▼ 愛されるだけの私になる
禅院家の長い廊下をしばらく歩いて曲がれば、直哉さんとばったり鉢合わせた。
「何しに来たんや、名前ちゃん」
今日は機嫌が良さそうだなあと思いながら答えることにする。
「直毘人様へ高専卒業の報告ですよ」
三年間通ったものの直哉さんの在学期間とは重ならなかったし、真希ちゃんと真依ちゃんとも入れ違いになるしで残念だったけれど、こればかりは仕方ない。
卒業証書の筒を見せれば、「もうそんな時期なんやな」と直哉さんが外を見た。冬の終わりが近づいて、春の予兆が感じられる風景だ。毎日専属の職人さんが手入れしているおかげでとても美しく整えられている。
「高専卒業したらどないするん?」
「んー、どうしましょう……」
私の現在の等級は二級。高専に残ってもいいし、募集があればどこかの団体に所属も叶うだろう。ただ、正直なところあくせく働きたくないんだよね。せめて週休四日がいい。希望を伝えれば担任に呆れられたけれど、一応働くだけ偉いと思って欲しい。
そんな私の心を見透かすように、直哉さんが口を開く。
「働かへんなら結婚するんか?」
結婚。確かにその道はある。
だけど、それは私が決めることじゃない。
「どうでしょう。結婚相手は親が決めますし」
禅院家の遠縁とはいえ、それなりに申し分ない術式と呪力を持って産まれることができたこの身体。おかげでこうして本家へお目通りが叶う。そんな私の存在を親が有効活用しないはずがない。
私はそれで別にいいと思う。自由恋愛なんて想像できない。したいとも思わない。面倒だし。
直哉さんが肩をすくめる。
「そんくらい自分で選んだら? 親が納得する相手なら誰でもええんちゃうの」
「簡単に言いますけど、そんなの相手は限られてくるでしょう」
「悟くんは?」
「どう考えても釣り合わないじゃないですか、家柄も血も呪力も何もかも。それに、あの人はちょっと……本人もさることながら立場を思うと荷が重すぎて……」
野心ある人なら五条家当主の妻の座を望むかもしれないけれど、私にはそれがない。要の位置に座するなんて、むしろ重荷だ。私は気楽に生きたいのに。
「お妾さんにでもなったらええやん」
「あの人の立場ならこれから何人か抱えそうですが……でも、それだと私は良くても子供が可哀想というか」
やることをやれば妊娠の可能性は0パーセントではない。
それに、子供の人生を左右するほど自分本位にはなれない。
その時、ぐうっと直哉さんの顔が近づけられた。
「なあ、俺は?」
何を言っているんだろう、と見つめ返してしまう。
「直哉さんも大概でしょう。禅院家の要の位置に就くのはしんどいです」
「そんならお妾さん」
「だから子供が――」
「産まへんかったらええやろ」
「…………」
何でそんなことはっきり言うの。
「名前ちゃんの姉さん、ガキ産んで死んだのに産みたいんか?」
直哉さんの言う通り、私の姉は出産の際に血が止まらなくてそのまま帰らぬ人になった。数年前のことだ。子供もその時に死んでしまった。ちなみに呪霊も呪詛も関係ない。
現代医療でも出産は命懸けなんだと思い知らされたっけ。
「…………」
私はそんな風に死にたくない、と思ってしまったっけ。
「……産まなくていいなら、それはそれでいいんですけど……本当にいいのかな、って思ってしまうんです。女の役割の一つはそこにあるし。それに、直哉さんにメリットがありません」
御三家ほどの家柄と立場なら、跡継ぎは必須だ。
すると鼻を鳴らされる。
「メリット? そんなもんは俺だけわかってたらええねん」
そう言われても――
「私が納得しません。そもそも、お妾さんなんて将来の奥さんが認めてくれるかわからないのでは?」
妾は不倫と違って本妻が承認した上で成立するものなのだから。
はあ、と直哉さんがため息をつく。
「そんな狭量なヤツと俺が結婚するわけないやろ。それで、なるん? ならへんの? どっち?」
「え、あの、ええと……」
決めなきゃならないのかな。
私は嫌じゃないけれど――
「直哉さんはどう思ってるの?」
訊ねれば、直哉さんの顔つきが変わった。
「――俺のもんになってや、名前ちゃん」
その声が、普段よりもずっとまっすぐなものだったから。
うん、と頷いてしまう。
「決まりやな」
直哉さんが嬉しそうに笑った。
(2023/09/25)