5 覚悟は出来ているつもりだったし、自分の望みが叶うなどということを考えていたわけでもない。彼に心から愛する人が出来たならば、自らの恋に知らん顔をして祝うのだと決めていた。いくら嫉妬心が沸こうとも彼が選んだことに逆らうつもりなどはなかった。 だけれどそれは買い被りだったのだ。実際彼に噂が流れ出した途端のこの取り乱しよう。混乱のあまり酷い言葉で彼を傷付け、自分を守るために外へ追い出した。勝手に裏切られたのだと恨み言を胸で呟き、後悔することも忘れない。 利己的な男だと思う。毎度毎度、何かしら耳に都合のいい言葉を振りかざして、結局は彼を縛り付けたいだけなのだ。自分以外の誰に知られることもなくひっそりと、けれど確かに。 自分がどうしたいのか、ついに分からなくなってしまった。彼に好意を抱いている。愛おしいから幸せになってほしい。出来るならば僕が幸せにしてあげたい、けれどそれは土台無理な話だ。彼は彼が選んだ女性と結ばれるべきなのだ。そうすればきっと幸福を得られる。だからこそ、僕は彼に愛される女性が憎らしいし妬ましい。僕に与えることの出来ないものを彼に捧げられるのだ、それも望まれて。 いっそ全て破棄してやりたいほどに、女性も、彼自身さえ怒りの対象になり得ていく。ああしかし、それでは彼は幸せになれない。彼には悲しみや苦痛などは感じてほしくない、僕は彼が好きだから。 思考が繰り返され始めた頃になって、体がひどく冷え切っていることに気が付いた。ここは台所で、剥き出しになった石の上に座り込んでいるのだから当然だろう。冬特有の突き刺さるような冷たさが肌を切り裂いていく。半ば凍えながら立ち上がり、よろめきつつも茶の間へ戻った。当たり前のように明かりの灯った室内には静寂のみが広がっている。畳の上に転がった白菜、香りを振り撒いて煮える鍋、そろそろ炊けたのだろう米。食事の準備は整いつつある。そうであるのに、やはり彼だけがここに居なかった。 「……何をしているのだろう、僕は」 結局のところ、僕は彼を幸福な気持ちにするどころか、友人と喧嘩をしたという不快な思いしか与えられていない。愛情を伝える、彼の邪魔をする、そんな権利などあるものか。ついには顔を合わせることすら気まずくなっているではないか。 当分関わらない方がいいのかもしれない。雪が降り出したらしい窓の外を見て、ふとそう思った。決して、彼には会わない。そうすれば彼への思いが募ることもないし、彼の愛人に仕様のない嫉妬を抱くことだってなくなるだろう。彼だって、僕に構うことなく自分のことにのみ専念出来る。そうしていつか、心から祝福出来るようになればいいのだ。 もう何度だって悩んできたことではあったけれど、本気で実践するつもりになったのはこれが初めてだった。 彼は、また僕の家へやって来るだろうか。いや、あれだけ冷たく拒絶したのだ。いくら幼なじみといえど、もしかしたらだからこそ、頭にきていることだろう。もし彼がその優しさ故に僕の元へ来たとしても僕は彼には会わない。諦めるために、彼の将来のために。 そこまで考えて、ふと笑いがこぼれた。 「などと言って、結局全部同じことだ」 彼のためと言って、やはり自らのためなのだろう。そうとは分かっていても、これは紛うことなきけじめだ。僕は決めた。もはや覆すことはない。 火鉢が零す温もりに溜め息を吐いて少しだけ涙を拭った。別れるものと決まっていた恋心であっても、僕は確かに彼のことを愛していたかったのだ。 しくしくと痛みを訴える胸を叱咤して畳に横になれば、彼の香りが充満する。そのときの僕の悲しさといえば、どんな悲劇の主人公よりも勝っていただろう。そして、それを上回るほどのむなしさが体中を占拠していたのだった。 → |