other | ナノ


▼ 解き明かせ乙女心

「名前……!?」

 武装探偵社から注文があったサンドイッチ十五人分の配達に向かえば、驚いた声で名前を呼ばれた。
 振り返れば、久しぶりに見るポオ君がいた。ぼさぼさの髪の奥にある瞳が大きく見開かれている。
 すぐに距離を詰められて、がしっと両手を握られた。冷たい手。何だか死体に触っている気分になる。この手で殺人小説ばかり書くからかな、と考えるうちにポオ君の肩から私の肩へカールが飛び移る。
 よく手入れされた懐かしい毛並みの感触に浸るどころじゃなかったのは、ぎゅうぎゅう握られた手が痛いくらいだったからだ。

「やっと見つけたである! 今までどれだけ探したか……!」

 必死な声に、目を逸らしながら言葉を返す。

「んー、実は私、組合から足を洗うことにして――」
「我輩だって足を洗ったのである!」
「ええと、その、そろそろ、何ていうか……ごめん。はっきり云わなきゃ駄目だね」

 私の肩から首へ巻き付くような体勢になったカールをゆっくりと外して、ポオ君の腕に返した。

 深呼吸して、伝える。

「別れよ?」




 私の一言で石のように動かなくなったポオ君を放置して、賢治君へサンドイッチを渡し、春野さんから代金を受け取る。
 毎度ありがとうございました、と挨拶して事務所から出ようとしたらナオミちゃんに腕を引っ張られた。

「今度、ゆーっくりお話を聞かせてくださいね?」

 きらきらした目を向けられて、さっきの発言は場所を選ぶべきだったかと思ったけれど後の祭りだった。
 曖昧に笑って誤魔化すことにして、今度こそ事務所を出る。

 その時、

「名前……!」

 石化状態が解けたらしいポオ君が追いかけてきた。私の予想だとあと十五分はあのままのはずだったんだけど。
 とりあえず丁度来た昇降機に乗り込んで、私は即座に『閉』の釦を押した。
 扉が閉まる直前に見えたのは、この上なく必死なポオ君の顔で、ちょっとだけ胸が痛んだ。ううん、そんなの気のせいだ。そう自分に云い聞かせながら一階に到着した昇降機を飛び出して、現職場である喫茶『うずまき』の扉を勢いよく開ける。

「ルーシー! 匿って! アンの部屋! 早く!」
「はい? ちょっと何よ急に」

 珈琲を淹れる練習をしていたルーシーに、怪訝な顔をされる。

「説明は後でするからお願い!」

 両手を合わせて頼めば、ルーシーは珍しいものを目にするように私の後ろを見ていた。

「組合ではいつも貴女が追いかけていたのに、逆もあるのね」
「え?」

 その時、がしっと後ろから肩を掴まれた。

「きゃああああ!?」
「そ、そんな、変質者に、そ、遭遇したような声、は、やめて、欲しい、である……」

 振り返ったらぜえぜえと息を切らした顔色の悪いポオ君がいたことに驚いて、なぜかぼろぼろになっている状態にもっと驚いた。
 埃とか変なゴミがあちこちについているし、服もところどころ破れていて、顔や手の見えている肌は擦り傷だらけになっている。

「この数分で何が……!?」
「階段を踏み外したら転がり落ちて……いたた……」

 私の使った昇降機がもう一度上の階へ昇るのを待たずに階段を使った結果らしい。
 右手を押さえるポオ君に、血の気が引いた。

「ペンが持てなくなったらどうするの……! どうしよう、骨、折れてない?」
「大丈夫である」
「で、でも血が滲んで……!」

 あたふたしていると、ルーシーがバックヤードに救急箱があるわよと教えてくれた。今はそこに誰もいないことも。
 お礼を云ってから早速ポオ君を連れて行って、棚にあった救急箱を開けた。手当てする前にポオ君からゴミを払い落としながら気付いた。

