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半分泣きながら少年が口にした話を要約すると、こういうことだった。
彼は学校の近くにある小さな家を借りて住んでいる。昨夜その近所のおばさんがおすそ分けを持って行ったのだが、いくら戸を叩こうとも誰も返事をしない。大方どこかへ飲みに行ったのだろうとそのときは気にしなかったらしいのだが、朝になっても帰って来る気配はなし。学校が始まる時間になっても姿を現さない。これはおかしいと彼の家に無断ながら入ると、彼は勿論のこと昨日学校が終わってから家へ帰った形跡も全くなかった。
そこで今、何かがあったのではないかと生徒や近隣の住民が彼を捜索しているのだという。

「古泉先生はキョン先生の幼馴染だから、何か知ってるか聞いて来いって言われて、訪問したんですけど……」

先生も何も知らないんですね。
そう残念そうに俯いた少年の声はもう耳に入っていなかった。彼が行方不明。その事実が頭の中の大半を占めていた僕は、少年の横を擦り抜けて外へ出る。二人が呼び止めるのにも反応を返さず、一目散に彼の家を目指した。
恐ろしかった。彼が居なくなってしまうなどということが有り得るのが恐ろしかった。もう本当に会えなくなるというのが恐ろしかった。距離を置くという話だって、謝ろうと思えばいつだって謝ることが出来るという前提の上で決行したのだ。諦めることがたとえ出来ずとも、彼を失うことはないのだからと。彼が本当に何処かへ行ってしまうだなんて、そんなことは聞いていない。
足を縺れさせて走り、強く願う。この騒動が、僕を驚かせるための嘘だっただとかちょっとした勘違いだっただとか、もう何だって構わない。彼が無事でいてくれさえすれば。どうか。
そんな思いを断ち切るように、彼の家の前には多くの町人が集まっていた。彼はこの町ではかなりの人気者だったから、ここに居る人々は全員彼を心配して来たのだろう。つまり、彼は本当に皆の前から姿を消してしまったのだ。

「駄目だ、町中探したが何処にも見当たらねぇ」
「実家にも帰ってないって言うし、大丈夫かねキョンは」

大工の親父さんが、捜索に出ていたのだろう男達の代表として声を上げる。途端あちこちから漏れる溜め息。それが彼はもう見付からないのだという諦めを表しているように聞こえ、頭に来て仕方がない。見付からなかったらもうそれでおしまいなのか。彼が居なくても構わないのかこの人達は。理不尽な怒りばかりが沸き上がってきて今にも叫び出しそうだった。
そうは思っても、町中を探したという彼らの言葉に嘘はないだろう。ならば、僕に彼を見付けることはきっと叶わない。この町の中以外で彼がいそうな場所に心当たりなんてないのだ。職に就きここに来てから、二人で出歩くことなど滅多になかったのだから。
こそこそと交わされる内緒話が耳に入る。僕は聞きたくなどないというのに。

「最後に見た奴は、噂の女の人と一緒にいたって言ってたぜ」
「ああ、あのすごい美人って噂の子だろう。一体何処の誰かは分からないが、あの子と大分仲が良かったみたいだねぇ」
「その恋人と逃げたんじゃねぇのか。ほら、あいつ従姉妹に迫られて迷惑してたろう」
「有り得るかもなあ。まあ真面目な奴だからちょいと考えらんねぇけど」
「本当に真面目だったら仕事を放っといて居なくなったりなんてしないでしょうよ。新しい先生はどうなるのやら」

皆が囁く好き勝手な発言に苛立ちは増していく。
この人達は、彼の何を知ってそんなことを言うのだ。平生はあんなに彼のことを慕っているくせして。あの人は自分が任せられた仕事を放棄して逃げ出したりなどしない。何より彼は教師の職を天職だと言っていたのだ。いくら迷惑だろうとしっかりと断る人だし、残される人に何も言わずに消えるなんて、するはずがない。
僕は知っている。彼がどれほど真剣に子供達のことを考えていたか、従姉妹とのこともどれほど繰り返し悩んでいたか。そんな彼が逃げ出すだなどと、戯れ事にも程があるじゃないか。

「彼は、そんな人じゃあない」

誰にも聞こえないように小さく呟く。周りを気にして喚き散らせない自分が悔しい。噛み締めた歯の間から搾り出すように吐いた言葉は、ふよふよと漂って消えていく。まるで元からなかったかのように。止まらない噂話にいっそ悲しくなって、瞼を強く閉じた。今は何も見たくない。この人達に当たってもどうにもならないのだと言い聞かせながら、暗闇で僕はひたすら歎く。
僕はどうしたらいいのだろう。彼が居なくなってしまった。何処に居るのか、どうして消えたのか、何も分からない。ただ分かっているのは、彼が自分の意思でここを離れたのだとしてもそうでなかったとしても、僕は彼に置いて行かれたということだ。僕は彼を真実失った、そういうことだ。

「……百年桜だ」

後ろから小さな声がした。振り返れば、漸く追い付いたらしい先程の少年が息を切らしながら立っている。後ろで膝に手をつく谷口さんも、目を丸くして少年を見ていた。幼い目はどこか虚ろで、ここではない遠くを見ているようだ。そして何かに怯えているようでもあった。
弱々しい声が微かながら響く。少年は話すのをやめない。

「百年桜の神隠しだ。キョン先生は神様に連れて行かれちゃったんだ。だから居ないんだ」

喚き出した少年に町人は訝しげな視線を向ける。他の生徒達は、この少年と同じように何かに恐れを抱いているような目で彼を見ていた。それらに臆することもなく、彼は声を上げ続ける。がたがたと震えながら。

「だって、今年は百年目だって噂だ、前回の神隠しからっ」
「おい、ちょっと誰か落ち着かせろよ」
「神隠しでなきゃキョン先生が居なくなってしまう訳ないじゃないか。そうだよ、神隠しだ。きっと神様に気に入られたから」
「いい加減にしねぇか!」

一瞬静まったと思うと、少年はぼろぼろと涙を零し始めた。他の生徒達もつられるように嗚咽を漏らし出し、ついには大人達まで瞳を潤ませる。先程まで彼について不名誉な噂をしていたくせに。彼が愛されていたのは間違いない。ただ、子供達は純粋に悲しみを表現出来るという、それだけのことなのだろう。大人は物事への感情を表に出すよりも先に、その理由を知りたがる生き物なのだと、昔に彼は言っていたのだったか。
鼻を啜る音を聞きながら、僕は走り出す。谷口さんが引き止める声などは聞こえないふりだ。今は何もかもがどうでもよかった。
百年桜の神隠し。くだらない伝説だと分かっていても、見に行かずにはいられない。その花がもしも満開に咲いていたならば、欠片も残さず燃やしてやる。そう心に決めながら。






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