3 俺達の間にはいくつかの決まりがある。特に話し合ったわけではないが、いつの間にか守るようになった決まりごとだ。 必要以上に連絡をとらないこと。交換する連絡先はメールアドレスだけ。会うときは外で会うこと。相手の私生活に深く立ち入らないこと。接触はハグと、唇以外の顔へのキスのみ。 徹底している。キョン君は俺の家を知っているけれど一度も訪れようとはしないし、俺も彼の高校に足を向けたりはしない。電話番号も住所も、誕生日や正確な年齢すらも知らない。名前だって初めに教えられたおかしなあだ名くらいしか分からないのだ。それは彼もそうなのだろうけど。 「ヤマトさん」 彼は俺のことをヤマトさんと呼ぶ。当然本名ではない。携帯につけているクロネコのストラップを見て彼がつけたあだ名だ。何とも単純なネーミングだが、極端な話彼が俺を呼んでいる分かればそれでいいので何の問題もない。 俺の背中に張り付いて離れないキョン君は、珍しくも甘えモードのようだ。喉でも鳴らしそうなほどご機嫌に引っ付かれれば悪い気はしない。 「なに?」 「俺そろそろ帰るけど」 薄く開いたカーテンの向こうからは朝特有の黄色い光が差し込んでいて、彼を抱きしめたままで眠ってしまったことに気付く。すでに私服に着替えたらしいキョン君は布団から出ているがまだ眠たそうである。見上げた先の時計が刺すのは午前七時。休日に起きるには十分早いだろう。 まだ少しだけ寝ぼけた頭で後ろを向いて彼を抱き寄せる。大人しく捕まったままで見上げてくる瞳は、俺よりよほど気まぐれな猫のようだ。いや、俺の場合は猫というよりただの宅急便なのだろうが。 「ん、もう朝かー。何とも早い出勤だね」 「また遅刻したら敵わないからな」 「罰金だっけ。ねえ、俺が少しくらいならカンパしてあげ」 「ヤマトさん」 「……悪かったよ」 彼は毎週日曜日には部活の仲間と町へ出掛けることになっている。俺が知る彼についての唯一ともいえる情報をひけらかせば、億劫そうに睨まれた。私生活には立ち入らない。彼は規律に忠実だ。しかしその反応から、俺にはその部活仲間が彼を苦しめている原因であり、尚且つそこに彼の恋人も所属しているのだろうと予測を立てることができる。けれど、そこまでだ。彼に辛い思いを抱かせる日常を忘れさせるために、俺は彼と共にいる。自らの存在意義を疑わざるを得ない言動は控えなければならない。 するりと逃げていった細い体をもう一度捕まえて、触り心地のよい額にキスを一つ。嫌がるそぶりも見せない彼はやはり少しだけ不機嫌そうだ。 「ごめんねってば」 「誠意が感じられない。それに俺は、頭のいい人が好きだ」 それは、君の恋人のこと? そう口にしてしまいそうになるのを辛うじて我慢して、殊勝に見えるように肩を落とす。彼はどうやら人を甘やかすのが得意なようで、こうして弱い面を見せると優しくなるのだ。普段は俺が甘やかしてあげているものだから、余計に弱いらしい。 「キョン君、ごめん」 「あー、もう分かった分かった。怒ってないから顔上げろよヤマトさん」 そう、彼は優しい。眉間にシワを寄せながらでも頭を撫でてくれるし、たいていのことならば許してくれる。これはきっと俺がまだ知り合って日が浅いからだとか年上だからとかではないのだろう。彼は多分誰にでも優しい。 だから、だからなのだ。彼は一人で苦しんでしまう。彼の部活仲間、恋人。彼の優しさを知っているただの高校生たち。そんな奴らに甘えられて頼られて、彼はあの日パンクしてしまったのに違いないのだ。俺に、いや、誰か彼のことを何も知らない大人に、こうして身を寄せなければ泣き出してしまうほどに。 「それじゃあね」 「おう、また」 ぱたりと扉が閉まり、彼の姿が見えなくなる。先程まで腕の中にあったはずの温かな体温はもはや俺のものではなく、どこかで彼を待つ恋人の元へと歩みを速めるのだろう。 悔しいなと思う。彼のことを真実分かってなどいない輩に明け渡さなければならない。彼を苦しめる存在のところへ、送り出さなければならない。 不毛だ。彼は俺のことなんて好きではないのに、単なる友人程度の思いだろうに。それどころか、都合よく甘やかしてくれる赤の他人くらいの認識かもしれない。それでも俺は彼のことをこんなにも好きだ。利用されているような状況だって構わない。彼が俺を必要としてくれるのならば。 ああ、不毛だ。 ⇒Next |