Novel
やがて神々の黄昏へ至る前に

 湖の前で本を読んでいると小さく軽い足音が近づいて来た。
 顔を上げれば、そこにいたのは小さな女の子だ。

「ウーリおじさま、ただいま!」

 私は微笑んで本を閉じる。

「リーベ、おかえり。お使いご苦労様」

 無邪気に抱きついてきたリーベの柔らかい髪を撫でれば、彼女は困ったような顔つきになる。私は首を傾げた。

「どうかしたのかい?」
「あのね……おつかい、できなかったの。ケニーってひとにあえなかったから」
「ふむ。そうか……」

 なかなか思い通りにはいかないものだ。

 ため息をつけばリーベが申し訳なさそうに、

「ごめんなさい、ウーリおじさま」

 私はすぐに首を振った。

「リーベは悪くないよ。すまないね、せっかく地下街まで行ってもらったのにちゃんとお使いしてもらえなくて」
「ううん、いいの」

 リーベが離れて、隣に小さく座りながら続ける。

「でもね、ケニーじゃないひとはいたよ」
「ふむ。一体誰だろう?」
「しらないひとだった」
「……ケニーが一緒に暮らしている子供かな?」

 私が会ったことはないし詳しくも知らないが、恐らくそうだろう。

 そんな風に考えていると、

「ねえ、ウーリおじさま」
「何だい、リーベ」
「くそがき、ってどんないみ?」
「おやおや、誰がそんなことを言ったんだい?」

 目を丸くすれば、リーベは不思議そうな顔をしていた。

「ええとね、そのしらないひとに、『うせろ、くそがき』っていわれたの」
「ふむ。それは……どう説明したものか……」
「なあに?」

 しばらく考えてからぽんと手を叩く。

「『可愛いお嬢さん』という意味だよ」

 そう説明するとリーベは大きな瞳で何度か瞬きをして、

「リーベ、かわいい?」
「可愛いよ、とても」
「どこがかわいい?」
「一番可愛いのは笑顔だね。目がきらきらしていて、頬がふっくらしているところもだ。仕草も優しい心もすべてが愛らしい」

 するとリーベは花が咲いたように顔を綻ばせた。

「やったあ、うれしい!」

 嬉々とした様子でリーベはさらに訊ねる。

「それじゃあ『うせろ』はどんないみ?」
「うーん……」

 この言葉はどんな風に説明しよう。

 現状ではまた地下街へ行ってもらうだろうし――

「『また来て下さいね』という意味かな?」

 そう教えればリーベは納得して、

「そっかあ。じゃあまたこんど、いってみるね」

 素直に何度も頷いた。可愛らしい仕草だが、いつまでも眺めてはいられない。

「――そろそろ時間だ」

 遠くの空を見ればもうすぐ黄昏だった。陽が沈みかけている。一日の、終わりだ。

「じかん?」
「リーベはもう家に帰らないといけないよ」
「…………うん」

 するとリーベは俯いて、

「かえりたくないなあ」
「どうしてだい?」
「だって、ウーリおじさまといっしょにいたいよ」

 寂しそうで、悲しそうだった。

「それに……わすれなきゃ、だめ?」
「…………」

 いつものことだ。
 私の『力』でリーベの記憶を操作している。
 次に私と会う日まで、私のことやこうして過ごした時間をすべて忘れさせている。

「すまない。私たち二人が会っていることを誰も知らない方がいいんだ」

 この子の安全を願う私が、この子と会うことで、この子を危険に晒している。

 私はもう人間ではないのに、何という矛盾だろうか。

 リーベが俯いたまま呟いた。

「……ウーリおじさまにあえなくなっちゃうと、リーベはずっとウーリおじさまをわすれたままになっちゃうね」
「…………その通りだ」
「さみしいよ、ウーリおじさま」
「…………」

 私も、さみしい。

 するとリーベは顔を上げた。

 私の感情を読み取ったように、それ以上苛まれることがないように。

 優しい子だから自分の感情を殺すのだ。

「……おでこ、くっつけていいよ」
「……ありがとう、リーベ」

 どうしようもなく甘えていることを自覚しながら小さな身体をそっと抱きしめて、額を合わせる。

「――また会う日まで、さよならだ」

 私はもう長くない。

 いずれこの子のそばにいられなくなる。

 リーベ、私の大切な女の子。

 この人類の黄昏の中で、君はどんな風に生きていくのだろう。

 私に出来ることは何もないが――

 それでもせめて、これからも引き継がれていく記憶の中で君を見守ることが出来るように願っているよ。




 めをとじて、ぜんぶ、おしまい。

 でも、いつか、きっと、またウーリおじさまのことをおもいだせますように。


(2016/05/29)
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