▼ 月下問答
そろそろ眠ろうとした矢先、障子の向こうから声をかけられた。
「名前」
杏寿郎さんだ。
私は彼の許嫁で、煉獄家に住まわせてもらっている。まだ婚礼前だから部屋を分けられている状態で、その辺りはもどかしいけれど仕方ない。
はい、と障子越しに私は応じた。
「お夜食の用意をしましょうか」
「いや、構わない」
「では……」
一体何の御用だろうと思ってたら、
「君の声が聞きたかっただけだ」
声?
首を傾げてしまう。
どうして私の声なんか。
だって、私は胡蝶様のように澄んだ声ではないし、甘露寺様のように愛らしい声でもないのに。
とりあえず顔を見ながら話した方が良いかと思い、腰を上げる。
「障子、開けますね」
「やめなさい。身体を冷やしてはいけない」
確かに、もうすっかり夏は遠ざかっているけれど。
私は少し考えてから羽織に腕を通し、前を合わせる。
それから障子を開けて縁側へ出た。冷気が足元からするりと絡み付くけれど、この程度なら何でもない。
「お気遣いありがとうございます」
夜空には半月が浮かんでいた。
淡く輝くそれを一目見てから、私は杏寿郎さんと向き合う。いつもの隊服姿だったので、これから任務ですかとお伺いすればそうだと頷かれた。
「――声だけで充分だと思ったが、やはり顔を見られると嬉しいものだな」
「きちんとお見送りさせてください。私が眠っていても起こしてください」
ありがとう、と杏寿郎さんは口にするだけだった。きっと、これからも私が眠っていたら起こさずそのまま行かれるのだろう。書き置きだけを残して。
私たちの意見は平行線だろうと諦めながら、ふと気になったことを問うてみることにした。
「私の声の、どこが良いのですか」
教えてほしい。
「私の顔の、どこが良いのですか」
答えが、あるのなら。
すると杏寿郎さんが笑った。
「愛いところだな!」
太陽のように晴れやかに答えた。
夜だからか控えめだった声が一気に普段通りの闊達なものになる。
「誰よりも、いっとう愛らしいから愛おしい。君の声も、顔も、心根もだ」
私なんて、そんな――自分を否定する私の感情を吹き飛ばすように、どこまでも真摯な声だった。だから何を言われたのか理解してからは一気に自分の顔が熱くなるのがわかった。顔だけでなく、全身も。
「……何だか熱くなってきました」
「よもや、熱が出たか!」
早く横になりなさいと追い立てられたけれど、
「あ、あの……」
震え声になりながら、どうにか伝える。
「わたしも、です」
あなたのすべてを、愛おしく思うのです。
(2020/11/25)