▼ ウィッシュリストを秘匿せよ
「か、か、可愛い……」
とある春島。大きな山の麓にある賑やかな街で、艦の食糧を買いに行く道すがら。
お洒落なお店のショーウィンドウに飾られていたのは、可愛くて綺麗なワンピースだった。縦ストライプの生地が鮮やかで、とても目を惹く。
「名前ー? どうしたー?」
「あの、ワンピースが……」
「ひとつなぎの大秘宝?」
「いや、そっちのワンピースじゃなくて……」
ショーウィンドウを指差して、やっとシャチは合点したように声を上げる。
「可愛いけど、お前の趣味だっけ? メカの方がテンション上がるんじゃ?」
「こういうのも好き。大好き」
「へー。まあ、良いんじゃね? 買うなら待ってるけど」
「あー……」
私は近くにあった金色の文字で書かれた値札を見て、考えて、首を振った。
「ううん、買わない。ごめんね、足止めて。行こ」
「え!? 気に入ったのに? 名前の好みにドンピシャなんだろ?」
「……考えてみると着る機会ないなあって……」
艦の中じゃ常に作業着のツナギだし。島へ降りる時も基本的にこれ。機能性皆無の可愛い服なんていつ着るの?って話。それに、衝動買いするにはブレーキがかかるお値段だ。
買えばいいのに、と話すシャチの腕を引いて、今度こそ目的地を目指した。
一週間後。
「あ、やっぱ買お! 私ちょっと出るね!」
「今!? もう出航するぞ!?」
「ごめん! 買わなきゃ後から後悔するって気づいた!」
「夜中だよ? もうお店って開いてないんじゃない?」
「店の鍵は工具で開けて入る! で、ワンピースもらってお金は置いてくる! ちゃんと鍵を閉めて帰る!」
「名前って海賊らしいのか海賊らしくねえのかわかんねえな……」
シャチ、ベポ、ペンギンの声を聞きながら私は艦を飛び出す。
「発進!」
時間がないから移動速度を上げるためにジェット機能付きローラーブレード《ミラクル彗星号》を装着して、一気に真夜中の街を駆ける。ヴォルフさんの《スーパー彗星号》を参考にして作ったものだ。
夜のお店は島の裏側に集中しているみたいで、この辺りは静か。とっくに日付も変わってる時間帯だもんね。おかげで人もいないから目的のお店へ加速して向かっていると、行く手を塞ぐように小さな集団が見えた。なぜか私を指差している。
「見つけたぞ! ハートの海賊団!」
「昨日はよくもやってくれたなあ、ぶっ殺してやる!」
「女一人だぞ。人質にして取引に使え」
おっとお、この島でローたちがぶちのめした山賊の残党っぽいな? 私は艦の整備兼留守番してたから詳しく知らないんだけど。トレードマーク入りのツナギ、こういう時は損してる。
とりあえず、彼らに構っている時間はない。
「ジェット加速とジャンプモード発動!」
音声操作で《ミラクル彗星号》は思い通りの動きをしてくれた。軽く地面を蹴るだけで、高くジャンプする。そのまま勢いを殺さずにローラー部分で山賊たちの顔面を滑り、一気に集団を駆け抜けて着地する。
ガコンッ
ん? 何か嫌な音したな?
足元を確認する前に背後の威圧感に慌てて振り返れば、まだ元気な山賊たちがいた。ほとんどが顔を押さえてたりして悶絶する中、一直線に私に向かって来る。このまま放置しても良いけれど、いつまで追いかけられるのは疲れるし、
「こんな時は――《ナンデモシトメールくん》!」
ヴォルフさん作の光線銃。人間相手なら粉砕骨折くらい余裕の威力。脇を締めてどんどん撃つ。自動照準器のおかげで全弾命中。全員、もう誰も動かなくなった。
「ふう……」
一人でも何とか切り抜けられた。能力者もいないみたいだし、相手の獲物は剣やナイフの刃物ばかりで助かった。運が良かった。
一度止まって落ち着こうと思ったら、
「あ、あれ?」
《ミラクル彗星号》が止まらない。
緊急停止命令も効かない。
あ、さっきの嫌な音ってそういうこと? 故障した感じ?
