身勝手逃避行 初めは、自分に用事があるのかと思った。 二年生の彼が三年の教室に来ることなんて滅多にないけれど、このクラスには僕がいる。多分他に知り合いなどは誰もいないはずだ。だからきっと、何か僕と話したいことがあるのだろう。たとえどんな用事であろうとも、昼間から堂々と恋人に会えるのは嬉しいものだ。 僕の名前を呼んでくれるだろうかと、緩んだ顔で改めて彼の方を向いたまではいい。けれど直後にその後ろにあのいけ好かない優等生がいることに気付き、そのうえ彼が呼び出したのは気障な生徒会長だったときの僕の気持ちといったら。ショックというか、口が間抜けに開くほど唖然としてしまって、膝を抱いて泣きたいほどだった。なんて自意識過剰で恥ずかしい男なんだ、僕は。 彼、キョン君と僕は恋人同士だ。 僕の必死のアプローチのおかげで一か月ほど前から晴れてお付き合いを始めたのだが、未だ恋人らしいことは何一つできていない。放課後は互いに部活があるし休日は彼が忙しいのだ。何度団活なんて休んでしまえと言ったか分からないが、その度に彼に困った顔をして断られていた。 だから少し焦っていたのだと思う。恋人の欲目であればむしろいいのだが、彼は魅力的な人だ。横から誰かに奪われやしないかと、常から不安ではあった。 とはいっても、いやいやしかし男が好きな人が何人もいるわけでもなし。僕の杞憂に過ぎないさとその不安を押し込めて毎日を過ごしてきた。束縛しすぎるのは窮屈に思われるだろうし、出来得る限り彼に嫌な思いはしてほしくない。 けれど、けれど、これは駄目だろう。 「ちょっと、近すぎるんじゃないかな……」 ずっと何となく思ってはいたが、SOS団副団長である古泉君は何かと彼に近付く癖がある。背中を押したら唇が触れ合うだろうという距離のところを見たことも一度や二度ではない。今も、彼と古泉君の肩は触れているのではないかという近さだ。彼ももう慣れてしまったのかまったく動じていない。 そして、生徒会長。彼と会長が知り合いなのには驚いたが、考えてみればあの部活に関わる書類等は全て彼が生徒会に提出しているのだ。そのときに知り合いになっていたとしてもおかしくはない。が、少しだけ真面目に言葉を発する彼は新鮮で、会長が羨ましいと思った。しかもここも距離が近い。両側から顔をのぞき込まれているせいで、あのあたりだけやけに密度の高い空間になっている。 ああ、正直に言おう。僕は嫉妬していた。 自分の用事に付き合わせられるほどに仲のいいらしい古泉君。そして例えプライベートな事柄でないのだとしても、昼休みに彼に呼び出される会長。彼と一緒にいる二人に、嫉妬していた。 「あれ、部長さん?」 気付けば彼らの元へ足を進めていた。彼は驚いたように瞬きし、他二人は邪魔物が来たとでもいうように眉を寄せる。ざまあみろと胸中で吐き出し、僕は彼へ笑いかけた。 「姿が見えたから来てしまったよ。会長と知り合いだったんだね。何の話だい?」 「あー、えっとですね」 「おやこんにちは部長氏。残念ながら部外者にはできないような話なんですよ。申し訳ありませんが口出しは無用ですので」 「へえ、部外者というからには会長にもしちゃいけない話なんじゃないのかな。あの団長が目の敵にしてるんだろう。彼女に無許可で言葉を交わしていていいのかい」 「君には関係のない話だ。口を挟まないでくれたまえ」 「ちょ、おい、古泉も会長も口が悪くないか」 「気のせいじゃないですか」 会話に混ざることさえさせてもらえなさそうな雰囲気に彼を見遣れば、申し訳なさそうに見上げられる。つまるところ、また後にしてくれということか。彼の邪魔にはなりたくないと思う。けれどこうもあからさまに邪険にされると寂しくもなるわけで。 そして何よりも、彼に内緒事をされるのが辛かった。僕には話せなくて彼らには聞かせられる話。