▼ ジェミニ・クライシス
私がもう一人いたらいいのに。そう考えたことがきっかけだった。だって二人で一人分の課題に取りかかれば半分の時間で済むじゃない? 交代で休憩を取れば作業効率も上がるだろうし。
その一心で『双子の呪文』の応用編、もう一人の自分を魔法で作り上げた。一見複雑すぎる理論で骨が折れたけれど、ジェームズから透明マントを借りて禁書の棚にある本をちょっと漁ったら簡単だった。闇の魔法に踏み込む一歩手前、ギリギリだけど。バレたら罰則は免れない。まあ、バレないようにやるから大丈夫。
「じゃ、一緒に課題レポートやろう!」
そんな風に私が提案した次の瞬間――『私』は談話室から逃げ出した!
「ちょっとおおおおお!?」
慌てて呼び止めても『私』は止まらない。
「どうして!? どうして!?」
ひたすら混乱していたら、
「え? 想定の範囲内だろう?」
暖炉の前で忍びの地図を眺めていたジェームズがのほほんと言った。
「怠けるために努力を惜しまない名前なんだから、君の分身だって怠けるために逃亡するに決まっているじゃないか」
「そんなあああああ!」
微笑む眼鏡を叩き割りたい衝動にかられながら、私は『私』を追いかけるしかなかった。もう後ろ姿さえ見えない。
「名前?」
とりあえず談話室を飛び出せば、階段の下にいたリーマスが私へ笑みを向けた。あれ? 心なしか引きつった笑顔だ。
「たった今、僕から引ったくったハニーデュークスの新作チョコはどこ?」
それ私じゃなくて『私』の仕業!
「城の外へ出たと思ったけれど――もう食べたのかい? ひどいよ名前、どうしてあんなことしたの?」
「あああごめん! 事情は今度説明するし弁償並びにお詫びもするから!」
今は誤解を正している場合じゃない。元凶を何とかしないと!
リーマスの言葉から『私』が向かったらしい外へ出る。ホグワーツ城の外だ。
でも、ここからどこを目指せばいいんだろう。ホグズミード? まさか禁じられた森?
途方に暮れていれば、
「名前!」
リリーが髪を揺らしながら駆けてきた。いつもと様子が違うから嫌な予感がして自分の顔が強張るのがわかる。
「ど、どうしたの?」
「どうしたのじゃないでしょ。一緒に育ててた温室の花、どうして全部摘んじゃったの? スラグホーン先生にもらった貴重な種からやっと咲いて、大切にしていたのに。私は後ろ姿しか見えなかったけれど、セブルスが現場を見たって――」
リリーの言葉に頭を抱えてしまう。
『私』ってば悪行の限りを尽くしてる!
どうしよう。どうしよう。
これから『私』が何をするのかと考えたら血の気が引いた。
「リリー、『私』はどっちに行った?」
「え? 湖の方でしょ? まさか城へ戻っているとは思わなかったわ」
きょとんとしているリリーに「事情は今度話すから!」と叫びつつ私はまた走る。
どうしよう。どうしよう。
私が作り出した『私』は私であって私じゃなかった。
だから闇の魔術の一端が絡んでいたことを今さらながら理解する。
怖い。『私』はこれから何をするんだろう。だって窃盗と器物損害の次だなんて何をするかわかったもんじゃない。もしも誰かに何か取り返しのつかないことをしてしまったら? 誰かを――傷つけて、怪我をさせたりしたら?
「罰則どころの騒ぎじゃなくなるよ! 下手すれば退学! 最悪はアズカバン! あああああ自分をもう一人作るとかこんなのやめとけば良かったあああああ!」
後悔して叫んでももう遅い。
ちょっと泣きながら湖を目指して走っていたら遠くに見つけた! 『私』だ!
後ろ姿だけとはいえ、自分で自分を見るのは妙な気分になる。
そして『私』は一人じゃなかった。シリウスと一緒にいた。
二人で何をしているのかと思ったら――決闘だった!
「ステューピファイ、麻痺せよ!」
「インペディメンタ、妨害せよ」
「ディフィンド、裂けよ!」
「プロテゴ、護れ」
まずいまずいまずい!
『私』ってば攻撃と悪意の塊だよ!
さすがのシリウスは難なく防御してくれているけれど――私としてはこれがいつまで保つか不安すぎる。
逃げてシリウス、『私』にひどいことされる前に!
声を上げて私が『私』と向き合おうとした時、シリウスがこっちを見た。そして『私』を前にしているにもかかわらず、私の存在に驚くことなく見事なウインクを投げた。『私』ではなく私へ。
その瞬間、自分のやるべきことがわかった。
私は素早く杖を構える。この距離なら外さない。
「フィニート・インカンターテム、呪文よ終われ!」
唱えれば風で流されるように『私』が消えた。
そして周りに散らばるハニーデュークスの新作チョコと色とりどりの花々。
チョコはリーマスへ返すとして、花は魔法で元通りに出来るかわからない。スプラウト先生に相談しよう。
とりあえずほっとすると同時にどっと疲れが出て足から力が抜けた。
座り込む私と目線を合わせるようにシリウスがしゃがんで、
「割と良く出来てたな。ぱっと見はお前としか思えなかったし杖の振り方や呪文のクセもそのままで――」
「それなのに、どうしてわかったの? 『私』が私じゃないって」
訊かずにはいられなかった。すると怪訝そうな顔をされて、
「はあ? わかるに決まってるだろ?」
「だけど……」
リーマスもリリーも、誰も『私』が私じゃないってわからなかったのに――
「それで? 何で自分をもう一人作ろうって思ったんだ?」
「あ、ええと、マクゴナガル先生の超絶難題レポートを早く終わらせたくて……」
「変身術なら俺、五分で終わったぜ?」
「ご、五分?」
成績トップクラスの実力に圧倒されると同時に、地を這う自分の能力に落ち込んでしまう。
「私、何日かかっても出来ない気がする……」
「はあ? 『双子の呪文』の魔法理論を解き明かしたヤツがよく言う……」
シリウスが呆れたようにため息をついてから、
「仕方ねえから手伝ってやるよ、名前」
「え? 本当に?」
一気に未来が明るくなった気がした。思わず笑顔を見せるとシリウスは指を一本立てて、
「代わりにまた、あれ作ってくれよ。苗字家直伝のミートパイ」
「厨房に行けば材料もらえるし、ちょっと時間があれば出来るけど……高貴なる由緒正しきブラック家様の口に合うものじゃないと思うよ?」
「じゃあレポートは一人でやるんだな」
「作ります作ります作らせて下さい」
シリウスが軽く杖を振って、チョコと花々を浮かせてまとめてくれた。私はそれをキャッチする。
「ありがと。じゃ、後で談話室?」
「叫びの屋敷にしようぜ。壊れてる椅子と机はレパロで直せば普通に使えるだろ」
「わざわざあそこ? 今日は満月じゃないからリーマス行かないし何もないでしょ?」
「何もねえから行くんだよ。――二人でいられるだろ?」
その言葉で気づいた。
「うん、それもそうだね」
自分は二人もいらない。私一人で充分。
だって一人じゃないと、こうしてシリウスと二人きりになれないからね。
(2017/01)
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