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「写真」
嘔吐描写、気持ち悪い描写あり。閲覧注意。





最近は、家に帰ることがとてもこわい。というよりは、心が休まっている時間が限りなく少ない。
朝起きたら、部屋に異変がないかをとりあえず確認する。しめ切ったカーテンは日がな開くことはなく、家族にも被害がないことを知ってようやく肩の力を抜くことができる。登校中も気を張り巡らせて、会長が気を紛らわせようと話しかけてくれるのにも生返事しかできない。時折機嫌悪そうに頬をつねられたりするが、あの人が俺のことを心配してくれているのは重々分かっているのでそれも愛情表現だと受け取っている。
学校では部活の女性陣、とくに手紙を受け取ったハルヒに危害を加えるやつがいないか目を光らせている。古泉はそんなに気を張ることはないと言ってくれるが、警戒するに越したことはない。俺のせいで仲間が傷つくなんて耐えられる話ではないのだ。部活中もおかしなことがないよう見張って、帰宅している間も古泉に気を遣ってもらいながら周囲の人を睨み付けながら帰る。家に着いたらまたおかしなことがないかチェック。閉じきったカーテンの張られた部屋で眠る。
正直、疲れていた。どいつがストーカーか。いつ俺や周りの人に危害を加えようと虎視眈々と狙っているのか。考えずにいられない。少しでも気を抜いたときに何か起きてしまうのではないかと思うと目を閉じることですら恐ろしかった。
俺は臆病だった。ついでに言うと、自分の無力さを実感したというのもある。古泉や会長に頼らなくては自分の身を守ることすらできなかったのだ。それなのに友人や家族を守ることなんてできないんじゃないのか? 俺にできることはあるのか? 考えれば考えるほど不安になって、怪しいものはすべて排除しなくては気が済まない。
参っている。日に日に睡眠時間が減っていく。体力も精神も消耗していく。
古泉も会長もひどく心配してくれる。けれど俺以外の人達まで彼らに守ってもらうわけにはいかない。言ってしまえばこれは俺の問題なのだ。そんなことを言うと二人はきっと怒ってくれるのだろうが、彼らも狙われるのかもしれないと思うとそれもこわい。



「それでは、また明日」

古泉がにっこりと笑って言う。家の前まで送ってもらうのは女子のようでなんだか気恥ずかしいものがあるが、安心できるというのも本当だ。
空はすでに茜色。ハルヒたちは何事もなく家に着いているのだろうかとぼんやりと考えて、俺も薄く笑みを浮かべた。けれどきっと頼りないものだったんだろう、古泉の表情が少しだけ歪んだ。

「毎日ありがとな。本当に、迷惑かける」
「気にしないでくださいといつも言っているでしょう? あなたが安心して過ごせるのなら僕はそれでいいんですから。本心からですよ」
「……分かってる。じゃあな、また明日」
「ええ、さようなら」

