受信トレイ
**/**/** 16:28
キョン君
無題
――――――
夜、会いたい
-END-


仕事中に来たメールに、俺の胸はいい年をしてときめく。
買ったときから変えていない受信音はめったに鳴らない。友人がいないわけではないのだけれど、電話の方が楽だと考えている奴が多いのだ。かくいう俺も電話推奨者の一人。だが彼からのメールには適応されない。電話番号を知らないというのもある。それ以上に彼がくれるメールはあまり連絡を取りたがらない分貴重なのだ。浮気相手なのだから当然かもしれないが。
さて、今日は金曜日である。つまり俺も彼も明日は休みで、今夜は人知れず逢瀬に身を費やすことができるわけだ。ほぼ毎週会ってはいるのだけれど、やはり普段は連絡の一つもくれない好きな人と会うのは嬉しい。

(十八時に、いつもの場所で、待ってるね。今夜は、和食でも、食べようか。……っと)

素っ気ない黒いメールに彼らしさを感じながらも、いそいそと慣れない絵文字なんかを使ってみたりする。女子高生にでもなった気分だ。時間はかかってしまったが華やかになった画面を見て、彼の反応を想像してみた。きっと特に何も思わないのだろう。彼は、キョン君はそういう人だ。
どうしようかと送信完了の文字を目で追いつつ考える。いつもの通り駅前で待ち合わせて、とりあえず食事は少し歩いたところにある定食屋でとることにしよう。この間見たいと言っていた映画のDVDを借りてホテルで見ようか、それとも肩を並べて漫画雑誌でも読もうか。

「あれ、どうしたんですか」
「何が?」
「やけに楽しそうじゃないですか。携帯なんて握りしめて、吉報でもありました?」

彼に会える喜びで思考を飛ばしていると、隣に座る後輩が声をかけてきた。何となくにやにやと口許を緩めている。どうやら俺の表情からメールの相手を予想したらしい。

「恋人いましたっけ」
「あー、いるようないないようないるような」
「なんですかそれー」
「もういいから、仕事しなさい仕事」
「携帯構ってたくせに」
「はいはい」

適当にあしらって椅子に座り直す。不満げな視線には気付かないふりである。と、またも初期設定の電子音が小さく鳴り響いた。しまった、さっきマナーモードにするつもりだったというのに。
後輩の生暖かい視線は一切遮断して、ポケットからはみ出していたクロネコのストラップを引っ張る。昔従兄弟にもらったこのかわいらしいストラップ。外すのも面倒臭かったのでそのままにしていたのだが、どうやらキョン君はこれを気に入っているらしい。楽しそうにクロネコの頭を撫でる彼を見るときが、来年結婚するらしい従兄弟に感謝する滅多にない瞬間である。
浮つく気持ちを抑えて携帯を開けば、新着一通の文字。


受信トレイ
**/**/** 16:36
キョン君
Re:
――――――
分かった
楽しみにしてる
-END-


再度綻んだだろう顔に向けられる訝しげな表情には気付かないふりで、メール作成画面を開く。俺からメールを止めることはない。一言でも多く言葉を交わしたいから、どんな些細な内容にも返信をする。欝陶しいと思われているかもしれないとは思うけれど、それすら構わない。
送信完了。

(返信、ないんだろうなあ)


送信トレイ
**/**/** 16:41
To キョン君
Re:
――――――
好きだよ
-END-



結局DVDを観ることにした俺達は、いつもの通りホテルで休んでいた。
フロントで借りたプレイヤーに設置したのは数年前に話題になったアクション映画である。興味深そうにテレビを見詰めていた彼だが、あまり好みではなかったようだ。一応目線は前に向けている。けれどどこか虚ろなそれは眠気を隠せてはいない。時計を見ればそろそろ十一時を回るところだ。学校が終わってからすぐに連れ回したものだから疲れてしまったのだろう。
肩に形のいい頭がもたれてきたのを合図にテレビの電源を切る。DVDはまだ最後の戦いの途中だったが、きっと再度見ることはないだろうし構わないだろう。完全に瞼の下りたキョン君の髪を軽く撫で、唇を落とす。

「ベッド行こうか」
「映画は……?」
「また今度」

力の抜けた体を抱き上げる。いくら彼が俺よりも小柄だといってそう簡単にはいかない。高校時代に鍛えたはずの筋肉を総動員させて横抱きにすれば、彼は楽しそうに笑った。調子づいて首に腕を回されたりもするが、ここで落としてしまえば男の矜持は丸つぶれである。必死になっている俺に気付いているのはいないのか、ベッドに横たわった彼は眠たそうな笑顔のままで布団に潜り込む。

「おやすみ」
「はいはい、おやすみなさい」

本当はこのまま一緒に眠ってしまいたいのだけど、生憎と今日会社で終わらせることができなかった仕事が残っている。彼との待ち合わせのために残業もしなかったのだが、そのことをわざわざ本人に教えることもないだろう。自分が負担になっていると勘違いでもされてしまっては堪らない。
穏やかであどけない寝顔をたまに覗き込みながらの作業はなかなか進まない。けれどひどく幸せな気分だ。ようやく終えた頃には深夜二時を越えていて、あくびが絶え間無く零れる。昔は、少しくらいの夜更かしは辛くもなかったはずなのだけれど。
電気を消してキョン君の横に滑り込む。すっかり夢の住人になってしまったらしい彼は、少々の刺激では目を覚ましはしないようだ。強く抱き込んでも瞼は上がらない。けれど緩やかに背中へ腕が回されるのが分かって天にも昇る気持ちになる。分かっていても。この行動が恋人との添い寝の際にされているのだろうことも、他の誰であっても抱き着くのだろうことも、分かってはいるのだけれど。

(あ、ねむい)

彼の体温に触れまどろみかける意識。
明日は二人ともフリーのはずなので久々に一日一緒にいることができる。買い物にでも行こうか、美術館にでも行こうか、さっき観たものより面白いものを探しに映画館にでも行こうか。
半分眠りについたくせに考えることは彼のことばかりで、何だかくすぐったい。肉体は多少衰えてきたけれど、気持ちはまるで中学生のようだ。いいことなのか悪いことなのかは判断が付きづらいなと、靄がかかる頭でぼんやり考える。
そんな眠りの向こうで、何かが震える音がする。ブー、ブーと鈍く揺れる音だ。バイブレーション。気付いたと同時に音のする枕元へ手を伸ばす。なかなか止まらないから着信だろう。会社で設定を変えたのは成功だった。もしここで音が鳴ったら彼が目を覚ましてしまったかもしれない。過去の自分に軽く感動しながらもこんな時間に電話をしてくる相手へ舌打ちをした。一体誰だろう。
目を閉じたままで、乱暴に震え続ける携帯を手に取る。苛立ちに任せて通話ボタンを押さえた。

「もしもし?」
『……あ』
「え」

やばい、と思った。
掌に収まるのは自分のものよりも幾分か薄い携帯。彼のお気に入りであるクロネコのストラップが手に触れる気配はない。耳に流れ込むのは、これまで一度も聞いたことのない男の声。

『古泉ですが、……キョン君?』

これは彼の、キョン君の携帯に違いない。そして電話口の向こうにいるのは、多分、彼の恋人。





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