弱虫ヒーロー 一般人×ヒーロー 助けて。 その声が俺を動かす。正義だとか、そんな安っぽいものではなくて、もっと強くて脆い感情が、俺を突き動かす。 俺は戦う。どうしてだ。そんなことはもうどうでもいいというように、俺は拳をふるう。 ヒーロー。あいつは微笑んで、そう俺を形容した。 いかな高校生といえども、一般的な青春なんて味わっていないような日々を過ごしている俺だが、毎日はなかなかに忙しい。まずクラス替えの日に後ろの席の奴に声を掛けたのが悪かった。涼宮ハルヒという頭の中に虫でもわいているんじゃないかと思える破天荒女に目を付けられてから、目の回るような時間が流れているのだ。二人でよく遊びに行っているから周りは勘違いしているようだが、彼氏彼女なんて関係なわけがない。出かけているときのことを不思議探索なんて呼んでいることから察していただきたいところである。デート? そんな甘ったるいこと、経験ない暦=年齢だ。 全く青春とやらはどこへ行ってしまったのだろう。忙しいし、疲れなんてとれやしないし、まったくもって困ったものである。それでなくとも三年前から、破天荒なことに頭を悩ませ続けているというのに。 そんなことをぼやきながらの学校帰りだった。 今日も元気に帰宅部の俺は、一人であっても姦しいハルヒに散々どやされながらも帰路を急いでいた。隣で宇宙人についての持論を延々と語り続ける声は半分無視し、若干冷や汗をかきながら歩きを速める。 とにかく早く帰りたかった。別に家で何かしらの用事が待っているわけではない。今日に限ったことでもないのだけれど、いつだって、出歩くことに耐えられないのだ。面倒なことに巻き込まれるよりは、家で耳を塞いで布団に潜り込んでいるほうが余程いい。 そんな俺の様子にも気が付かないのか、ハルヒの話は超能力者のことに飛んでいた。別世界で飛び回って敵と戦うだなんて、こいつの脳内年齢は一体いくつに設定されているのだろうか。出会った頃から今まで甚だ疑問である。 「それじゃあ、明日ね。遅刻なんてしたら許さないんだから!」 「はいはい、じゃあな」 ハルヒが輝かんばかりの笑顔で言う。きらきらとしたその瞳になんだか癒されてしまって、自然とこちらも笑ってしまった。どれだけ面倒に思っていても、こういう奴だから憎めないのだろう。 軽い足取りで夕焼けに向かっていく背中を見送り、自らの帰り道を見つめる。これからが問題なのである。何事もなく安全に帰れるか、それとも。 歩を進めれば進めるほどひとけはなくなっていって、嫌な予感ばかりが頭の中を占領していく。過去の記憶がフラッシュバックしてきそうで気持ちが悪い。早く帰りたい。帰らなければ。早く早く。 ほとんど競歩のように歩く。息が切れはじめ、汗が額を伝い始める。 もう、すぐだ。あと三分も行けば自宅に着く。の、だけれど。 「誰か、助けてください……!」 溜め息を吐きそうになった。もしかしたら本当に吐いていたかもしれない。もはやどちらか分からない、覚えていないのだから。そのときの俺は、とにかくその声の元へ行かなければならないとしか考えていなかった。自分でもおかしくなるくらいに、「助けなければ」という思いに支配される。 悲鳴じみた声に引き摺られるように路地裏へ足を進めると、徐々に聞こえてくる争うような声。先程までは人の声なんてしなかったはずなのに、何故助けを求める声だけは聞こえてきたのか、なんて疑問は、今更である。俺自身が一番不思議に思っているのに、結局答えは見つかっていないのだから。 耳に入る声からして、どうやら男が四人くらいいるだろうか。叫び声の主の声はなかなか耳に入ってこず、頭をよぎる嫌な予感に地面を蹴っていく。 行くな。行くな。また大変な目に遭う。平穏な日々こそ、お前が求めたはずのものだろう? これからお前が向かう先に、それがあるというのか? 頭の中で響く理性の喚きは聞こえないふりで、勢いよく角を曲がった。 「っ、おい!」 「あ?」 「なんだ、お前」 ぎろり、と音がしそうなくらい激しく睨み付けられ、俺のまともな部分が竦み上がる。怖い、怖い。逃げ出したい。そう確かに考えているというのに、俺の狂ってしまっている部分は相手を睨み返した。 予想通り、俺に鋭い視線を向ける男は四人。ここら辺では見かけない制服だが、着くずされた格好や目に飛び込む金髪に、一発で係わり合いになるべき人間ではないと悟る。こんな住宅地で何をやっているんだとは思っても、もはや体は何も言わないし、何もしない。逃げてしまえばいいのに。謝って、逃げ出してしまえばそれでいいのに。 