容疑者X

キョン死ネタ





それで結局、誰がわるかったの?



風が吹いた。
身を震わせるほどの冷たさをもって抜けていったそれは、僕の心をも冷やしていく。ひゅうひゅう、軽い音をしているくせに、重たくのしかかって。
目の前にずしりと立ちすくむ石も、僕以上に冷め切っているのだろう。自分の顔が映るほどに美しく磨かれ、そのくせ何故かくすんで見えてしまう。僕の心情の影響、かもしれない。

「この下に、いるんですね」
「そう」

後ろから呟く程度に聞こえた声に、小さく安堵した。
彼女の発する音には、人の感情を左右させる作用があるに違いない。ときには怯えさせ、ときには安心感を導き出す。
長門はいい子だなと笑っていた彼を思い出す。僕はようやく今彼女の良さを実感しているのに、彼はとっくの昔から気付いていたらしい。
どうして分かっていたのだろう。聞いておくべきだった。
土の下にいる人には、質問もできないから。

「死因は、何でしたっけ」
「睡眠薬の過剰摂取。効果の強いものを多量のアルコールと共に服用したことによって死に至った。第一発見者は彼の妹で、自室のベッドで眠るように、」
「もう、いいです」
「……そう」

最近眠れないのだと言っていた。いつものように笑って、目の下の隈を歪ませて。心配するなと。
想像してみる。ベッドで横になって生涯を終えている彼を。
その死が彼の妹さんに与えたショックは、計り知れないものがあるだろう。普段通り起こしに行った兄が、死んでいた。悪かったら、一生もののトラウマになる。
あの彼が、家族が大切でいつだって妹さんの安全を気にしていた彼が、彼女の苦しみになる。
なんて皮肉。

「涼宮さんは、今どうしていますか」
「落ち込んでいた。けれど、彼の死を受け入れている」

それはそうだろう。
彼女は常識的な人だ。死を理解できないような歳ではない。
人は死んだら生き返らない。遺された者がいくら悲しんでも。やり直したいと思っても。信じられなくとも、信じたくなくとも、真実は変わらない。
だって彼は、ここにいないのだ。
そのことを、彼女は切なくも理解している。受け入れてしまっている。僕にとって都合の悪いことに。

「自殺…」
「……」
「どうしてですか」
「……」
「どうして彼が、自殺なんてことを…っ」
「本当に、わからない?」

冷たい声だった。人を無差別に恐怖させる、声だ。怖い、と思わざるを得ない。
それでも、背筋に走った寒気に気付かないふりをしつつ、考えを巡らせる。
彼が、何故死んだか。
優しくて、温かくて、気持ちのよい人。他人を尊んでいたイメージは、強い。生に敏感であっただろう彼が自ら死を選ぶなんて、考えられなかった。
少なくとも僕にはわからない。そう、わからない。

「わかりませんよ、僕には…」
「うそ」
「嘘な訳ないでしょう! 苦しんでいることを知っていたら、何をしてでも助けて、」
「うそ」

振り返ってはいけないと思った。きっといつもの表情でそこに立っているだろう彼女を、見てはいけない。
そうしたら、僕は。

「知っていたのに、気付いていたのに、貴方はわからないふりを続けてきた」
「違います」
「その結果が、これ」
「違いますっ」
「彼の死を招いたのは、紛れもなくわたした」
「やめてください!」

こんな声を出したのは初めてだった。喉がきりきりと痛むような、頭まで響くような騒音。僕にはふさわしくない、動揺。
彼女は一瞬静かになり、こちらを伺うように視線を向けてきているのが分かった。
かさり、かさり。
背後に近寄る足音に、意味もなく喚き立てたくなる。
逃げ出したい。知らないままで、いたい。
ああ、怖い。納得なんてしたくない。理解なんてしたくない。

「彼は彼女の鍵だった。彼一人の肩に、世界がかかっていた。それを彼は、私達の言葉によって受け入れた」
「……」
「彼女を煽るのは彼。彼女を浮足立たせるのも彼」
「……」
「私達は、自らのことで手一杯だった」

涼宮さんを、涼宮さんを、涼宮さんを。
彼の周りには、この言葉が一体どれだけ転がっていたのだろう。彼のすべきことは涼宮ハルヒと共にいることで、それは当然なことだった。
僕らにとっては。

「彼は、優しい人」
「……」
「追い詰められても、誰かに相談して負担をかけることを良しとしなかった」
「……」
「私達は、彼に全てを委ねてきた。そのくせ、彼に全てを負わせてきた」
「……」
「分かっていない訳がないはず、貴方は」

あの人がすきだった。
包容力に助けられてきた。あの人ならば何でも任せられると思ってきた。あの人は優しかったから。そして、強かったから。
ああ、けれど、所詮は買い被りだったのだ。
彼は、非常に弱い生き物だった。


「涼宮ハルヒは悪くない。もちろん、彼自身も。悪いのは私達。彼を死に追いやったのは私達。彼を殺したのは、私達」


どれだけ、辛かったろう。
涼宮ハルヒの機嫌を取るよう強要され、思った通りの行動も出来ない日々。いくらストレスが溜まろうと、事情を知らない人に零す訳にいかない。
事情を知っているどころか当事者な僕達は、何もしない。
彼に頼り、彼に縋り。そんな相手に、彼は弱みを見せない。むしろ安心させるように、気丈に振る舞って。
限界だったのだろう。
眠れなくなるほどに苦しんで、それでも何も言えずに。
そして、解放を望んだ。
僕は、彼に何と言ってきた? どれほどの愚痴を零してきた? いくつの責任を押し付けてきた?
わからない。頭がごちゃごちゃになっている。
泣きたい。泣きたい。
彼を殺した。確かに崖に追い詰めた。焦燥と罪悪感を植え付けた。
彼を、殺した。



風が吹いた。
僕らの髪を揺らしながら横を走るそれは、後悔と懺悔を教えて消えていく。こんなにも冷たく。
目の前の、優しくも温かくも強くも弱くもない石には、何も届きやしない。どれほどの感情を抱えていようと、その下で眠る彼には無関係なのだ。

「長門さん」
「なに」
「あなたは、彼がすきだったでしょう」
「そう」
「どうして、彼を止めようとはしなかったんですか」
「…私の役目は、観測だから」
「……それだけですか」
「あと、」

かれがすきだったから。
冷たい響きの声だった。
悲しみを湛えた瞳だった。
涙は、叫びは、何の償いにもならない。やはりどうしても、自己満足で終わる。
贖罪の仕方も、目を逸らし続けた僕にはわからないのだ。





END.

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