▼ 夜に留めて
吉田松陰先生がカルデアにやって来た。
互いに挨拶を交わしてから無事に召喚できたことにほっとする。だって――
「松陰先生……!」
長い髪をなびかせて、高杉さんが駆け寄って行く。一目散に。
その背中を眺めていると、
「先輩、召喚お疲れ様でした」
「ありがと、マシュもお疲れ様」
サポートと記録に徹してくれた彼女にお礼を言って、伸びをする。ふう、と力が抜けた。召喚できるか否かは挑んでみなければわからない上にいつもより深追いしてしまったから身体が緊張していたみたい。無事に召喚できて本当に良かった。結果オーライ。
カルデア内の案内は高杉さんに任せようということになって、私たちは彼らを残してそれぞれの自室へ戻った。
召喚に伴うリソース消費の報告書をちゃっちゃとまとめてからベッドへ倒れる。
「…………」
一人きりの、マイルーム。
毎晩毎晩姿を見せていた高杉さんがここへ来ることはなくなるだろうなと思った。少なくとも頻度はぐっと減るだろう。松陰先生は高杉さんにとって大切でかけがえのない存在だから、彼と共に過ごす時間が多くなるに違いない。
別に、こういったことは初めてじゃない。例えば生前の伴侶が召喚される前と後で、無二の親友や相棒が召喚される前と後で、私への態度や接する時間が大きく変わったサーヴァントは少なくない。それが悲しいとは思わない。そういうものだよね、そりゃそうだと納得する。
みんな、私に大切な誰かを重ねていた。私は誰かの代わりに過ぎない。むしろ、そんな風に在れたことが光栄だったという話。
高杉さんも、同じ。
ううん、私は代わりですらなくて、単なるその場にいただけの存在で。
「…………」
面白くない、っていうのはこういう感覚かな。
でも、どうしてだろう。今までそんな風に感じたことは一度もなかったのに。
高杉さんだと、どうしてこんな風に思うのか。
わからないままに息を吐く。一人でベッドへ横になるのは久しぶりだと思いながら目を閉じた。だけど、意識は鮮明なまま。だってまだ眠るにはずっと早くて、夕飯も食べてない。このまま過ごすひとりの夜は、ちょっと寂しい気がした。
「――よし」
その日からマイルームで夜を過ごすのはやめた。おっきーの部屋で原稿を手伝いつつボードゲームに興じたり、子ども部屋でたくさんの絵本を読んだり読んでもらったり、キッチンを覗いて翌日の仕込みや夜食に興じるサーヴァントたちに混ぜてもらったり、巴御前たちとシューティングゲームの新記録樹立に向けて励んだり、教授のバーにお邪魔したり――かなり充実した時間を過ごすことになった。
取るに足りない凡人の寂しさなんて、予定を埋めてさえしまえば割と何とかなるんだ。
贅沢なものでそのうち一人の時間が恋しくなって、今日は久しぶりにマイルームで休もうと思いながら足を踏み入れる。シャワーと着替えに寄るしかしなかったから、自分のベッドへ横になるのは久しぶり――
「それで? 僕をほったらかして過ごす夜は面白かったって?」
「おわあ!?」
低い声が響いて、ベッドから跳ね起きた。顔を向ければ鮮やかな髪色が視界に入る。綺麗なそれを流して隣に腰掛ける高杉さんがいた。たった今まで霊体化していたらしい。心臓に悪いからやめてほしい。マイルームでサーヴァントの霊体化は禁止してもらっているのに、この人は聞く耳を持ってくれない。
「え、高杉さん? 何でここに? というか」
なぜ私は咎められるような眼差しを向けられているのか。
「ほったらかすとか……私たち別に……約束、してたわけじゃないのに……」
途切れ途切れに訴えれば、
「何だ、契りを交わせば良かったのか。それを不手際だと認めたとしてもだ。僕は召喚されて以来、毎晩ここへ通っていたんだが。それが言葉も書置きもなく急にいなくなるとかどういうつもりだよ。随分と不義理じゃないか」
「だって、その、えっと」
拗ねたような強い口調で言われて、返事に困ってしまう。
「松陰先生が……カルデアにお見えになったので……」
そこで高杉さんが片眉を上げる。
「君と僕が過ごす夜に、先生は関係ないだろ」
そうかなあ?
そうなのかなあ?
そんなことは、ないような?
うーん、と首を捻っていたら、するりと頬を撫でられる。くすぐったいのに、ずっと触れられていたいと思う感覚だった。
「松陰先生が召喚された日だってそうだ。これでも心配したんだぞ。召喚を終えるなり自室へ閉じこもって。普段は抑えるところを派手に召喚し続けていたから無理もない、疲れたんだろうと夕餉の膳を運んでやれば部屋にいなかった上に一晩君が戻らなかった時の僕の気持ちがわかるか?」
そんなの、ちっとも想像できなかった。
やっと会えた大切な人がいるのに、私のことも考えてくれたなんて。
これといった理由なく私の部屋へ来るようになっただけだと思っていたのに。
「私と、一緒にいたいって……思ってくれたんですか?」
私は面白い人間じゃないのに。
それは僕が決めることだと高杉さんが鼻を鳴らす。
「僕が君から離れると思ったのか? だから誰彼構わず夜を共に過ごして? おいおい、いくら多くの英霊を束ねるマスターだからって、節操なしにも程があるだろう」
「言い方」
人聞きの悪い。責められるような口調だけど、私が悪いのかなあ。
だって、知らなかった。高杉さんの気持ち。知ることが怖かったから。一方通行な自分の気持ちを思い知ることになると思うと嫌だった。
「…………」
そっか。やっとわかった、自分の気持ち。
私の頬へ触れる指に、そっと手を重ねてみる。
「じゃあ、私がどこへも行かないようにすれば良かったのに」
すると、高杉さんは面食らったように瞬いて、目を細くする。
「――それもそうだな」
向けられた笑い交じりの声とまっすぐな眼差しに、胸の奥がきゅっとなる。
身体を寄せられて、顔が近づいて、私は目を閉じた。
(2024/04/03)