「あれ? カールは?」
「上に預けてきたである」

 名前とちゃんと話がしたいから、とポオ君が云った。
 
 そして優しく手を握られて、それを振り払うことは出来なかった。

「……どうして私を追いかけて来たの? 私のことなんて、ポオ君は――」
「乱歩君が『走れ』と云ってくれた。くだらないものに足を取られるなと」

 石化からすぐに復活した理由はかの名探偵によるものらしい。

 正解だよ、乱歩さん。
 私が抱えているものは、取るに足りない、私の情けない感情だから。

「我輩は名前と別れたくないである」

 ポオ君の真っ直ぐな声に、脆弱な私の心は降参するしかなかった。

「――ポオ君が嫌いになったわけじゃないの」

 六年越しの宿敵との勝負――という名の復讐の仕上げに取り掛かるポオ君の姿を思い出す。
 ポオ君にとって、今までとこれからの己の在り方を懸けての勝負だったから鬼気迫る勢いで準備に励んでいた。寝食を忘れて執筆に没頭していた。――私の存在もすっかり忘れていた。
 別に構わなかった。仕方ないなあと思いながらも、その姿を眺めていた。全然手を付けられることがない食事を作っては出してを繰り返していた。そのうち話すことも目を合わせることもなくなって、そんな時間が長くなって、長くなりすぎて――私は寂しくなってしまった。ううん、そんな可愛い感情じゃない。顧みてもらえない自分の存在が、悲しくて苦しくて惨めで嫌になってしまった。
 落ち込んで何もせずにいるうちにフィッツジェラルド様があんなことになって、組合は解散。雇用主を助けられなかったことに申し訳なく思いながらも善い機会だと思った。取るに足りない存在の私は書き置きも残す必要も感じなくて、こっそりポオ君の近くから姿を消すことにした。
 行く宛なんかなくて、とりあえずポオ君が夢中になっている乱歩さんを一目見ようと探偵社へ行く前に喫茶処に寄れば丁度給仕募集の張り紙があって、そこでルーシーと再会して今に至る。

 話し終えれば、また強く手を握られた。

「名前がいたから我輩は今日まで書けた! 名前がいたから我輩は多くのことに気付いた! だから我輩は乱歩君に挑めた! そしてこれからも挑むことが出来る!」

 必死な声でポオ君が云った。

「……そのために、私が必要なの?」
「そ、それだけじゃ、ない、である」

 咳払いをして、顔を赤くしながらポオ君が口を開く。

「……好きだから、である。だから、我輩と一緒にいて欲しい。我輩がしたことは謝るである。もう、出来るだけ寂しくさせない。少なくとも、同じことはしないと約束するである」

 ポオ君はひょろっとしている。それでも背が高いからやっぱり大きくて、引き寄せた私の身体をすっぽり包むように抱き締めた。

 力の抜き方を知らないような腕の強さが痛いくらいで、そのことが嬉しくなる。

 私が求めていたのは、この腕だった。

 インクとか、古い本とか、あとちょっと埃っぽい匂い。

 心から落ち着く匂いに身を委ねると、言葉が勝手に出て来る。

「――わたしも、好き。ポオ君も、ポオ君が書くお話も、好き。好きだから、これからも書いて。それで、時々、時々でいいから、わたしのこと、こんな風にぎゅっとして」

 我儘でごめんねと伝えれば、「そんなことないであるよ」とポオ君が云ってくれた。




「では、行くであるか」
「どこへ?」
「我輩の家。帰るのである。先週この辺りに購ったからすぐそこに――」
「ポオ君の家? 行かないよ?」
「え!?」
「今、ポオ君のところに戻ったら同じこと繰り返すと思うし。あ、これはポオ君がどうこうじゃなくて、私の問題ね?」
「そ、そんな……」

 目に見えて落ち込むポオ君を前にしつつも、私は迷わなかった。
 何となくだけど、今はそうしたい。
 貯金はいくらかあるし、組合でもらっていた給金には遠く及ばないけれど、異能を使わない私の価値に適したお金を『うずまき』から貰えている。

「いつになったら……我輩は何をしたら、名前は戻ってくるであるか?」
「……わからない」

 ポオ君は「はあああぁぁぁぁぁ……」とがっかりしたようなため息を長く吐いて、それでも頷いてくれた。

「わかったである。答えは我輩が見つける。でも、今日は一緒にいて欲しい」
「……いいけど、えっちなことはしないよ?」
「そ、そんなこと考えてないである!」
「本当?」
「本当!」

 必死なポオ君を見て、思わず笑ってしまった。こんな風に心から笑えたのはいつ以来だろう。忘れたし、別にどうでもいい。それくらいに私は今、幸せだった。




 会いに行こう。何度でも。
『名前』という謎を解きに。
 かけがえのない、我輩だけの謎を――。


(2019/06/26)


[ back ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -