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念のため早めに学校を訪れ、一通り校内も見終えた。まだ時間は大分ある。どうせだし外も見て回ろうと靴を履けば、これからクラスメートになるであろう男子生徒が訝しげにこちらを見ていた。人がよく見えるように笑いかけたら眉を潜めて中へ入って行ってしまったが。僕はこの三年間うまくやっていけるのだろうか。正直少し不安である。
今日から僕はこの北高の生徒となる。超能力者として神を監視するため、この半端な時期に転入することとなったのだ。緊張していないわけがない。僕の行動によって世界の行く末が決まるかもしれないのだ。出来ることならば遠くから彼女らを見ているだけで済ませたいが、なにせ僕は変な時期にやって来た謎の転校生なのである。彼女が食いつかないわけがないだろう。覚悟は、超能力者に選ばれた瞬間から出来ている。
校庭には特に何もなかったので校舎の裏へ回ってみる。裏門の向こう側にも広がっている坂道は、歩いてみて初めて分かるのだが拷問だ。確かに高い位置にあるおかげで景色はすこぶるいい。けれど朝から体力の削られることと言ったら。ここに通うのが他の生徒より一月分少ないだけ、僕はましなのかもしれないが。

「おや、桜ですか」

何かが目の端を掠めたと思ったら風に舞っている花びらだったらしい。つられるように顔を上げれば、立派な桜が花をいっぱいに咲かせている。もう五月なので他の木は大分散り気味だったが、これは少し遅咲きらしい。しかしとても大きな木だ。どれくらい長い間この場所に生えていたのだろう。あまりの美しさに思わず見惚れてしまうほどだ。
そしてその下。僕と同様に花を見上げる影がそこにある。顔はよく見えないが、ブレザーのようだから男子生徒だろう。ここはそこの彼のお気に入りの場所かもしれない、僕がいては邪魔になるだろうか。そう思いつつも動かずにいれば、視線がうるさかったのか彼はこちらを見遣った。その顔を見て声を上げなかった自分を褒めてやりたい。
その人は、神である彼女に気に入られた、世界の鍵であった。何度も資料の上で見た顔だ。素朴で真面目そうな青年。僕が彼女の次くらいに気にかけなければならない人。
突然の遭遇に内心焦りつつも、僕は如才ない笑顔を浮かべる。これも訓練の賜物だ。ちょっとやそっとのことで表情を崩すことは許されていない。僕の存在に一瞬目を見開いた彼は、顔をふいと逸らしまた桜を見る。見ず知らずの生徒とわざわざ話す価値を見出だせなかったのだろう。あまり社交的なタイプではないらしいと聞いていたから特に何かを思うわけではない。ただここで多少は仲良くなっておいた方がいいはずだ、きっとこれからも長く関わることになるのだから。思いながら、僕は口を開く。

「綺麗な桜ですね」
「……」
「この場所、気に入っているんですか?」
「まあな」

だんまりを決め込まれるかと思いきや、会話をする気はあるらしい。意外と低めな声がこの距離では聞き取りづらく、彼の近くへ寄ってみる。肩をびくりと揺らしはしたが、どうやら逃げるつもりはないようだ。
真下から見る桜はまた何とも言えず美しい。視界を埋め尽くすように広がった桃色の空に、彼と僕は同時に溜め息を吐いた。あまりのタイミングの良さに驚いたらしく素早くこちらを見る彼。ぱちりと目が合って、僕らは思わず笑い合った。彼とはなかなか気が合いそうだ、これは上手く付き合えるかもしれない。

「俺はキョンって呼ばれてる。一年五組だ」
「キョン、ですか」
「勿論あだ名だぞ」
「存じていますよ。僕は古泉一樹です。一年九組に今日転入してきました」
「古泉、ね」

一瞬目を細めた彼は、またも僕から目を逸らす。少しだけ浮かべたのは昔を思い返しているような、どこか懐かしそうな表情だ。多分、僕の気のせいだろうけど。
彼は先程から、飽きもせずにずっと桜を見ている。そんなに桜が、もしくはこの木が好きなのだろうか。

