卑怯な人






ずるい、ずるいわ。



明るい夜だった。
手に持ったビニールの袋がかさかさ揺れる。月によって落とされた影は、私よりも億劫そうに伸びたり縮んだりを繰り返していた。
はあと吐いた息が白い。楽しかった夏も終わりを告げて、気付いたらまた冬が近づいているのだ。
時間とは全く無情ねと、知らず口の端を持ち上げながら思った。
ああ、本当に楽しかった。太陽が眩しいのも肌が黒く焼けていくのも汗をかくのも、全てが楽しいと感じてしまうくらい。
周りには常に皆がいて、もうそれだけで大人しくなんてしていられない。騒いではしゃいで、そして、彼に叱られるのだ。
彼。そう、彼だ。仕方ないななんて笑って、後ろで見守ってくれる彼。
妹を見詰めるように? 娘を叱るように?
もう何だっていいと思う。彼が傍にいて、優しい視線を向けてくれて、きっと私はそれだけで安心できる。幸せになれる。
だって私は、彼が好きなのだ。

「…あら?」

ぱちぱちうるさい街灯につられて顔を上げると、家からあまり近くはない公園に来ていた。
この辺りは高校へ向かう道ではないか。無意識にこんなところへ来るなんて、自分に自分で呆れてしまう。

「それだけ学校が楽しいんだわ、多分」

昔では有り得なかったことだ。不思議なことを、普通ではないことを求めていたあの頃では。
高校生だから高校へ行く。なんて平凡で当たり前で拘束されたことなんだろう。まだ幼かった私は逆らいたくても逆らえない自らが嫌で、学校に行くのが憂鬱でならなかったのに。
彼らのおかげかしら、などとまた笑いをひとつ。
けれど家から遠ざかってしまったのは事実だ。早く帰らなければ家族が心配する。
苦笑しながら振り返り、ふと公園内に人影があることに気が付いた。二つの長いそれは立ったままで伸び、何やら言い争いをしているらしい。
どちらも男、だろうか。女性にしては大きいし、凹凸も少ない気がする。カップルの痴話喧嘩かと思ったが、単なる友人同士のいさかいなのだろう。

「…からお前が、……! …んで……っ」
「あなたは……、かのじ…も……、…めで…」

夜にも関わらず叫び声を上げる彼らは、私になど気付いていないようだ。
うるさいなと思いつつも、少し興味深い。自分でも悪趣味だとは思うが、私はこういう喧嘩なんかの様子を見るのが結構好きなのだ。どちらが勝つのか、気になってならない。
顔だけでも見てみたい。もしかしたら、同じ学校の可能性だってある。偶然出会った彼らが、私たちに不思議を提供してくれるかもしれない。
少しのときめきを胸に隠し、私は彼らに近付く。

「それでも好きなんだ!」

明るい夜だった。
月は遠くの人の顔までも映し、澄んだ空気は悲鳴のような声もこちらに届ける。
明るい夜だったのだ。
相手を抱き寄せる、茶色の髪を持った青年の表情が見えるほどには。唇を合わせられた、黒髪の青年の涙が見えるほどには。
一度も見たことのないような顔の、けれどよく知った二人の人物に、私の頭は白に染まった。
一人は愛おしい大切な人で、一人は信頼している大切な人で。どちらも、私の宝物だった。




脳を溶かしそうな愛の言葉に耳を塞ぎ、私は夜の道を走る。何も見なかったし聞かなかったのだと言い聞かせながらも、熱くなる喉は止まらなかった。
ああ、だめだ、泣きそう。
好きだった。彼の一番になりたいのだと毎日思うほどに好きだった。のに。
ああ、だめだ。
誰も憎めない自分が憎い。あの二人が仲直りすればと思っている自分が、むなしくてならない。
ずるい、ずるいわ。
憎めたらいいのに。嫌えたらいいのに。それさえできないほど、私は二人が好きだった。
楽しい日々を共に作ってきた二人の幸せを、願ってしまう。
泣けるほどの激しい愛よ報われろと、祈ってしまう。
ああ、なんて、むなしいの。
喚きたい気持ちを宥め、空を見上げた。温かい光が、私の頬をゆったりと撫でていった。





END.

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