恋人だから何もかもを晒せというわけではないが、僕はこの二人より信用ならないとでも言うのだろうか。 分かっている分かっている、これは我が儘だ。恋人のことを何もかも知りたいという自分勝手な欲求だ。けれど、抑えられない欲求だった。 苛立ちの勢いのまま、彼の手を掴んで歩き出してやった。ばりばり文化系な僕よりもスライム一匹分ほど力がなく、しかも気遣いの人である彼は抵抗もせずに引きずられていく。後ろから二人の怒声に近い何かが聞こえるが気にしない。そのまま屋上への階段まで進んでいった。どうやら奴らはついて来ていないらしい。 ようやく立ち止まった僕を、彼は少しばかりきつい目で見た。話の途中で連れ出したのだ、怒るのも無理はない。 「何するんすか部長さん。大事な話だったんですよ」 「……ごめん、つい」 「ついって何ですかついって。あーもう、俺昼飯もまだなのに」 正直睨み付けられても可愛いと思いさえするのだが、彼は本気で機嫌を悪くしたらしい。ぶつぶつと文句を零されるのが怖い。この歯に衣着せぬ物言いも気に入っているのだと言えばそれまでなのだけれど。 視線をうろうろと四方に漂わせる僕に彼はじろりと目を向け、眉間にシワを寄せながら口を開いた。 「それで?」 「それでって、何がだい」 「何か用があったからここまで引っ張ってきたんでしょ。どうしたんですか?」 「あ、あー……」 彼らに嫉妬したから独り占めしようと引き離しました。君が隠し事をするのが気に入りません。僕に何もかもさらけ出してください。あと彼らに近づかないでください。 本音はこんなところだが、馬鹿正直に伝えたら彼はもっと怒るに違いない。部長さんの勝手に付き合わせないでください、だなんて冷たく言われたりしたら、きっと僕は泣く。高校生にもなっておいおい泣く。絶対だ。 けれどだからといってここでごまかしでもすれば、僕はもっと嫌な奴になるだろう。意味もなく人の会話を邪魔するような人間だなんて彼に思われたくはない。どうしたものか。 悩む僕に彼は容赦ない視線を向ける。それがいたたまれなくなってきた頃、ふと彼が何かを思い付いたという風に目を見開いた。そのあとの表情は、悪戯を実行する子どものそれだったと思う。 「もしかして部長さん、あいつらに妬いたとか?」 「うええっ?」 「うわあ、まじですか。へえ、部長さんが嫉妬ね。へえ、嫉妬」 「ちょっと、まだそうだとは言ってないだろ!」 「え、違うんですか?」 「…………違わないけどさ」 「あははは」 どうやら彼はもう怒っていないらしい。何がそんなに愉快なんだと思いながら笑うのを見ていたが、彼が嫉妬してくれたと知ったら僕も同じような反応をするに違いないと思った。 嫉妬するほど自分のことを好いてくれている。他の誰にも渡したくないなんて思ってくれている。そういうことが伝わってくるのだろう。想像するだけで、くすぐったくて嬉しくて笑ってしまいそうになった。彼もそう考えてくれているのかと思うと、何だかふわふわした気持ちだ。 彼は相変わらず笑いながら僕に抱き着いてくる。ちらりと覗いている耳は真っ赤に染まっている。彼より身長が高くて本当によかった、ありがとう神さま。 「なんか、こうやって一緒にいるの初めてじゃないですか。付き合い始めてから」 「うん、そうだね。……あのさ」 「はい?」 「授業、サボらない? 古泉君のことも会長のことも置いておいてさ。二人きりで」 「……不真面目だ」 でもいいですよなんて肩に額を擦り付けるものだから、思わず強く抱き返してしまった。可愛い。彼と恋人同士になれて本当によかった。 彼の手を引いたときに見た二人の悔しそうな表情を思い出す。君達にはこんなことできないだろう。彼には見えないような位置で意地悪く笑って、柔らかい髪に軽く唇を押し当てた。 END. 2013/11/30 |