「この桜はな、古泉。百年桜って呼ばれてるんだぞ」
「へぇ、これがあの百年桜ですか」
「知っているのか?」
「ええ、一応」

昔読んだ小説に、この桜をモチーフにした話があった。本のタイトルは「百年桜」。ある事情で離れ離れになってしまった恋人同士が、百年の時を経て桜の木の下で再会するという話だ。読んだ当時はまだ幼かったから分からなかったが、とても切ない小説。その後書きの部分に、この地域のある桜を元にして書いたとあったはずだ。きっとこの桜のことなのだろう。
そんな話を聞かせると、彼は妙な顔をして見せた。不思議そうな複雑そうな、少しだけ渋い顔だ。

「俺が知ってる伝説と違うな」
「そうなんですか」
「ああ。俺は確か、神隠しがどうとかって聞いたんだが。……その小説の作者ってのは誰だ?」
「実は、僕の曾祖父なんです」

小説家だったという僕の曾祖父。もうすぐ四十というところで結婚するまで、この町に住んでいたのだと祖父に聞いたことがある。それからは引っ越してしまったそうだが、その百年桜とこの町のことがたいそう好きだったらしい。少し前に会った祖父は、僕がここに住むのだと伝えたときとても驚いていた。同時に少し嬉しそうでもあったように思う。曾祖父の思い出の地に子孫が住むというのは何か感慨深いものがあるのだろう。
そういえば、と思い出す。そのときに祖父が小さく呟くのを僕は聞いた。そろそろ父の頃から百年経つな、と。
彼は僕の方を見ない。桜を睨むようにひたすら見詰め、唇を噛み締めている。その表情に僕は息を呑む。何故だか、泣いているようだと思った。直後こちらを向いたときの彼の笑顔に、すぐ気のせいだと考え直したけれど。

「……あの野郎、随分と気障なことを」
「何か?」
「いや、何でもない。それより校内の案内をしてやるよ。来たばかりじゃあ迷うだろう」
「本当ですか。助かります」

資料にも載っていたしもう見て回ったあとだから迷うことはないだろうが、親しくなるチャンスだとにこやかに頷いておく。彼はほっと息を吐いてから歩き出した。それを追い掛ける前に、僕は桜を見上げる。
小説では、百年桜の花が季節外れに咲いたとき恋人たちは再び出会うということになっている。この桜は少し遅れて咲いているようだし、ということは百年前に別れてしまった恋人たちはまた触れ合うことが出来たのだろう。
曾祖父の話は確かにハッピーエンドだった。けれど僕が読む度に切ないと感じるのは、女性が恋人である男をずっと待ち続ける姿が健気でひどく愛おしいからだった。百年。待って待って待って、たった一人で待って。彼女は、再会のときに泣きながら言う。

「遅いぞ。待ってるんだから早くしろ」

独白が声になっていたのかと思えば彼の言葉だった。不機嫌そうな顔をしてかなり先で立つ彼はこちらを見ている。偶然にも彼が発したのは小説の最後の台詞で、彼も読んだことがあったのではないかと首を傾げる。しかし神隠しが何だと言っていたから本当に偶然なのかもしれない。まあどちらでもいい。これから話す機会はいくらでもあるのだ。
慌てて彼と共に校舎へ向かって歩き出す。何故だろう、彼の隣は長年の友人のように居心地がよかった。そして、どうしてか僕の大好きな花の香りがした気がした。美しく凛々しいあの花は、彼によく似合うかもしれない。
おかしな思考を繰り返す自らに笑いながら僕は歩く。彼を好きになれそうだと思った。本当にどうしてだろう。彼のことを大切にしたい、しなければと、いっそ使命感と言えるほどの何かを感じる。誰かが背中を押しながら耳元で囁いているようだ。彼のことを頼んだよ、なんて。
また泣きそうな、それでも幸せそうな表情をしている、彼を。





終わり。

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