つと、彼らが囲んでいる人間を見る。やはり人を囲んでいたらしい。色素は薄いがこちらは地毛らしい茶髪の青年が、壁に頭を押さえつけられていた。四人以外の声が聞こえなかったのも道理だろう、その青年はすでに意識を失っている様子であった。 頭の中が沸騰する。俺の中の野郎が、怒りに染まっていく。ああ、だから嫌なんだよ。 男たちの中でも一番馬鹿そうな顔をした奴が、へらへら笑いながらこちらに近づいてきた。気色悪くも寄ってきた顔は、どうもヤニ臭い。 「なんか用かあ? もしかしてこいつのお友達とかなわけ?」 「……いや、全く関係はないが」 「へえ。じゃあさっさと逃げたほうがいいんじゃないの。早くしないと、お前もこうなっちゃうよ」 後ろでは、他の三人がなおも青年のことを蹴飛ばしている。俺を怖がらせようという思惑なのだろうが、苛立ちを助長させるだけである。実際には本来の俺はビビりまくっているのだが、そんなことは微塵も出さない。いや、出せない。 俺が恐れを表情に出さないことに痺れを切らしたのだろう、近くにいた男が眉間にしわを寄せた。威嚇でもしているつもりなのか、格好悪いだけなのに。 「おいおい、怖くねえのかよ。強がらなくてもいいんだぜ。さっさとおうちに帰れよ」 ああ、苛立ちが募っていく。怖いとすら思わなくなっているということは、俺自身の思考も乗っ取られてきているのか。どうせ勝手に動く体に逆らうことはできないのだ。いっそ恐怖に怯える自我など消してもらったほうが、いい。 男が俺の胸倉を掴む。ごつごつして荒れた手が不快で、今すぐ噛み付いてやりたいくらい。 「なんか言ったらどうだよ!」 ああ、うるさいうるさい。騒ぐな糞野郎。 「うるさい」 考えていることがそのまま口をついて出て行ってしまう。続きは流石に言葉にならなかったようだが、目の前の男をキレさせるには十分だったらしい。一瞬ぽかんと間抜けに口を開けたが、次の瞬間には腹に衝撃が襲い掛かっていた。瞼の裏がスパークし、真っ白に染まる。痛い。ああもうどうしてこうなるんだ、嫌だ、痛い。 男たちが何か言っている。嘲笑いながら、俺と青年を殴る。蹴る。痛い。痛い。いたい。 意識が切れる直前、自分が笑みを浮かべたのが分かった。 気が付いたら、もう真っ暗だった。学校を出たのは確か四時だったのだが、この様子ではそろそろ世間では夕食の時間だろうか。 こうしていざこざを起こす時はたいてい意識がなくなるのでもう慣れているが、やはり少し気味が悪い。空白の時間に何があったのかは、周りを見れば大体分かるのだが。 「う、わ……」 辺りは、酷い有様だった。 まず、立っている人物は誰一人としていない。俺自身も壁にもたれかかるようにして座り込んでいて、何をしでかしたのかと背筋が寒くなる。 電灯が世界を照らす。ある者は口から血を垂らし、ある者は指をおかしな方向へと曲げ、ある者は白目を剥いて、ある者は吐瀉物にまみれて。誰もが何か恐ろしいものを見たという表情をして、地面に突っ伏している。出会ったころのこちらを見下す様子はそこからは見出せず、それがまた俺がしたことの酷さを物語っているようであった。 かすれる小さな呼吸音と、蛍光灯が虫を焼く音。それと自らの心臓が鳴り響く音しか聞こえなくて、今度は恐怖が身体を支配する。すぐ隣は人が住んでいる家のはずなのに、生活の音はもはや耳には入ってこない。 「逃げなく、ちゃ」 ここを早く離れなくては。自分は関係ないという風を装って、早く日常に戻らなくては。俺は、こんなことしてはいないのだから。絶対に。 近くに投げ出されていた鞄を胸に抱え込み、膝立ちで進む。もうただただここから遠ざかりたい。家に帰って風呂に入って、それだけで俺はまた俺でいられる。そうだ、早く早く。逃げなくては。ここにいちゃ、だめだ。 「、あ……」 俺以外の声が聞こえて、びくりと大げさに肩が震えた。すぐ隣からしたそれは掻き消えそうで、けれども確かに俺に届く。誰だ、俺が相手にしたはずの男たちは、全員そこら辺に倒れている。他に、人なんて……。 恐る恐る首を回すと、そいつからも視線を向けられていた。寒さからか腕を小刻みにさすって、何か神聖なものを見るような目でこちらを見る。青年だ。あいつらに殴られていた青年。顔に擦り傷があって服が破れている以外は比較的大した怪我もなさそうで、俺はこいつには手を出さなかったんだなと少々安心した。まあ、当然だろう。「俺」は、こいつが殴られていることに怒りを覚えて暴れたのだから。守るべき、助けるべきこいつを傷付けるわけがない。 