未来図みえた 社会人×高校生 「おかえりなさい」 仕事に疲れきって帰宅すると、恋人が出迎えてくれた。 エプロンをしたままで若干恥ずかしそうに俯く姿は微笑ましい。前に二人で甘ったるい新婚のドラマを見たからだろうか。真似なんてしなくてもいいのにと思いつつも、嬉しくていとおしい。 ただいま帰りましたと微笑むと、顔を赤くしながら鞄を引っ手繰って行く。少々乱暴なのは照れ隠しである。それが分かるくらいには僕は彼のことを理解できているつもりだ。 「夕飯は何ですか?」 「シチュー。ニンジン残すなよ」 「分かってますよ」 スーツを脱いでいる間に準備したのか、湯気の出ているお皿を持ってきてくれた。おいしそうな香りが鼻を刺激して、スーツを放り出してテーブルにつきたくなってしまう。そんなことをしたら皺が寄るだろうなんて言って怒られるから、したくともできないのだけれど。 一人暮らしにしては広いアパートだからキッチンもリビングとは別にある。あまり綺麗とは言い難い我が家は乱雑に物が置いてあって、彼はうまくそれらを避けながら移動している。随分と慣れたものだ、初めてうちに来たときにつまずいて転んでいたのを今でも思い出せる。そして僕は三十分も正座させられて一緒に掃除させられた。今でもよく覚えている。 「いただきます」 「いただきます」 同時に行儀よく手を合わせて食事が始まる。家でしつけられたのか、こういった挨拶を彼は欠かさない。一人で食事することが多いので僕はあまりこういったことをしてこなかったのだけれど、彼に触発されてきちんといただきますをするようになった。もちろん、ごちそうさまも、ただいまもおかえりもだ。 ご飯を食べながら、僕たちはたくさんの話をする。この時間が、僕は好きだった。 恋人である彼、キョン君は高校生だ。今年三年生で、受験が憂鬱で仕方がないとこの間嘆いていた。 対して、僕はもういい年をしたサラリーマンである。いい加減自分の年齢を数えるのも面倒になってきたが、確か今年で三十二だっただろうか。彼が去年、誕生日ケーキに蝋燭をさしながら、一樹さんも三十一歳かと呟いていたからたぶん間違いない。 十四歳差。兄弟には少々離れ過ぎていて、親子には近過ぎる。そんな僕らだけれど、本気で交際をしていた。 細かいことは割愛させていただくが、町で偶然出会って僕が彼にひとめぼれをしてから、もう三年になる。付き合い始めてからも三年。初めは戸惑っていた様子の彼も、今では週に一回こうして泊まりに来てくれるようになった。 特に結婚願望もなく、恋人も三十を過ぎた頃に面倒くさくなって作らなくなった僕が、十四も年下の高校生に本気になっているなんて、友人たちはきっと驚くだろう。さらには男相手だなんて、過去の恋人達も目を剥くことだろう。 僕はキョン君が好きだ。最後の恋になればいいと、そう思っている。 「そういえば、一樹さん」 「どうしました?」 「ちょっと、相談があるんだけど…」 食後のお茶をまったりと飲んでいたら、彼がそう切り出してきた。 妹さんがいるせいか、彼はとても面倒見がいい。だからなのかあまり人に頼ることをしない。たいていのことは一人で解決してしまうし、一人では大変に思えることでも簡単に人に甘えようとはしない。そこが魅力でもあるのだが、少しは頼ってくれてもいいのにと僕は平素から気にかけていた。 そんな彼が相談事。普段の頼られなさを考えると、逆に一体どうしたのだろうかと少し不安になる。 「いいですよ。どうかしましたか?」 「実は、進路のことなんだけどさ」 言いにくそうにしながらも、彼は言葉を紡ぎだした。 先に述べたとおり、彼は今年受験生である。まだ夏だなんて余裕を持っているわけにはいかない、進学希望だというし、今から準備をしていなければ戦争に負けてしまうのだろう。 しかし、進路について僕に相談するようなことがあるだろうか? 家族に相談するというのなら、分かるけれど、恋人に対して……。 そこで、はっと気が付いた。 彼はどこの大学に進学するつもりなのだろう。地元がいいとは言っていたが、もしかしたら遠いところに行きたい学校があるのかもしれない。そしてそこに進みたいと思っているのではないだろうか。 住む場所が遠ざかったら、僕たちはどうなるんだろう。 僕はもう彼以外と恋愛するなんて考えられないが彼は違う。まだまだ若いのだ、僕より好きな人に出会わないなんて決して言い切れない。 遠距離恋愛なんて耐えられるだろうか? 