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▼ 俺の全部に触れていいから

 私の視界は常人のそれではない。ほとんど何も見えないに等しい。だけど真っ暗というわけではなくて、太陽や照明とか光の位置が辛うじてわかるくらいのレベル。

 それでも周りの人と変わらない生活ができるのはひとえに術式のおかげ。他の人と同じようには見えないけれど、私には私の見える世界がある。だから自分のことは自分一人でこなせるし、今の生活は問題なく成り立っている。最近の家電は喋ってくれるタイプや、こちらの声に反応してくれる機械が増えつつあって助けられていた。おかげで呪術高専にも問題なく通学ができている。制服も着やすさ重視で仕立ててもらえた。
 不便がないとは言わないけれど、生き辛さの抱えない人間なんてこの世界に皆無だろう。

 だけど、時々どうしても知りたくなる。

 みんなが話す、「綺麗」の正体を。

 この前テレビで流れていた日本の絶景ランキングとかいまいちよくわからなかったし。
 任務で通りがかった花火大会はうるさいだけだったし。
 何とかコンテストで優勝に輝いたという美女の撮影現場を見かけたことがあるけれど、私の視界では見ていて心配になる澱みがあるだけだった。芸能界って怖いなあ。

 閑話休題。

 そう、つまり私の中にあるのは『ないものねだり』。どんな人間であっても人間である以上は有する感情。

「あ」

 そこで私は閃いた。

 五条くんの顔はとても綺麗だ。私の視界ではそれがよくわからないけれど、色んな人の会話や噂からそれが確かだと何度も耳に入っている。

「だから、顔を触らせて?」
「はあ?」

 声からしてわかる、五条くんが怪訝な顔をしていることは。

 放課後、黄昏時。夕陽の差し込む教室。
 じんわりと肌に当たる温もりから、陽が沈むまでもう少し時間があるのがわかった。
 図書室で調べ物をしてから廊下を歩いていたら、通りがかった教室に五条くんが一人でいることに気づいた。珍しい。夏油くんは任務なのかもしれない。
 そこでこの機を逃さず、前からやりたかったことをシンプルにお願いしてみた。

 顔を触りたい理由はある。見えないことに変わりはないけれど、触れることで少しでも得られる情報があれば何かわかることがあるように思えたからだ。

「大丈夫、手は洗ったばかりだから」
「マメだな」
「さっきまで図書室の古い本、読んでたから」
「前から思ってたんだけど、オマエどうやって読むわけ? 点字の本、あったっけ。いや、教科書も普通に読んでるよな。俺たちと同じヤツ」
「えっと、指でなぞれば読めるんだよね、術式で」

 ちゃんと清潔だよ、とアピールするために自分の手のひらを見せる。

 五条くんが短く息を吐いた。それからサングラスを外す音がした。

「――ま、別に良いけど」

 許可を得られたので、満を持して手を伸ばす。
 見えなくても、五条くんがどこにいるか私にはわかる。もちろんその顔の位置も。

 そっと肌に触れて、その滑らかさに感動する。私と全然違う。次に指先で輪郭をなぞる。額と頬、まっすぐ通った鼻筋と薄い唇へ順番に触れる。

 なるほど。これが、『綺麗』か。
 だとしたら、一番確かめたい箇所があった。

 五条くんの瞳。六眼。
 そっと目蓋に触れてみる。まつ毛、すごく長い。

「眼球も、触りたいなあ」
「あー、この前観たスプラッタホラーで眼球抉られるヤツあったの思い出した」
「そんなことしないけどそう言われるとやりづらいなあ」
「じゃ、舌は?」

 理解するまで少し時間がかかった。

「えっと、舐めるってこと? そういう『ぷれい』があるのは知ってるけど、ちょっと……」
「素手で眼球触りたがるヤツが何言ってんの?」

 それもそうかもしれない、と悩みながら彼の顔から手を離す。すると五条くんが「俺も触らせて」と言った。

 確かに、一方的に私だけが触るのはフェアじゃないよね。いいよ、と頷いてから確認する。

「手、洗った?」
「洗った洗った」
「嘘でしょ。論外だから洗ってきて」

 しっかりと洗ってもらってから、向き合う。
 第三者が今の私たちを見たら、何をしていると思うだろう。その光景を私には想像することしかできない。一生答えのわからないまま過ごすしかない。

「オマエ、何考えてる?」

 見透かすような声だった。

 黙っていると、大きな手に頬が包まれるのがわかった。
 乾いていて、心地良い。
 軽く力を込められたり、指先で少し突かれたり――これは遊ばれている気がする。

 少しして、浅い吐息が唇にかかるのがわかった。すごく顔が近い。
 もう良いでしょ、と言おうとした矢先、

「俺の身体とか、触りたくない?」
「……それって私の身体に触りたいってこと?」

 そうだよ、と間髪入れずに五条くんが身体をぐっと寄せてくる。

「全部、触らせて?」

 俺の全部に触れていいから。

 身体の奥深くまで、その声は沁み入るように響いた。

(2023/07/22)


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