しかし、どうしたものだろう。早くここから離れたい。様子からして俺がしていたことを見ていたらしいこいつと関わり合いになるなんて勘弁だ。できれば忘れてしまいたいくらいなのだから。けれど、ここにこいつを置いていくこともいただけない。俺の顔も覚えられてしまっているようだし、不用意にこんな奴がいたのだと吹聴されるのは、かなり困る。 どうしよう。どうしよう。 「あの」 「あっ?」 青年が控えめに声をかけてくる。よく見ると、血が流れてはいるがかなりのイケメンだった。長めの髪が気にならないくらいに爽やかな顔立ちをしていて、所謂アイドル顔、といったところだろうか。男たちが顔を中心に狙っていたのも納得である。これは確かに少し妬ましくなる格好良さだ。 関係ないことをとつとつと考えていると、焦れたらしい青年が立ち上がった。足はどうともないらしい。ゆっくりと俺に向かって歩いて、しゃがんで。 「……怪我、してますね」 頬を撫でられた。優しく、慈しむように、温かい掌が冷え切った肌を滑っていく。唖然としてしまって何も言えずにいると、青年はふわりと笑った。世界中の乙女が恋に落ちてしまいそうなくらい綺麗な笑みで、俺を見る。 なんだ、これ。何で俺を怖がらないんだ、こいつ。 「頬が切れてしまっています。大丈夫ですか」 「あ、ああ。というか、お前のほうが酷い傷だろう?」 「ご心配なく。僕は平気です」 にこり。この場に似合わないほど王子様然としたその表情に、目眩がした。何なんだ、この男は。変すぎる。 困惑したままで大人しくしていると、曲がり角の向こうから酔っ払いらしい要領を得ない叫び声がした。誰か来た。その事実に俺が体を強張らせると、それを察したのか青年は顔を覗き込んでくる。近すぎるほどの距離だったが、文句を言う元気などなかった。 「このままではいらぬ誤解を受けてしまいそうですね。逃げましょうか。立てますか?」 「……実は、力が抜けていて、立てそうにないんだ」 「そうですか、では肩を貸しましょう」 細いけれど俺より高い位置にある肩に手を回し、どうにか体を起こしてもらった。情けなくもへたり込んでしまいそうになる足に力を込めて、ようやく立ち上がると、少しずつ前へ進ませてくれる。青年の熱が優しい気がしてきて、泣きそうになった。 時折ぽつぽつと気遣うような声に返事をしながらも導かれるままに歩いていくと、近所の公園が見えてきた。幼いころによく遊びに来ていた公園だ。懐かしがる余裕はなくとも、どこかほっとすることができる。 その頃には俺も青年の力を借りずとも動けるようになっていて、ペンキの剥げた古いベンチに自ら腰を下ろした。また力が抜けていく。張っていた気が楽になったのだろう。少し経ってから彼も同じように隣に座り、持ってくれていた俺と自分の鞄を地面に置いた。 しばらく沈黙が続く。俺も相手も疲れ切っていて、言葉を発することさえ億劫だった。 できればこのまま眠ってしまいたい。朝まで惰眠をむさぼって、今日のことを全てなかったことにしてしまいたい。そう思うのは初めてのことではなくて、俺のささやかかつ切実なこの願いが叶えられたことが今までにないことを示していた。忘れてしまうことは無理だし、できたとしてもなかったことには決してならない。事実は曲げられないのだから。 「先程は、」 囁く程度の声量の音が耳へと届く。半分閉じかけていた瞼は痙攣するように開いて、心配そうにこちらを窺う茶色みがかった瞳とかち合った。綺麗な色をしている。吸い込まれていきそうだ、なんて、少しロマンチックすぎるだろうか。 「……なに」 「いえ、先程は助けていただいてありがとうございました。突然絡まれたので困っていたところだったんです。あなたが現れなければどうなっていたことか……」 「そのこと、なんだが」 優しく微笑まれ、居心地が悪い。初対面の相手に向かってここまでの笑顔が作れるなんて、相当器用な奴らしい。俺には到底無理な芸当なので、地のままでいかせてもらう。他人に簡単に笑いかけたりせず、常に眉間にしわを寄せているのが俺のスタイルらしい。いつだったか、ハルヒに呆れつつ言われてからはできるだけ表情豊かにするよう心がけてはいたが、今この状況ではそれもできそうになかった。 「お前、俺のこと怖くないのか?」 「怖い、ですか」 「そう。さっきの奴らをやったの、俺なんだぞ。その様子も見ていたんだろうが」 「ええ、間近で拝見させていただきましたよ」 「なら、どうして……」 これまで、何度か似たようなことがあった。