Novel
慈しむ心を彼女は知っていた

 むかしむかし、あるところに神様がいました。
 遠いところに悪魔もいました。
 神様は悪魔と仲良しではありませんでした。

 ある日、悪魔が神様の知らない場所で、とても悪いことをしました。
 神様は全能でしたが、全知ではなかったのです。

 それから神様は、世界のすべてを何もかも知りたがるようになりました。
 そしてそれを教えてもらうことにしました。

 その相手は死者でした。とある女性の死者でした。
 神様は彼女にたくさんのことを訊き、教えてもらいました。

 彼女はそんな神様を嘲りながら、神様の望み通りにすべて答えます。
 こうして神様は、世界の終わりも知ることとなったのです。




「――さて、ここで問題。なぜ『彼女』は、神様にすべてを教えてしまったと思う?」

 酒場で開店前の準備をしながら、歌うように彼女が口にした物語。
 訊ねられて、私とマスターは顔を見合わせる。

「んー、よくわかんないけど、やっぱり神様に頼み事されたら断れなかったんじゃない? 逆らったら怖いことしそうじゃん、神様って」

 マスターがお金を数えながら言った。

「カルラはどう思う?」

 彼女がきらきらした目で楽しそうに聞いて来るから、少し困った。何て答えようかしら。

「そうねえ……」

 私はグラスを磨きながら考える。
 どうして、たくさんのことを神様へ教えたのか。
 それは――

「きっと……神様のことを、愛していたのよ」
「愛?」
「好きな人からのお願いって、叶えてあげたくならない? だから『彼女』は、それに応えてあげたんだと思うわ」
「でも『彼女』、神様を馬鹿にしてる感じしない?」
「素直になれない女の子だったんじゃないかしら。私はそんな気がする」

 そこで最初のお客がやって来て、私は注文を取りに行くことにした。




「おかしくない? おかしくない? おかしいわよ絶対に! ちょっと前まで『安静にしてろ』ってうるさかった医者が今は『たくさん歩いて運動しろ』ってどういうこと? グリシャの中身、もしかして誰かと入れ替わった?」
「あの人も説明したでしょ、安産のためには体力や筋力が必要だって」

 よく晴れたある日。不貞腐れる彼女を連れて、私は街へ出た。
 散歩を嫌がる生き物を外へ連れ出す飼い主のような気分になりながら、彼女の小さな手を引いて歩く。 彼女のお腹は丸くなって、いつ赤ん坊が産まれてもおかしくないくらいに膨らんでいた。

「もう嫌。疲れた。歩きたくない。休みましょ、カルラ」
「駄目よ、お医者様の言うことは聞かないと」
「こんなことしなくても、あたしの娘は元気に産まれるわよ」

 膨らんだお腹を軽く叩いて言い放った彼女の言葉に驚いた。

「どうして娘だとわかるの?」

 生まれる前から子供の性別がわかるという母親の話は聞いたことがある。けれど、結局は生まれてみなければわからないことだから、断言してしまえることが不思議だった。

「女系だからね、あたしの一族は。神様からの呪いであり悪魔からの祝いなんだって」
「面白い言い伝えね。呪いと祝いって真逆なのに効果は同じなの?」
「字の作りは似ているわ。だからきっと同じようなものなのよ。ま、女ばかりだと男は外から血を取り入れなきゃで、血はどんどん薄ーくなっているけれどね。そろそろ血は尽きる頃合いかしら」
「不思議な話ね……でも、性別が決まっているなら名前は今から考えられるわね」
「名前?」

 すると彼女はきょとんとして、

「そんなもの、必要かしら」
「当然でしょ」
「いらないわ。だって名前を付けたら、それは愛することを約束することになるじゃない」

 心底困ったような声に、わけがわからなくなる。

「愛してあげればいいでしょ? あなたの子供なのよ?」
「親が必ずしも自分の子供を愛せるとは限らないのよ、カルラ」

 彼女はますます困った様子になって――それから何か閃いたように瞳を輝かせた。

「そうだわ。この子の名前、カルラが付けて」
「……え?」
「あたしの娘の名前、あなたが付けてあげて」
「駄目よ。そんな大事なこと、私に出来ないわ」
「――ううん、あなただから出来る。あたし、カルラにこの子の名前をつけて欲しい」
「……どうして? あなたか、その子の父親の方がいいと思うのに」

 とびきりの笑顔で、彼女は言った。

「カルラみたいに命そのものを慈しむ人と縁を結べたなら――それが何よりの贈り物だと思うからよ」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


『エレンに――恩人に、言われたことがあるの。あたしが子を成すためには「他者を慈しむ心」が必要なんだろうって。その言葉は正しかったと思うわ』
『愛の結晶ということね。素敵。じゃあ、お腹の子はケニーって人の子供?』
『違うわ、ウーリよ』
『……はい?』