今のように気軽に会うことも出来ない。生活リズムが変わるだろうし電話なんかもそうそうできなくなるんじゃないだろうか。そうして距離と心が離れていくうちに、彼に好きな人、もしくは彼のことを好きな人が現れたとしたら。 彼のためを思ったら別れるべきなのだろう。いや、もしかしたらその可能性を考えて、今のうちに綺麗にお別れをしようなんて、そんな、そんな相談なのではないだろうか? 「一樹さん?」 「……はい、覚悟は出来ています。僕はあなたが決めたことならなんだって受け入れる所存です。そもそも僕の告白をオーケーしてくださったときから今まで夢のような時間を過ごさせていただきそして多大な幸せをくださったあなたのお願いを拒否するわけにはいきませんしそれであなたが幸せなら僕は」 「お、おいおいちょっと、何勝手に自分の中で完結してるんだよ。多分、今あんたが考えてるようなことじゃないぞ?」 我ながら殊勝な顔つきで言ってみたら、呆れたように額を指弾された。たいして痛くはないけれど落ち込んでいる僕にはつらい仕打ちだ。 僕の考えているようなことではないとは、つまり別れ話ではないんだろう。先走りすぎたかと反省しつつ、では何の話なのかと首をひねる。 彼も緊張しているようだが、暗い雰囲気は読み取れない。ますますわかりかねる。 「でも、進路の話なんでしょう」 「そうだけど。ていうか、高校卒業してからの話なんだけどさ」 「はい」 「……相談っていうか、お願いなんだけどさ」 「はい」 「…………俺、ここに住んでもいい?」 はい? そう口にしなかった自分は偉いと思う。よく耐えたなと自画自賛したいが、実際のところは言葉を発するより先に驚きで呆然としてしまったというのが正しい。 何を突然言い出すのだろう? もちろん彼からの提案ならどんなことを言われても拒否するつもりは元よりないけれど、ここに住むとはつまり同居をしたいということか? いや、僕たちは恋人同士なんだから、同棲か。 同棲。キョン君と、僕が、同棲。 「だから、高校卒業したら一緒に住んでいいかって。頑張って近くの大学に受かるし、家のこともちゃんとするからさ」 頬が赤い。 余裕がなくなると饒舌になる節のある彼は、ぺらぺらと僕が口を開く前に言葉を重ねていく。料理は練習する、洗濯ももちろんするし掃除だって頑張る。大学の勉強も当然きちんとするし朝ははやく起きるし僕の仕事のサポートもする。聞いているだけで想像が膨らみそうな発言に、衝撃が喜びに変わっていく。 どうして分かってしまうんだろう? ずっと、僕が言いたくても言えなかった言葉。言ってほしいなあなんて、こっそりと空想を広げていた言葉だ。 物わかりがいいふりをしても、離れたくないと思っていたこと。彼と一緒にいたい気持ちが、どうして伝わってしまうんだろう。 「い、一樹さん……っ?」 机を大股で回りこんで強く抱きしめると、赤かった耳が目の前でよりいっそう熟れていった。その赤みですらいとおしくて、耳朶に祈るように唇を寄せる。 「僕が断るとお思いですか?」 「断られたくないとは思ってたけど、もし迷惑だったらどうしようかと思って……」 「迷惑なわけないじゃないですか、泣いてしまいそうに嬉しいですよ」 「泣くなよ! いい大人が!」 そんなこと言って、あなたの方が泣きそうな声してますよとは言えなかった。それくらいに胸がいっぱいになっていて、言葉を発するたびに彼への思いが溢れだしてしまいそうなほど。 離れたくないと思ってくれている。一緒にいたいと願ってくれている。僕が願うそれと同じくらいの強さで。それがとてつもない喜びを呼ぶのと同時に、先程一瞬でも別れ話を疑った自分が嫌になった。彼はこんなにも僕のことを好いてくれている。 抱きしめた腕に力を込める。彼からも返される抱擁の強さに頬をほころばせずにいられない。僕は彼から離れまい、こうして彼の掌が真っ直ぐに僕に向けられる限り。そしてそれが一生続けばいいと、そう思っている。 「大学、絶対に受かってくださいね」 「おう、がんばる」 「分からないところがあったら教えますから」 「……頼んでいいか? また、迷惑かけるけど」 「当然ですよ。あと、引っ越しましょう。二人で住んでも余るくらいなところに」 「それなら俺、猫が飼いたい」 「ペットが大丈夫なところにしないといけませんね。あ、それと」 「まだあるのか」 「ええ。同棲する前にきちんと親御さんに挨拶に行かないとね」 「えっ」 END. 2014/05/14 |