悲痛な声がする方へ行き、加害者の方をぼこぼこにしてやって。目が覚めたとき、多くの場合意識を保っている人間はいなかったが、極稀に被害者の方が目を覚ましていることがあった。俺を見るあの目は、日常でそうそう見られない類のものだろう。 恐怖からか目を見開き、涙で頬をぐしょぐしょに濡らす。その瞳の中に映るのは、紛れもなく俺に向けての恐怖であった。今にも叫び出しそうに喉を震わせながらも、やはりその恐れによって何も言えずに、ただこちらを見つめる。このことは誰にも言うなと少し睨みを効かせれば、誰しも狂ったように首を上下させていたものだ。目の前で残虐な暴力行為を見ているのだから、リンチに巻き込まれるような人間が怖がるのも当然だろう。俺自身でさえ自分のしたことを恐ろしいと思うのだから、仕方ないと言えばもちろんそうなのだが。やはり、少しのショックを感じずにはいられない。辛かったし、悲しかった。 誰一人として、俺に助けられて感謝を述べた人間などいなかったのに。 「お前がやられたことをやり返しただけじゃないか、あんなの。助けたなんてことにはならないさ。俺だって、ただの加害者なんだ。感謝を述べられるようなことはしてない」 三年前からだ。近くに救いを求める人がいたら、その人の元へ身体が勝手に向かってしまうようになったのは。何故かなんてまったく見当もつかない。ただ熱い感情が噴出して、本来の自分は追い出されてしまう。身体能力だってそんなに高くないはずなのに、そのときだけ不良を倒すほどの力が備わっているらしかった。ただ、どうしてもやらなければならないのだと使命感に駆られて体は動いていく。それが怖くて、自分が人を傷付けたのだということが恐ろしくて恐ろしくて、もう堪らなくて。 掌に、薄く血がこびり付いている。いくらこの青年に暴行を加えていた奴らだとしても、俺はあいつらを殴ったし、蹴った。気を失うほどに傷付けた。それは、自分の中で響く「助けなければ」という声からは程遠い行動で、もう何も分からなくなってしまう。 俺はどうして、こんなことをしているのだろう。 「そんなこと、ありません」 酷く泣きそうになっていると、先程の調子からは想像もつかないほどに力強い真剣な声をかけられた。いつの間にか俯いていた顔を上げると再度かちりと合う目。青年は、ずっと俺のことを見ていたらしかった。真っ直ぐな視線に耐えられなくなってしまう。そんな風に見詰められていいようなことは、していないのに。けれど、逸らしかけた目線は柔らかく握られた手のせいでまたも目の前の男に釘付けにされていく。強い瞳、優しい瞳。絡めとられて、逃げられなくなる瞳。 俺は何がしたいんだ。こいつは、何がしたいんだ。 「感謝されることはないなんて、貴方も加害者だなんて、そんなこと僕は思いません」 「っ何言ってるんだ、俺はあいつらを傷付けて……」 「ええ、そうでしょう。ですが、あなたは確かに僕を助けてくださいました。僕を守って、救ってくださいました」 指に力を込められる。握られていても互いの手は冷え切ったままで、どうして二人ともこんなになるほど緊張しているんだろうとしょうもないことを考えた。 空から降ってくる月の明かりが青年の髪を透かしていく。薄暗さで分からなかったが、彼の髪の色は茶髪というよりは蜂蜜色らしい。口にしたら甘そうなその色に、どことなく胸が温まっていく気がする。変な奴。変な、奴。 「僕ね、小さい頃の夢、ヒーローだったんですよ」 「へえ……」 「格好良いですよね。世界のために体張って、皆から好かれて、頼りにされて」 「そうだなあ、俺も憧れていたかもしれん」 「男の子の夢、ですよ」 少しずつ会話をして、突然方向転換された話題にももう突っ込まない。こいつの傍は安心できる、気がする。どうしてだろう。何があっても受け入れてくれるかもしれない。あの状態の俺から逃げ出さなかった、こいつなら。 優しく優しく微笑んで、男は俺と両の指を絡めた。じんわりと伝わり始める熱に、小さく息を吐く。どうしようもないくらいに、心地良かった。 「気がついて、初めに目に入ったあなたの姿は、さながらヒーローのようでした」 こいつがそう言うなら、きっと俺はヒーローなのだろう。人を傷付けてしまっても、大切な人は、俺を求めてくれる人だけは、守れるような。情けなくて、面倒臭がりで、弱くって、そんなヒーロー。 たとえば、この男を守れるような、そんな。 「助けてください、僕のヒーローさん。あなたと出会ってから、胸が高鳴って仕方がないのです」 END. 2013/01/23 |