「母さん! 俺、アルミンと遊んで来るから!」

 エレンの声で、過去の記憶が遠ざかる。

「夕飯までには戻るんだよ!」

 そう伝えても、私の声がエレンに届いたのかはわからない。あっという間に遠ざかる背中を見送るしかなかった。
 ため息をつきながら、買い物籠を手に私も外へ出る。

「…………」

 彼女のことを思い出したのは久しぶりだった。もうずっと会っていない。出産と同時に、彼女は死んでしまったから。

『カルラ。君がこの子の名前を付けてくれ』

 出産に立ち会ったあの人が連れて帰って来た彼女の娘――私がリーベと名前を付けて育てた女の子は、歩けるようになった頃に私の手から離れることになった。
 どこの家で育てられるのか教えてもらえなかったけれど、貴族の家らしい。きっと悪い暮らしにはならないだろうと信じて託すことにした。

 リーベは今頃、どうしているかしら。
 そろそろ何歳になるかと考えて、十五歳くらいだと思い出す。元気にしていると良いけれど。

「貴族の家で暮らしているのなら、きっと元気で――」

 その時、頭上を大きな影が横切った。鳥かと思ったけれど、大きすぎる。

「あ」

 空を仰げば、影の正体は人だった。兵士だ。腰に付けた装置と、背中には交差する二つの剣の紋章。
 そういえば、近々シガンシナ区で訓練があると掲示があったような。今日のことだったみたいね。

 その時、悲鳴が聞こえた。若い女性の声だった。
 何が起きたのかと顔を向ければ――小さな子供が道路にいた。やっと歩けるようになった様子の幼子だった。
 その子を、馬車が撥ねようとしていた。

 間に合わない。

 その場にいる全員が、子供の死を覚悟した。
 でも、そんなことを受け入れられるはずがなくて。
 でも、誰の足も、私の足も動くことはなくて。

 次の瞬間、肉が潰れる音が――しなかった。

「え」

 代わりに、風を斬るような飛翔音がした。

 そして――馬車が通った後には、何も残らなかった。

 子供の姿は、どこにもない。消えてしまった。

「何が起きたんだ……?」

 隣にいたお爺さんが呟いたけれど、私にもわからなかった。

 その時、空高くから舞い降りる影があった。

 さっき撥ねられかけて消えた子供を抱いた兵士だった。
 訓練兵団の紋章を背にした――小さな女の子だった。

 懐かしい、と感じた。

「この子のお母さんはいますか?」

 声は、違う。あの子よりも少し低くて、澄んでいる。

 そんな彼女へ私は近づいて、足を止める。

「あ……あなた、は……」

 疑問が声にならないまま立ち尽くしていると、彼女も私を見た。

 私は知っている。

 この瞳の輝きを。

 私が震える唇を開けば、撥ねられかけた子供の母親が泣きながら駆け寄って来た。
 訓練兵の彼女が微笑んで応じているのを見て、子供を庇うように抱く手の甲に酷い擦過傷が出来ていることに気づく。

 考えるよりも先に、子供を引き渡した小さな手を握ってしまった。
 当然、彼女は戸惑ったように私を見る。

「あの……どうされましたか?」
「私の夫は医者よ。家はすぐそこだから、早く診てもらいましょ。ほら、早く――」
「リーベ!」

 兵服姿の、髪の長い男の子が半泣きで屋根の上にいた。

「班長がまた気絶した! おれじゃ運べねえよお……!」
「――置いていこう。今日の訓練は班単位。一人でもゴールしたら全員に加点されるから問題ない」

 そして立ち尽くす私へ顔を向けて、彼女はにこりと微笑んだ。

「これくらいかすり傷ですから大丈夫です。お気遣いありがとうございます。では、失礼します」

 そして彼女――リーベは私の手をするりと外し、腰の装置を操作して、あっという間に宙へ舞い上がって消えた。

「待って……!」

 私の声は、届かない。

 でも――届いたところで、何を伝えるの?

「どうして……」

 どうして、兵士になったの?

『俺は調査兵団に行くんだ!』

 エレンの声を思い出して、震えてしまう。

 リーベ。あなたもいつか――壁の外へ行ってしまうの?

『親が必ずしも自分の子供を愛するとは限らないのよ、カルラ』

 彼女の心は、とても不思議な形をしていた。
 愛する人のために、その人が父親ではない子供を産んだり。
 それでも、ケニーという人のことも、ウーリという人のことも、どちらも大切に思っていたことは確かだった。
 彼女は、愛する心を知っていたんだから。

『名前を付けたら、それは愛することを約束することになるじゃない』

 そう危惧する時点で、あなたはあなたの子供を慈しんでいたのよ。
 愛してはいけないと自分を戒めるのは、既に愛しているからそう思うのでしょう?
 たとえ彼女自身が認めなくても、私にはそう思えてならなかった。

「……リーベ」

 あなたに伝えたいことがあるの。

 うまく伝えられないかもしれないけれど。

 それでも私は伝えたい。

 だから、お願い。

 どうか、それまで生きていて。

 決して死なないで。

「……っ」

 また、頭上を影が横切った。顔を上げれば今度は確かに鳥の姿で、壁を越えてどこまでも飛んで行く姿が見えた。


【上】(2018/10/02)
【中】(2019/02/10)
【下】(2019/08/14)
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -