▼ 花の獣
死にたいな、と思った。
別に、これといった理由はない。恋人に裏切られたとか、友達からいじめられているとか、そんな悲しいことは起きてない。
そもそも恋人も友達もいないし。
ついでに言えば、家族もいない。
なんとなく、疲れた。
何もかもが面倒になった。
特に、授業とか、課題とか、進路とか。
なぜそんな狭苦しいルールの下で一定に決められたレールの上を生きなければならないのか。
そんなことは考えず、囚われずに生きたい。
でも、無理。世界がそれを許さない。
だから死にたいと思った。
別に良いよね? 大それた理由なく、死にたくなることがあっても。
それでも何だかんだ最後のブレーキがかかっているのは、死体が発見された時のことを考えると憂鬱だったから。
腐敗したり動物に食べられたり、ぐちゃぐちゃになって見つかるのは嫌だった。理想はやっぱり綺麗に死にたい。
死体を消す魔法、あったかな。消失呪文の応用が使えそうだけれど、その時は私、死んでるわけだし、誰がその魔法かけるの? みたいな。生前にかけた魔法は、死亡と同時に解除されるのが定石だし。
だから、死ぬことはやめた。
でも、じゃあ、どうしよう。
この胸に在る虚無を。
私はもう、このままでいたくないのに。
考えて、すぐに閃いた。
人間をやめようと。
『動物もどき』になって、ずっとその生き物の姿で生きるのはどうだろう。
名案だと思った。でもすぐに却下した。
動物だって、楽に生きられるわけじゃない。ご飯を食べなきゃいけないし、そもそもそれを調達する術が必要だし、眠らなきゃいけないし、それなら安全な寝床が確保出来るのかが問題だし。
「どうしようかな……」
何かいい魔法、ないかな。
そんなことを考えながら夜のホグワーツを彷徨う。最近は変身術のダンブルドアが見回っていて、手強いから注意しないと。
妨害魔法を掻い潜って、図書室で禁書の棚を眺めながら歩いていると、一冊の本のタイトルが目に入った。
【植物となる魔法薬の作り方】
「これだ!」
思わず叫んでしまって、慌ててスリザリンの談話室へ戻った。
二週間後。
「出来たあああ……」
薬品庫から必要な材料をこっそり盗んで、必要の部屋で手間暇かけて調合して、ひっそりと鍋を火にかけ続けた結果、完成した。
ことことと煮込んだ鍋から柄杓で水薬をすくい、瓶に詰めると、澄んだ青色が輝いていた。綺麗。
これを飲んで一時間後に効果が出るらしい。今から禁じられた森に向かえばばっちりだ。
植物として一生を終える。なかなか良いんじゃない? 生きているだけで良い。そして、いつか死ねる。死因が寿命か、水不足か、害虫かはわからないけれど何でも良い。とにかく枯れた植物は大地の肥料になる。完璧。完璧すぎる。
我ながら素晴らしい計画だとにんまりして瓶を傾ける。
「いただきま――」
「アクシオ」
小瓶がするりと手を離れた。
慌てて振り返れば、杖を構えたリドルがいた。ふわりと宙に浮いていた小瓶をキャッチする。
「ど、どうして……」
「最近、隠れて何をしているのかと思えばこういうことか」
小瓶はリドルの消失呪文で消え去る。鍋も、何もかも消えた。
「あ、ああああ……」
この二週間の努力が泡になって消えたことも打ちのめされたけれど、それ以上に憂鬱なことがある。
リドルは監督生だ。こんな禁書に掲載されるレベルの薬を隠れて調合したんだから、減点されるかな。先生に告げ口されるかな。怒られるかな。全部嫌だな。
目の前が暗くなって、思わず座り込んでしまった。うつむいて、ぎゅっと手を握りしめる。
「――もう、嫌なんだよ、色んなことを考えて生きるのは。どうして生きることは、こんなに煩わしいの。明日提出の宿題も、来週の試験も、来月の進路相談とか、私は何も考えたくない。生まれたいだなんて一度も望んでないのに、生まれて、生かされて、その上決まってるルールに従って生きることを強いられるだなんて。そんなこと決めたヤツを殺したいくらい」
「だから植物になろうって?」
リドルが近づいてくるのがわかった。
「それなら、僕の花になれば良い」
「……え?」
顔を上げると、すぐ近くにリドルの顔があった。
リドルの瞳の色がこんなに綺麗だなんて、今、初めて知った。
そんなことを思っていると、リドルが言葉を続ける。
「僕のために君は咲くんだ。花が求める水や肥料、つまり君が望むものを僕は与える。どう?」
「……どう、って言われても……」
よくわからない。リドルが何を言っているのか。
「それってリドルにメリットないよね?」
するとリドルは可笑しそうに笑う。
「花は、人間のために咲くわけじゃない。人間が勝手に花の美しさや価値を決めているだけだ。だから君はそんなことを考えなくて良いんだよ」
「でも、その、私、ダメ人間になるような……」
「君、魔法使いどころか人間を辞めたいんだろう? 余計な意識や理性を捨てて――獣になってしまえば良い」
その言葉に――心の奥底が、あたたかなもので満ちる。
同時に、不思議だった。
「私が私の意思を持たないことを咎めないの?」
自立しなさいとか、思考して選択した未来を進めとか。
この世界が、そして誰も彼もが私にそれを強いるのに。
リドルはきょとんとしてから、笑った。とても綺麗に。そして妖しく。
「――ただ在るだけで君は素晴らしいのだから、そんなものは要らないよ」
「…………」
ずっと、誰かにそう言ってもらいたかった気がする。
私は、これでいいんだって。
「……綺麗に、咲かせてね」
だから私は今、とても幸せだった。
(2019/09)
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