「なるほどねー、って嘘。嘘、わ、ちょっ――!」
結果、結構な速度のまま商店の前に大量に積まれていた木箱へ思いっきりぶつかって止まった。全身への物凄い衝撃に、目の前を星が飛ぶ。気づけば地面に倒れていた。
何これ。自滅とか、情けない。
痛む全身に悲鳴を押し殺しながら仰向けになる。
少しずつ夜が明けようとしている、綺麗な空が見えた。
何やってるんだろう私。
ワンピースを買いに行きたかっただけなのに。
でも、もう、いいか。
着る機会ないし。高かったし。
諦めるために自分の気持ちに蓋をしていると、無意識に空へ手が伸びていた。
それに、私が一番欲しいものは――
上げていた手から力が抜けて、地面にぶつかる直前、大きな手にぎゅっと掴まれる。
「名前」
ローだった。
「お前な、速すぎるだろ……何だその靴……」
ローが息切れしてる。走って来てくれたからなのか、能力によるものかはわからない。
それから周りで倒れている山賊の残党を見てため息をついた。
「お前に度胸があるのは知ってる」
それでも、とローが言った。
「あんまり、心配させるな」
ローの顔が、見えない。
どんな顔、してるのかな。
意識が遠のく。
せめてこれだけ言わなきゃ。
ごめんね、って。
目を覚ましたのは数日後。ポーラータング号内だった。
様子を見に来てくれていたベポが気づいて、ローを呼ぶ。診察が始まった。
「骨、折れたと思う……」
「折れてはない」
「あばら、痛い……」
「ヒビが入ってるからな」
「痛い……」
弱音を吐いてしまう。泣きそう。結局ワンピース、買えなかったし。諦めたけどやっぱり欲しい。もう手に入らない。あ、無理。泣く。
すんすん泣いていたら、シャンブルズ、とローが呟く。オペオペの実の能力で、何かと何かを入れ替えたらしい。潤む視界でその手を見れば、可愛いショッパーがあった。
「……あ」
「開けろ」
「わ……わ……」
涙が止まる。渡されたショッパーを震える手で開ければ、見覚えのあるものが入っていた。
「どうして……この、ワンピース……」
「お前が珍しいもん欲しがってたとかシャチが俺たちに話さねえわけねえだろ」
「う、ううぅううう、うう……」
嬉しい。嬉しい。
「ありがとう、部屋に飾るね」
「……たまには着ろよ」
「本当にありがとう、ロー」
手にとって、色んな方向からワンピースを眺めていると、
「『私が一番欲しいもの』」
「へ?」
「お前、言ってただろ。倒れてる時に」
「……言ったっけ?」
全然記憶にない。
首を傾げていると、ローが私のベッドへ腰を下ろす。一気に距離が近くなった。
「お前が一番欲しいものは、何だ」
「私の、一番……」
考えて、首を傾げる。
「何かなあ」
「お前な……」
「欲しいものは色々あるんだよ。このワンピースもそうだし、新しい工具とか。クリミナルの新作アイテムも気になる。――だけど、一番って何だろうって」
周りを眺めて思考のヒントを探る。
「ポーラータングかな? んー、でも私の手に余るしちょっと違う……」
腕を組めば、あばらが痛んだ。呻くと、呆れたようにローが息を吐く。
「もういいから安静にしてろ」
「はーい。――ねえ、ロー」
部屋を出ようとする背中に声をかける。
「何だ」
「…………ううん、何でもない」
怪訝な顔をしてから、それでもローは電気を消して私の部屋を出て行く。
「…………」
ローの一番欲しいものは何か、なんて聞かなくてもわかってる。
私にできることは、ローが自由にこの海を駆けられるようにポーラータング号の整備をすること。
それだけでしかないことが寂しいなんて、きっと気のせいだ。
胸が痛いのも、あばらにヒビが入っているからだ。
『お前が一番欲しいものは、何だ』
その答えに気づかない方が良い。
私が一番欲しいものは、きっとずっと手に入らない。
ワンピースが皺にならないように抱きしめる。少しだけ心が慰められた。
この服は、ずっと大切にしよう。
(2022/07/25)