大空の英雄と地上の小鳥 | ナノ


私があなたの還る場所です

 壁外調査。
 それは調査兵団に属する兵士に課せられた、最も危険かつ重要な任務だ。
 もちろんリヴァイさんも例外ではなく、巨人の徘徊する壁外へ赴く。

 でも、そんな大切な日に限って私はこれまでお見送りをしたことがない。

 それはなぜか?

 単純に、壁外調査がある日の朝はいつも起きることが出来ないからだ。

「く……!」

 だが、いつまでもそんな風に甘んじているわけにはいかない。今朝こそはきちんとお見送りをしたかった。

「ゲデヒトニス家の元メイドを侮るなかれ……!」

 悲鳴を上げる身体に鞭打って、私は身体を起こした。




 何とか着替えを済ませ、やっとの思いで部屋から出た。髪はまとめる時間がなかったので梳いただけだ。
 そんな私を見て、リヴァイさんは驚いたように目を見開いた。

「リーベ。お前、無理に起きるな」
「嫌です」

 即答すればリヴァイさんは呆れたようにため息をついて、紅茶のカップを傾けた。自分で淹れたのだろう。私がちゃんと用意したかったのに。

「立ってるのがやっとじゃねえか、夕方まで寝てろ」
「お見送りがしたいんです、今回こそは」

 壁にもたれて私は息をつく。指摘された通り立っているのもやっとだったが、一度座ればもう立てなくなる気がしたのだ。

「そもそもですね! 『朝に言うのは憚られること』を壁外調査前夜に限って加減なくされるのは如何なものかと思いますよ! リヴァイさんは休めないし私はお見送りが出来ないし問題点しかありません!」

 声を張り上げれば咳き込んでしまった。喉も本調子ではない。

 そんな私にリヴァイさんはまたため息をついて、視線を落とした。

「生きるか死ぬかの戦いに出るんだ。男の本能だろうが」

 言い分はわかる。私は女だけれど、何となく。

「でも、でも、やっぱり私としては起きてお見送りが出来ないのは嫌です」
「…………」
「だから、その、せめてお帰りになってからにして下さいよ」

 切実に訴えれば、出発の仕度をしていたリヴァイさんは動きを止めて目を眇めた。

「ほう……」

 私は急に自分の言ったことが恥ずかしくなって視線を逸らせば、

「だが、見送りなんざ来てもろくなもんじゃねえぞ。大概はここぞとばかりに浮かれて騒ぐ連中で、あとは税の無駄だと吐き捨てるだけで何もしない奴らだ」
「そうかもしれませんけれど……」
「反対に身内が調査兵団にいる者の顔から不安の色は消えない。当たり前だろうな。生きて戻る保証どころか死んで戻る保証すらないんだ」

 それがこの世界の真実だ。

「わかってます。でも、だからこそ……!」

 うつむきながらも必死になって私が言葉を絞り出せば、

「リーベ」

 リヴァイさんが私の髪に触れたかと思うと、次の瞬間には抱き締められていた。立っているのがやっとだった身体が途端に楽になる。

「俺はただ、お前が心配しなければいいと思った。不安を感じなければいいと考えた。恐怖に苛まれなければいいと願った。それだけだ。だから、お前はそんな時間を知らずに過ごせばいい」
「リヴァイさん……」

 きっと、帰還する調査兵の中にリヴァイさんを見つけられず怖くなって屋根の上で泣いてしまった私を慮ってくれているのだろう。あれは結婚する前のことだ。

「……確かに心配です。不安です。怖いです」

 ずっとこの腕に抱き締めていてほしいと願ってしまう。

「でも――信じています。あなたが戻ることを」

 私は縋るように抱きついた。

「だからちゃんとお見送りをさせてください。心配や不安があっても、私はそれを受け入れたいです」

 全身でリヴァイさんのぬくもりを感じていると、私を抱く腕に力が込められた。

「お前は……強い女だな」
「え?」
「たとえ最初は弱くても、それに甘んじることなく強くなる、そんな人間だ。俺はそう思う」

 抱き締められたまま身体を少し離せば、やさしい手のひらが私の頬を撫でた。

「……リーベ、もし見送られるなら俺は『ここ』がいい」
「この家ですか? 開門の前ではなく?」
「ああ、お前のいる『ここ』が俺の帰る場所だから」

 その言葉に苦しいくらい胸が満たされる。
 私が何も言えずにいると、

「なあ、いつだったかお前が俺に隠れて兵服を着た時のことを覚えているか?」

 たったそれだけの言葉で鮮明によみがえる声があった。

『お前に、翼なんかあったら……』
『ど、どうしたんですか?』
『そのうち、勝手にどこかへ行っちまいそうだ。俺の手が届かないような場所へ。――どれだけ引き留めたとしても』

 思い出していると額と額が軽く触れ合って、目の前にあるまなざしに息を呑む。

「どこにも行くな。『ここ』にいろ」

 懇願するようなその声に、私は大きな手に自分の手を重ねた。

「――はい、『ここ』にいます。どこにも行きませんよ」

 しっかりと頷けば、リヴァイさんは安堵したように息をつく。そして名残惜しげに私の頬から手を離した。

「時間だ。……行ってくる。だから待ってろ」
「お気をつけて。あなたが戻って来て下さるだけで構いません」

 身体が浮いたかと思うと椅子へ静かに下ろされた。

「必ず戻る。――帰る楽しみも出来たことだしな」

 その言葉に私は数秒間考えて、うろたえた。

「え!? あの、ちょっと!?」
「何だ。お前が言ったんだろうが。『せめてお帰りになってからにして下さい』だったか」

 ちょっと待って! 何かが違う!

「た、確かに言いました。けれど、でも――今回の分はもう……」

 言葉を濁していると軽く口づけられた。そしてリヴァイさんは颯爽と家を出てしまった。

 ああもう自棄だと私は叫ぶ。

「行ってらっしゃーい!」

(2014/09/03)

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