寒い穴ぐらで



 寒い夜の日は無意識に肩を寄せ合う。
「....。」
 彼はどうして私がそうするのか分かっているのだと思う。黙って私がもたれ掛かりやすいように体を沿わせてくれる。
 体が冷え切ってしまうと、自分が死んでしまったんじゃなかろうかと錯覚してしまって怖いのだ。

 どさり、と音をたてながら雪の塊が地面に落ちた。
 目の前の雪原は昼にも関わらず薄暗い。雪を降らせる分厚い雲が太陽を覆い隠してしまっているのだ。
 ここが洞窟とは言えど防げるのは風だけで気温は外を一緒。しんと冷えた空気は肺に入れると体の熱を奪っていった。
 無意識に上着の襟を手繰り寄せた。

「寒い?」
「大丈夫です。」
 だからその上着、脱がなくていいですよ。
 フェミニストなのか、私に甘いのか、自分だって寒いはずなのに彼はすぐさま上着を脱ごうと袖から腕を抜いた。
 ばさりと掛けられた上着から彼の温かさを感じた。とんでもなく愛しく思えてきて私はそれに顔を擦り寄せた。愛してやまない、彼の匂いがする。
 温かくて嬉しくて、フェイクファーで縁取られた襟に顔をつっこむ。
「ココアでも入れるか。」
「はい。お願いします。」
 もこもこと着膨れた私を見て彼は微笑んで、カバンからチタンマグを2つ取り出した。

 仮設のコンロになった焚火を眺めていると、いろいろと思い出す。どこかの国の民話でマッチ売りの少女がマッチに火をつけて夢を見て死んでいった話があったけど...きっとそんな感じ。違うのは私の場合、見えるのが過去だという点。火には人を物思いに耽させる。
 火の中には今は遠い海軍本部が映って見えた。かつては毎日顔を合わせていた人に景色、調度品。そのどれもが少し霞んで思い出してしまうのは、揺れる火のせいにしよう。
「帰りたい?」
 目を細めて爆ぜる薪を見ている私へ彼は何度目かわからない質問をした。
「いいえ。」
 そして何度聞かれようと変わらない答えを私は返した。
「じゃ、そんな顔しない。」
 ほら、と言われて私は熱いココアを受け取った。
 火傷しないように気を付けて一口飲む。貴重な温度と糖分が体の歪みを解きほぐすように染みた。だめだなあ。これしきの事で緩むほど、私の涙腺は弱くなっているのか。心が弱くなってるわけじゃあない。急な低温から高温への変化に生理的に涙が出るのだ。低い気温のせいでもうもうと上る湯気が鼻を湿らせるので、もうそれは泣いているのと区別がつかない。
 そうなると。ああ、不思議と次は心が弱くなってくる。生理現象はいつの間にやら本音になって目頭から目尻まで隙間なく埋め尽くし、目を閉じれば溢れた。
「だから本部にいろって言ったろう。」
 違う。そうじゃない。そんなことじゃない。
 見当違いな彼の言葉に、心の中で指摘する。
「お前の幸せはここ以外の他にもあったんだ。」
 もう、全く違う!我慢できなくて、私の異論は堰を切った。
「違います!人の幸せなんてそれぞれです。勝手に決めつけないでください。私の幸せは私だけが決めるんです!クザンさん。あなたといられる今、この時以外に私の幸せはありえないのに」
 そこまで言って、私は黙り込んだ。
 クザンさんも喋らない。
 またどさりと雪が落ちる音がした。

「私が、ついていながら....。」
 借りた上着と毛布から抜け出して、彼の左脚に両手を添えて私は嗚咽を漏らした。
冷たい空気とさして変わらないほどクザンさんの脚は冷たくて、到底生きている人間のそれと似つかない。服の上からでもわかる温度と無機質な硬さ。
「不甲斐無い...」
「いや、不甲斐無いのは俺だ。スズじゃない。」
 うなだれるあたしの頭に大きな手がぽんぽんと当たった。
「必ず取り戻すさ。」
 膝から先がすっかりないのに「取り戻す」なんて可笑しな話なのだけれど...相手は能力者。きっと相手を捕まえてしまえば取り返すことは可能だろう。
 例え失われた脚が引っ付かなくとも、私がいる。キズキズの実の能力者の私なら、足が切断された痕だってきっと元通りにしてみせる。
だから、私が嘆いているのはそこにあるはずの脚が無いことではなくて。
悔しいのは。悔しくて仕方ないのは自分の力不足。彼に苦痛を味あわせ今の姿になるのを止められなかった自分に腹が立つ。それに何より
「あなたの髪一本だって、他の誰かに盗られたくないのに。」
 胸の中で渦巻くのは自分の持ち物を奪われた子供と変わらない自分勝手な欲張りばかりで。
 強く思うばかりに口からぽろりと言葉にしてもらしてしまった。しまった。
「...ん? ごめん、もう一回。聞き取れなかった。」
 きょとん、と目を丸くしていた彼はそう言って私に耳を近づけてきた。にやりと上がった口角に「嘘だ」と直感する。
「もう言いません。」
「えー...。いいじゃない。ほら、もう一回。」
 氷の脚から手を離し、じりじりとにじり寄る顔を押しのける。
「ダメです。ダメ!」
 やいやい言いながらも、両手に感じる暖かな頬の感触にホッとする。彼が吐いた息が私の親指の付け根にあたってくすぐったい。...好きで好きでたまらない。どうしようもないくらい、私は彼を愛している。

 だから、両頬を引っ張られてこどもみたいな扱いをされたって口では何を言おうとも愛しくて仕方ない。
「やめへくだひゃい。」
「言ってくれないならこうだ。」
 うり、うり、とクザンさんは掴んだ手を動かす。僅かですが、ちょっと痛い...。
「一回え聞きほへないあなたが悪いんでう。」
「...とんでもなく可愛かったからもう一回聞きたかったのに。」
 そして私の頬はびーんと大きく引っ張られてからばちんと弾かれた。きっと赤い痕ができてるだろう。
「痛い...。」
「俺の心はもっと痛い。」
 私から手を放したクザンさんは私に背を向けてめそめそと下手な芝居を打った。
 おじさんと言われてもいいような歳の大人が...
「何してるんですか。」
「....泣きマネ。」
 なんて潔い自白。
「みっともない事しないでください。」
 私は彼の服を引っ張ってこちらへ向かせた。
「いいさ、みっともなくたって。そっけないなァー、もう。」
「頬の緩むようないい事はたまにあるからいいんですよ。」
「たまにって...さっきの一瞬じゃないの。」
 一瞬だから味があるっていう解釈はないんですね...。
 こちらを向いたクザンさんは今度は私の眉間を人差し指でつんつんと突っついた。私はその指を横から掴んで自分の懐へ引き込んだ。そしてまだ小言を言う彼の口へくちづけた。ぐっと押し付けるだけのそっけないキス。
「ほら、たまにこういう事があるから世の中捨てたもんじゃないでしょう?」
「....。」
 ぽかん、と時間の止まったようにクザンさんは動くことはなく、地面に置かれたココアの入ったマグからはもう湯気が消えていた。


「も、もう一回...。」

「ダメです。」


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mokuji

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