▼ 宝物は突然に
今日の魔界最高気温は39度らしい。
「暑うううううぅ……魔界温暖化一直線ですね……誰でも良いから早く魔王になってこの問題なんとかして欲しい……」
「苗字先生、髪長いから余計に暑いんじゃない? 伸ばしてるんだっけ?」
職員室で溶けていると、ダリ先生が近くを通りがかった。
背中の半ばまで伸びている私の髪を見ながらの言葉に首を振って答える。
「いえ、切るタイミング逃してるだけです」
教員の仕事が忙しくて、最低限の身嗜みを整えるくらいしか最近できていない。
仕事は慣れだとモモノキ先生が言ってたけど、新任の私には慣れる日が来るとはとても思えない毎日だった。
「じゃあ切っちゃった方がラクだよ」
「ですね。ハサミありますか?」
「あるよ。はい」
「ありがとうございます」
ハサミを受け取って刃を髪へ添えれば、ダリ先生がぎょっとした。
「え!? 今ここで切るの!?」
「美容院に行く時間ないので」
一気に切り落とそうとしたら、がしっと後ろから大きな手に手首を掴まれた。
顔を向ければカルエゴ先生の鋭い眼光。
「何をしている」
地を這うみたいに低い声で訊かれたら、素直に答えるしかない。
「暑いので、髪を切ろうと思って」
「…………」
呆れたみたいにカルエゴ先生は長く息を吐いてから背を向けて歩き出す。
「……待ってろ」
そしてすぐに戻ってきた。
「これを使え」
押しつけられたのは髪留めリングだった。装飾とか何もない、シンプルなタイプ。
だけど、私でもよくわかる高級品だった。重すぎない重量感は、気位を表すみたいだ。
「ええと……」
どうしてカルエゴ先生が髪留めなんて持っているんだろう。
首を傾げていたら、
「あー、それカルエゴ先生が髪長かった頃に使ってたヤツですね! 確か新任の時! 懐かしいなー!」
その謎はダリ先生のおかげで解決した。
カルエゴ先生も髪が長かった頃とかあったのかと考えながら髪留めをじっと見ていたら、
「……汚く思うなら捨てろ」
「いえ、お借りします」
カルエゴ先生だし、その辺りは全く抵抗を感じない。
だから素早く髪を束ねてまとめた。ぱちりとリングで留める。
首の後ろを風が通って心地良い。
暑さが少し和らいで、ほっと息をついてから頭を下げる。
「ありがとうございます。あとで綺麗にしてお返ししますので」
「返さなくていい。貴様にやる」
「え、でも……」
さすがに戸惑ってしまう。だってこれ、高級品なのに。
その時、予鈴が鳴った。
一先ず早く教室に行かないと。
「授業行ってきます!」
「廊下を走るな」
「はい!」
それが、この髪留めが生涯の宝物になった始まりの出来事だった。
(2020/07/07)