7.5 裏側 その日、古泉一樹と生徒会長と呼ばれる二人の男子はとても機嫌がよかった。ここ数か月の間ずっと気分が落ち込むようなことはなかったけれど、そのなかでも最高に機嫌がよかった。 二人は肩を並べて帰路についていた。こぼれ出てくる笑いを我慢することすらできない。どちらともなくくすくすと声を上げる。そしてこれもどちらともなく、誰に聞かせるでもない呟きを落とす。 「かわいかったな」 頭に浮かぶのは一人の男子生徒の姿。事情を知らない第三者が見たならただの普通の青年じゃないかと首をかしげる、世界の鍵と名付けるには普通すぎる青年だ。見目が麗しいわけじゃない、素晴らしい才能があるわけじゃない。それなのに異常の中心に腰を下ろすことになってしまった青年。 哀れだ。彼について考えるとき、そんな感想を抱かずにいられない。あまりに哀れだ。自分達のような人間に好意を向けられるなんて、本当に本当にかわいそう。 「しかし、うまくいきましたね」 笑いを含んだ声音で古泉が語りかける。学校での出来事に興奮冷めやらぬ状態なのだろう、爽やかさを置き忘れてきたような歪んだ笑みに、会長もまた喉を鳴らして答える。 「ああ、まったくこわいくらいにな」 「こわいことなんてありませんよ。僕は先ほどから気持ちが高ぶってうまくいつも通りの表情を作ることができないくらい、充実感を抱いています」 「はん。嘘くさい笑顔よりそっちの顔の方がお似合いだぜ、ストーカー野郎」 「そっくりそのままお返ししましょうか」 事の始まりはなんだっただろう。互いに、彼に好意を抱いていることは知っていた。けれど特に何かアクションを起こすつもりなんてなかったのだ。彼は神さまのもので、迂闊に手を出すようなことをしては彼も自分もどうなってしまうか分かりやしなかった。それに彼が、キョンが、自分を信頼してくれているなんて、古泉も会長も思ってはいなかった。だから、様子見。ずっとそのスタンスでいた。 その女子生徒に気付いたのは古泉だった。キョンのことを遠くから見ていた、熱い熱い視線。憧れている相手に話しかけることも出来ず、遠くから姿を認めるだけで満足。そんな風に思っている、少し臆病だけれど普通の女子生徒。そのころは本当にそれだけだった。 けれど、これは好機だと思った。行動することができず歯噛みするのはもうたくさんだった。古泉はキョンのことが欲しかったのだ。会長もそうであることを知っていたから、協力を求めた。 好きな人に声をかけられない内気な少女を煽るよう、涼宮ハルヒとキョンをあえて二人にするようにした。仲睦まじい様子を見せつけるように部活での活動を人目につくようにしたり、生徒会長が目を付けていると噂を流して目立つようにしたり。 少しずつ、少しずつ、女子生徒の挙動がおかしくなっていくのを見ていた。たまに見つけたときにだけ視線を送っていたはずがキョンの姿を常に探すようになり、見つけたら後すらついていく。だんだんと彼の行動を先回りして見守るようになる。本人に自覚があったのかなかったのか、それは間違いなく付きまとい行為であったし、ストーカーと呼ばれてもしかたがないほどのものになりつつあった。 彼女がキョンの周囲の人物を排除しなければと思い始めた頃、そしてキョンが身に危険を感じ始めた頃。古泉と会長もまた、キョンにストーカー行為をするようになっていた。キョンには怯えてもらわなくてはいけない。こわくてこわくて一人ではいられないくらい、誰かに守ってもらわなくては崩れ落ちそうなくらい追い詰められてもらわなくてはいけなかった。 「ま、あいつには悪いがあれはあれで楽しかったな」 「そうですね。ああいったことをしたくなかったかと言えば嘘になりますし」 我慢し続けてきた欲求をさらけ出すのは楽しかった。彼はそうは思っていないだろうが、古泉も会長も彼にたいしてよからぬ気持ちだって抱いているのだ。たとえ気味悪がられて怖がられていることがわかっていても、ストーカーじみた行為はとても、とても楽しかった。 しかも彼はそれに気づかず、犯人である自分たちに縋り付くのだ。なんという快感だろう? 恐ろしい思いをした後に自分たちの姿を見つけて、母親を見つけた迷子のような顔をする。一人きりだと不安で、だんだんと、二人のそばにいることでようやく安堵できるようになる。依存されればされるだけたまらない気持ちになった。 キョンの信頼は得た。例のストーカーはもう彼の前に姿を現すことはできまい。今日のことで涼宮ハルヒも、古泉と会長が彼のそばにいることを容認するようになるだろう。神はもはや敵ではない。あとは、うまくキョンに恋愛感情を抱かせるだけだが、彼はもう二人から離れることなどできないだろうからそんなことは容易であるはずだ。 何もかもが計画通りであった。このままいけば、彼を手に入れたも同然であった。 「あとは、彼に僕たちの計画がばれることだけが不安要素ですが……」 ちらと古泉の視線が会長に向く。笑っているのに鋭く冷たいそれに、会長はどこ吹く風で視線を返す。 「明かすわきゃねえだろ。俺だってようやくここまでこぎつけたんだ。誰が諦めるかってんだよ」 「そうでしょうね。まあ下手なことをしようとするのならば容赦はしませんが。一応あなたとは共犯者ということになりますからね、警告くらいはしておいてあげますよ」 「はっ、墓までもちこんでやるよ。あいつを手に入れた後、あいつと一緒に入る墓にな」 ぼろりぼろりと笑いが零れる。抑えきれない、恋情と呼ぶにはおこがましい焼けただれ醜く歪みきった感情が彼に向けて放たれる。 「忘れてねえだろうな。盗んだもんは二等分にする約束だぜ」 「あなたこそ、彼の写真のデータを送ること忘れないでくださいよ。まったくよくもまああれだけ不埒な写真を集めたものです」 「お前の持ってる写真の方が質悪ぃだろうがよ……。俺より、お前から計画がばれることのほうが可能性が高いんじゃねえのか」 「ああ、あれはちょっとやりすぎたかもしれませんねえ。犯人の正体と矛盾が生じてしまいましたし、けれどまあ、大丈夫でしょう」 「ふん。もしばれたらお前に全部なすりつけてやるからな」 会長が溜め息を吐く。女性が犯人であってはおかしな事柄に彼は少し疑問を抱いているようではあったが、それが確信につながることは今後あるまい。ストーカーの件は終わりをむかえ、恐ろしい思いをした経験をわざわざ思い起こしてまで自分の味方である古泉や会長を疑うことはしないはずだ。それに、これまで以上に大切に優しくして、あんな事件のことなど忘れさせてやるのだから。 軽い足取りで道を歩む。密やかに交わされる会話を聞く者は互いの他にはいない。キョンの目の前に真実は暴かれず、彼はかかった罠から抜け出すことはできないだろう。 古泉は笑う、会長も笑う。明日はどうする、来週は来月は卒業したらどうするか。キョンと過ごすはずの未来を考えて笑う。あの子はもう、手の内だ。もう誰も、彼を囲っていた神さまでさえ、二人を邪魔する者はいない。 静かに夜が訪れようとしている。キョンにとっての恐ろしい日々は終わり、新しい日が始まる。それがどのような色をしているのか、今は誰も知らない。 END. 2014/11/26 |