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僕が彼についての噂を耳にしてからそろそろ一週間が経とうとしている。その間、彼が我が家を訪問したことは一度たりともなかった。これまでは二日と置かずにお節介を焼きに来ていた、あの彼がだ。勿論僕としては都合がいい。彼に会うわけにはいかないのだから、訪れたところを追い払うよりは向こうの意思で敬遠してくれた方が精神的に助かる。けれど、勝手な僕は、そのことに少しだけ落ち込んでいた。
僕には完全に愛想を尽かしてしまったのだろうか、嫌われてしまったのだろうか。もう、二度と会うことも話すこともなくなるのか。笑い合うことすらも叶わなくなるのか。もし彼が僕の家へ来てくれていたのならば、謝罪して、また普段のように話せていたのかもしれないのに。何故彼は訪れてくれないのか。何故。
自分から決めたくせして、情けないことばかりが頭の中を独占していく。
僕が思っていたより、彼は僕の大切なものだった。彼がいなければ何も出来ない。そんな馬鹿馬鹿しい口説き文句の書かれた恋文のみが原稿の代わりに増えていって、ただただ苦しい。そんな日々だった。
今日も彼は来ない。



「いい加減仲直りしろよな、古泉センセイ」

毎朝生活用品や食料を届けてくれている谷口さんが呆れたようにぼやく。僕が手渡したお金を鮮やかに懐へ仕舞ったと思えば、我が物顔で家に上がり込むのだから、この人は遠慮というものを知らない。それでももうこの一週間毎日のことだ。今更になって文句を言う気になどならなかった。
外に出掛けるほどの気力などついに持ち合わせなくなった僕は、買い物を全て谷口さんに任せていた。毎朝持って来てくれるのだからかなり感謝しているけれど、やたらと詮索されるのはやはりどうにも気持ちが悪い。放っておいてくれればいいのに。そうは思っても、知り合い二人が仲違いしている現状を見て見ぬふりをすることは出来ない性分なのだろう。説教をするように僕の背を押そうとする谷口さんは、間違いなく良い人である。
あまり上手とは言えない味噌汁(当然僕が作ったものだ)を啜り、眉間に皺を寄せて野次を飛ばされる。谷口さんには、単純に僕と彼が喧嘩をしたのだということしか説明をしていない。彼からもそのような話をされているらしく、どうにか仲直りさせようと奮闘しているようだ。けれど彼へは僕ほどにぐちぐちと話してはいないらしい。少し前に、彼には相手にされないから僕を説得しているのだと言っていた。つまり、彼はそれほどまでに僕のことがどうでもよくなったということなのだろう。ああ、またそんなことばかり考えてしまう。

「原因が何かは知らねぇけどよ、いっつもは仲睦まじいお前らがぎくしゃくしてるとこっちまで気が滅入るんだよ。いい加減にしてくれ」
「それは申し訳ありません」
「そう思うんならなあ」
「遠慮します」
「……全く頑固だよな、二人して。幼馴染ってのはそんなとこまで似るのかよ」

朝食を事もなげに平らげた谷口さんは、新聞を広げて舌打ちをする。いい加減くつろぎすぎではないかと横から取り上げれば、恨みがましい視線をぶつけられた。

「そろそろ帰ってください、仕事があるのでしょう。僕だって忙しいんですよ」
「ふん。キョンと喧嘩してから抜け殻みたいな生活してる奴に言われたかねぇよ。どうせ執筆も進んでないんだろ」
「……」

仕事用の机の上には、真っ白な原稿用紙が何枚も重ねられている。谷口さんの言う通り、いつどんなことをし始めても彼のことを思い出してしまって、満足に物事を進められないでいた。仕事の方もすっかり行き詰りだ。コラムは何とか仕上げたが、来月に締め切りが迫っている小説の原稿は全く埋められていない。
この一週間の僕の生活といったら、食べて物思いに耽って寝ての繰り返しだ。何か有意義なことなど一つとして行っていない。ひどく怠惰な毎日。彼を失ってから。

「どうせ、二人して変に意地を張っちまっただけだろ。さっさと素直になれよな」

からからと笑いながら肩を叩かれる。そんなに簡単な話ではないのだと言えたらどれほどいいだろう。全て僕が悪いのだと、彼を手放せない僕が悪いのだといっそ贖罪の機会を与えられたならば、楽になるろうに。
何も言わずにお茶を傾けていると、ふと玄関の戸を叩く音が響いた。何度も何度も力いっぱい鳴らされるそれはとても騒がしい。谷口さんの眉が軽く寄せられるのを見て、僕は知られないように溜め息を吐いた。しかし一体誰なのだろう。こんな早くに僕の家へ訪ねて来る人など、彼くらいしか思い付かない。まさか、今になって来ることはないだろうけれど。
重たい腰を上げて玄関へ向かえば、キョンじゃねぇのなどと笑いながら谷口さんもついて来る。お節介な人だ。

「どちらさまですか」

未だに物凄い音を立てて叩かれる戸をどうにか開き、その向こうへ顔を出した。身を凍らせるかのような冷たい風が容赦なく僕を晒す。
一度大きく震えてから辺りを見渡すと、目線を下げた先に小さな頭があった。僕の肩よりも低いくらいの身長らしい。慌てたように勢い良く上げられた顔には、残念ながら見覚えはなかった。まだまだ幼い顔立ちをしていてよくわからないが、学生服を着ているところを見ると男の子なのだろう。整った愛らしい顔立ちをしている。しかしどこか泣き出しそうに眉を潜めているのは、一体どうしたことか。

「古泉先生ですかっ」
「そうですが、貴方は……」
「お、確かキョンのとこの生徒だよなお前」

困惑してしまった僕に代わって、ひょいと顔を覗かせた谷口さんが声を上げる。顔が広い谷口さんは、この町の多くの人と顔見知りらしい。頻繁に商店街に来る人のことは大方覚えているのだそうだ。この少年もその一人なのだろう、突然現れた八百屋の店主に驚きながらも頷いているから間違いない。この子は彼が学校で教えている生徒のようだ。
よく見れば少年はかたかたと震えている。少し町外れに位置する我が家まで学生服のみを纏って来たのだ、当然冷えるに決まっている。流石に哀れになって家へ招き入れようとすれば、力強く首を左右へ振られた。

「そのままでは風邪をひいてしまいますから、ほら入って」
「そんな場合じゃないんです、早くしないと……」
「早くって、何があったんだ」

谷口さんの真剣な声音に、少年はごくりと唾を飲み込む。恐怖心さえ抱いているような表情に、何かしら馬鹿に出来ない話を持って来たのだと理解する。町で重大なことがあったのだろう、僕も知らず知らず渇いた唇を舐めて湿らせていた。
少年が口を開く。

「キョン先生が、居なくなってしまったんです」






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