手を振りあって、古泉の視線を感じながら扉の鍵を開ける。よかった、閉まってる。誰かにこじ開けられたということはないようだ。俺がほっと力を抜くのを確認してから、古泉は帰路につく。本当に、彼らには感謝してもしきれない。それでもどうにか、今日も無事に一日を終えられそうだ。
がちゃりとドアノブをひく。妹と両親もそのうちに帰って来るだろう。その前に一通り家の中を見て回って、そのあとは部屋にこもって、家族の帰宅を待とう。そうしたら何も問題なく明日が訪れるはずだ。
そのとき、俺は気を抜いていた。ここ数日は被害もなく、とくに家に帰ってからは変に警戒しても空ぶりだったということが多くあり、どうせ何もない大丈夫だと思っていたのは否めない。それに一日中気を張り続けるのに身体がついていけていなかったのだ。安心感さえ抱いて、俺は家に入った。
その、先。玄関マットの上に、封筒が一封。
一瞬にして体が凍りついた。写真、手紙、封筒から連想できる嫌なものはたくさんある。だが、ここは俺の家だ。いくらストーカーだったとしても、郵便受けならまだしも、家の中にまで入ってくることはできないだろう。だって、鍵はかかっていたのだ。
荒くなりそうな呼吸を必死に整えて、靴を脱ぐ。大丈夫、大丈夫だ。自分に言い聞かせて、ゆっくりと足を持ち上げる。きっと親が家を出るときに誰かが訪ねてきたんだろう。リビングまで運ぶ時間がなくて、渡された封筒をここに置いただけだろう。大丈夫。
震える指先を意識しないように封筒を持ち上げた。前に靴箱に入っていたものとはちがう、A4サイズの大きな封筒。宛名は書いていない。ほっと軽く息を吐き出してから、まだ安心はできないと気持ちを引き締める。もしこれが何かしら俺に関係のあるものだったとしたら、このまま放置して家族に見られるわけにはいかない。何も危険性のないものだということを確認してからでなければ。
ついているのかいないのか、封筒には糊付けがされていない。隙間から中を覗けば何か紙のようなものがたくさん入っているようだ。そして、どこか嗅いだことのあるような、におい。
ぶわっと鳥肌がたって、思い切りよく封筒をひっくり返した。足元に散らばる紙。いや、ちがう。ああ、これは、前にも同じようなことがあったじゃないか。
写真。俺が写っている。盗撮のような、明らかに視線が別の方向へ向いているもの。クラスや部活で撮った写真の俺のところだけアップにしたもの。笑ったりぼうっとしたり難しい顔をしているたくさんの俺が床からこちらを見上げている。
だが、それだけではないようだった。遠目ではわからないが、どこか、黄ばんでいるような。何かが付着してそのまま乾いてしまったような。嗅いだ記憶のあるにおい。がたがたと震えながら家族が帰ってきてしまうのではと危惧する自分が、片付けろと命令する。しゃがみ、手を伸ばして、触れて。
ぱりっと、したなにかが、手に。
瞬間俺はトイレに駆け込んだ。こみ上げるような気持ち悪さに抗うこともなく、すべてを吐き出す。酸っぱいにおいが口の中に充満する。ここちのよいものではないがさっきのあれよりましだ。自分の身体のことならまだ平気だ。
さっきのあれは、あれは、誰かが俺にたいして欲望を抱いているということだ。写真の俺の顔に、体に、口にするのも吐き気がするものを塗り付けて、満足していたということだ。なんて、おぞましい。それに俺は、触れてしまった。
嘔吐感は消えない。気持ちが悪くて、苦しくて、涙が出る。
吐いて吐いて、もう何も出ないという状態になってから、ようやくぐったりと腰を下ろす。力が抜けてしまっていた。何も考えたくない。
けれど廊下の向こうにはあの写真たちが散乱しているわけで、放っておくわけにもいかない。家族に悟られるなんてあってはならないのだ。心配をかけたくない。迷惑もかけたくない。男がストーカーされて情けなく憔悴しているなんて、それを親や妹に心配されるなんて、耐えられない。
水を流してから俺はゆっくりと立ち上がる。リビングからティッシュの箱を持ってきて何枚も何枚も手に持った。その上から、ああ、口に出したくもないあれらを掴み、封筒に押し込んでいく。気色の悪い、誰かの汚らしい欲望ごと、ゴミ箱に捨てるように。
しかし本当にゴミ箱に放り込むわけにもいかない。家族の目に触れないとも限らないからだ。かといって自分の部屋に大事に保存するなんて想像しただけで気が狂いそうになる。
とりあえずは下駄箱の奥の奥に隠すことにした。普段使う靴は玄関に出ているし、少なくとも今日の間は誰も下駄箱の中を見るようなことはないだろう。
どうにかなったかと息を吐き出して、あ、と思う。悪寒が走って、震えが蘇る。
もう、家にすらいたくなかった。一人きりでいられない。誰か、誰かに会いたい。
脱いだばかりだった靴を履いて、玄関から飛び出した。鞄は玄関に放っても、鍵だけはかけたのは自分をほめてあげたい。これ以上俺の日常を乱されることは絶対に許さないと思った。
走って走って、誰か知った顔を探す。誰でもいい。俺と会話をして、気を紛らわせてくれればどんな関係の人だっていい。とにかく一人でいたくない。
走って、その人の顔を見つけたとき、安堵からか涙がぼろっと零れたのを感じた。

「会長っ」
「あ? ……っと、どうした?」

見慣れた制服と、上げた黒髪。いいとは言えない目つきを向けられて、足からがくりと力が抜ける。座り込みそうになったところを抱きかかえられた。あたたかい体から離れるのも嫌で縋り付くように服を掴む。
会長。朝会ったきりの彼は、怒りもせずに俺の背中を撫でている。

「おい。何かあったのか」
「……」
「だんまりかよ。おら、泣き止め」

ぐずぐずと鼻を啜る俺に呆れたような声を出しながら、突き放そうとはしない。ぽんぽんと触れる掌に本当に心から安心した。この人と一緒にいれば、大丈夫だ。
何分もそのままの状態でいるとようやく気持ちが落ち着いてきた。冷静になると今の体勢は非常に恥ずかしい。運がいいのか悪いのか人通りはあまりないようだが、男子高校生が抱き合っていて、しかも片方は子どものように泣いているだなんて、もし誰かに見られたらいい笑いものだろう。前同じようなことがあったときは校内だったけれど。と考えて、そういえばこの人の前で泣くのも二回目だと気付く。なんてこった、情けなさすぎる。
顔が赤くなっているのを自覚しながら、会長から少し距離をとった。

「なんだ、もういいのか?」
「はい。あの、すんません。みっともない姿見せて……」
「気にすんな、初めてでもねえしな。お前の泣き顔も見慣れたとこだ」

意地の悪いにやっとした笑み。基本的にはいじめっこな彼らしいが、今はそんな軽口に乗っかる気力もない。
ふっと、会長の顔が引き締まる。真剣な表情にこちらも姿勢を正した。

「で、何があった?」

少し悩んでしまう。会長や古泉には俺の身に起きたことをすべて話したほうがいい。彼らは味方だし俺のことを守ってくれるというのだ、事情を知らせずに頼るなんて恩知らずなことできはしない。
だが、さっきの写真のことを話すのか? ストーカーに盗撮されて、性的に興奮されていたようだって? 汚い写真が家に放り込まれていて、怖くて怖くて泣いていたって?
躊躇している俺に気付いているのだろう、会長に軽く頭を叩かれた。

「今更遠慮してんじゃねえよ。さっさと楽になっちまえ」

乱暴な口調と裏腹な優しい声音。また涙が滲みそうになるのを我慢して、俺より幾分か大きな手を握って歩き出した。家に帰る。そして、あのおぞましいものを前に現状の説明をして、もう少しだけ慰めてもらってもいいだろうか。
二人は俺に優しい。だからつい甘えてしまうし、二人ともそれでいいという。俺が大切だから、俺を守りたいから頼ればいいと、際限なく頼れと言う。
俺はもう一人では駄目なんじゃないだろうか。頭の片隅で考える。二人がいなくなったら、俺はどうなるんだろう?





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2013/10/10

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