋する乙女必殺レシピ』

 おい、リーベ。お前それを誰に作る気だ。

「物騒な単語が紛れているタイトルだけど目的はわかるわ……で、誰に作るの?」

 まさに俺の聞きたいことをペトラが訊ねれば、はにかむようにリーベが笑う。いつまでも見ていたいような表情に、胸が詰まる。誰がお前にそんな顔をさせるんだよ。

「ええと、訓練兵団の子なんだけど」
「あ、最近実習で教えに行ってるところ?」
「そうそう」

 訓練兵団ってのは十二かそこらのガキしかいねえ場所だろ。となれば、まさか相手は教官か? いや、『子』ならガキか?

「どんな子? どんな人?」

 興味津々というようにペトラが目を輝かせていた。

「私もまだよく知らないんだけど、大人しい、かな……自己主張しない感じで……あ、でも身長はなんと192cm!」
「高いわね、ミケ分隊長くらい? それで大人しいのは意外というか、だからこそなのか……」
「隣に並ぶ度に圧倒されるよ」
「リーベの身長だと余計にそうでしょうね」

 別に背が高いからお前はそいつに興味を持ったわけじゃねえだろ。
 何がお前の心を惹いたんだ。

 次にリーベが実習へ向かう際の随行する口実を考え始めれば、

「で、とりあえずこれを読んでもピンと来なくて。ねえペトラ、何を作ったらいいと思う?」
「いっそ男の人に聞いた方がいいかもしれないわね――あ、兵長!」

 ペトラが俺を見つけて、リーベもこちらを見た。隠れもせずいれば当然か。

 最初から話を聞いていたとは言えない手前、簡単な説明を受けてから仕方なく口を開く。

「……そんなもん、お前が食わせたいもんを食わせればいい話じゃねえか」
「うーん、それだと、意味がないような……」

 リーベが納得しない様子に、苛立つ感情を抑える。

「意味はあるだろ。お前がそうしたいと思った気持ちが、相手に伝わるだろうからな」

 そこでリーベは何度か瞬きした。

「……兵長。もしかして、勘違いされてませんか?」
「あ? 何言ってやがる」

 舌打ちをして言葉を続ける。

「お前が惚れさせたい相手に食わせる料理だろうが」
「いえ、あの、そうじゃなくて……!」

 リーベは慌てたように手を振って、

「料理を作るのは私ではなく、訓練兵団のイリスって名前の女の子ですよ。『ベルトルトの胃袋をつかむレシピを教えて下さい!』って頼まれて――あ、ベルトルトというのが彼女が好きな男の子の名前なんですけれど、何をアドバイスしたらいいのかわからなくなって」

 リーベの必死な様子と説明にやっと重苦しい感情が晴れていくのがわかった。確かに俺は勘違いしていたらしい。思わずため息が漏れた。

 リーベが頭を下げる。

「説明不足ですみませんでした。――それで、あの、兵長は何を作ればいいと思いますか」
「…………」

 はっきり言って、どこぞのガキが惚れた男に作る料理なんざどうでもいい。勝手にしろと思う。だが、ここまで話に付き合った経緯もある。

「……『何を』というより『どうやって』じゃねえか」

 リーベが手を打った。

「なるほど! その通りですね!」
「ええと、どういうこと?」

 首を傾げるペトラにリーベが説明する。

「つまり――」




 ある日、訓練兵団調理場。

「よおおおおおし! やるよおおおおお!」
「……なあクリスタ。イリスのバカは貴重な休日に何やってんだ。刃物を振り回す呪いの儀式か」
「違うよユミル。今回はリーベさん直伝の料理法でベルトルトに振り向いてもらう作戦なんだって」
「へえ、あの人の料理なら見込みあるかもな。でもあいつ、何をあんなに念じてるんだ? 魚に黙祷してんのか?」
「『おいしく食べてもらえますように』と想うこと」
「は?」
「リーベさん曰く『相手への想いがあれば自然と作り方が丁寧になるよ』って」
「あー、気持ちが行動に表れるってことか、なるほど。わからなくもない。……イリスの場合、普段とやってること変わらねえ気もするが」
「ユミル?」
「見届けてやるか、暇つぶしに」


(2017/12/29)
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